魔術結社の情シス

ゆるふわ全共闘

第1話

「えっ、ええ?く、ククク、クビ、ですか?」

 窓のない小さな部屋だった。中央にはスチールでできたラックがデンと置いてあり、その中では無数のサーバが稼働している。

 そのラックに隠れるように部屋の隅でパソコンを抱えている女・黒瓜ことりは吃りながら復唱した。

 何年着ているかも分からない擦り切れたピンクのジャージ姿の彼女を見下ろし、情報システム部部長の有馬は無慈悲に頷く。ピッチリと撫でつけられた髪と、四角いメガネ、ベストまで着込んだ厳格なスーツスタイルが迫力を添えている。

「ああ。人事部から聞いたぞ。備品の横領、お前が犯人だそうだな。総務部は軽い処罰で許してもいいと言っていたが、情報システム部として身内に裏切り者は置いておけない」

「わ、わわ、私、やってません……」

 ぷるぷると震えながら反論することり。しかし、有馬はため息を吐き、うんざりとした表情で言う。

「分からないのか?これは決定事項なんだ。

そもそも、高卒のお前がウチのような大企業に入れたこと自体が間違いだったんだ。前社長の推薦だかなんだか知らないが。ハッキリ言って、お前はウチに相応しくない。大体なんだそのジャージは!スーツを着ろ、スーツを!」

「こ、これは、お金が無くて……そっ、それに、ありっ、有澤さんは大丈夫って……」

「給料を払ってるのにお金が無いわけないだろうが!前社長が大丈夫といってもそれ以外は大丈夫じゃないんだ!建前を分かれ!」

「す、すす、しゅみませ……」

 涙目で震えることりを見下ろし、有馬は告げる。

「とにかく、退職手続きは済んでる。自己都合退職にしておいたから転職にも響かないだろう。お前を雇う企業があるかどうかは不明だがな。今日中に荷物をまとめてサーバー室から出ていくこと。いいな」

 ことりに拒否権は無かった。


=====


「サーバー室の妖怪。クビになったってよ」

 大勢の社員で賑わう食堂で、ランチの乗ったプレートを手に席を探していた東雲晴人の耳にそんな声が聞こえてきた。話しているのは営業社員のようだ。彼らは職業柄と人事部や財務経理部と話す関係上、このような情報に耳ざとい。

 東雲は飛び上がった気持ちを抑えながら、さりげなくその社員たちの側の席を陣取る。

「サーバー室の妖怪って、あのピンクジャージの女だよな」

「ああ、いつもお昼終わりに隅っこで飯食べてる奴」

「何したんだろうな?日本でクビって相当だぜ」

「浮いてたし、厄介払いなんじゃね?周りに合わせた格好も出来ない変人だし、仕事も出来なさそうだしさ」

「そんなことない!」

 東雲は思わず立ち上がり、慌てて口を塞いだ。

「?」

 営業社員が東雲のほうを見る。

「……そ、そんなことないよ。もっと奥の方を探してみてくれ」

「なんだ電話か。びっくりさせやがって」

 東雲がスマートフォンを手に持って誤魔化すと、営業社員は視線を元に戻し、別の話題へと移った。

「あ、晴人くーん、良かったらお昼一緒にーーー」

「私も私もーーー」

 立ち上がった東雲を見て彼の存在に気がついた何人かの女性社員が近づいてくる。しかし、東雲の耳にはその声は入っておらず、東雲はランチを雑に口に詰め込んだ後、食堂から急いで出て行った。


====


「辞めないでくれえええええええ!」

「頼む、ことり氏ぃぃぃぃいいいい!」

 サーバー室に悲鳴が響いていた。

「そっ、そそ、そんなこと言われても……」

 リュックサックを背負って困惑しているのは黒瓜ことりだ。そして、彼女の足元にはYシャツにスラックスというサラリーマン姿の男たちが縋り付いていた。周囲にも人が集まっており、皆、気落ちした顔で立っている。

 特徴的なのは、皆、いわゆるキラキラした人種ではないということだ。おそらく街の床屋さんで適当に切ってもらったであろうザンバラの髪に、メガネ。最低限の清潔感はあるが、女子にはモテそうもない。よく言えば、結婚数年して落ち着いたパパっぽい。

 彼らは情報システム部の人間だった。ことりの退職を先ほど有馬から知らさればかりである。

「黒瓜が辞めるなんて……この会社、傾くぞ」

 その中で小太りで優しそうな男が呟いた。情報システム部課長だ。

「ダメなのか?残れないのか?」

 周囲の男たちの中からも声が上がる。

「あり、有馬部長が決定事項だと……」

「あの新参野郎、何にも分かってねえ」

「新社長に呼ばれて入ったんだったけか?後ろ盾があるから好き放題だな」

「この間も新しいシステムを導入するとか急に言いやがるしよお……現場からの苦情電話が鳴り止まねえんだぜ?」

 どうやら有馬を好ましく思っている人間はここにいないようだった。

「せめて、せめて引き継ぎをぉぉぉぉおおおおお!」

 足元に縋り付いていたガリガリの丸メガネの男が叫ぶ。

「む、無理、です。今日中に出ていけと、言われてるので……」

「引き継いだって出来る奴はいねえよ。黒瓜の業務範囲、どれだけ広いと思ってんだ」

「俺たちの手が回らない部分を全部一人でやってますからね……対人関係以外」

「なんなら戦略策定から関わってるしな……なんつーんだっけ、こういうの。遊撃部隊?」

「最強のスナイパーの間違いでは」

「まあ、とにかく!」

 逸れてきた会話を戻すように、課長が手を叩く。

「黒瓜、心配するな。後は俺たちがやっておく。まあ、俺たちが全員辞めるまで、だけどな……お前の未来に幸あれ、だ」

「しゅみっ、すみません……IDとパスワード関連は全部課長にメールしておきましたので……」

 ペコペコしながらことりは出ていった。

 そして数分後。

「黒瓜!辞めるってホントか!俺、ずっとお前のことが……!」

 勢いよくサーバ室のドアを開けて、東雲が転がり込んでくる。

 そんな彼の様子にサーバのコンソールを開いて中を確認していた数名が目を丸くして見ている。

「あ、晴人氏、一足遅かったね。ことり氏ならもう退社したよ」

 その中の一人、先ほどことりの足に縋り付いていたガリメガネが告げると、東雲は膝から崩れ落ちたのだった。


====


「やばい、死ぬ、かもしれない……」

 黒瓜ことりは公園のベンチに座って呟いた。夕暮れが彼女の哀愁を増幅している。

 薄くなったピンクのジャージは冬の訪れを感じる外気からことりの体を守ってはくれない。リュックを体にピッタリつけて暖を取る。

「ねえ、今日のご飯なに〜?」

「今日はカレーよ」

「やったー!」

「でもその前にお風呂に入らなきゃね」

 公園の前を手を繋いだ親子が通り過ぎた。

「いいなあ……」

 その光景を眺めてことりは呟く。


「いいなあ……帰る家があるって」


 そうなのだ。突然のクビから3ヶ月。全く仕事は見つからず、ついに貯金が底を尽き、ことりはアパートを追い出されていたのだった。

 面接までは行くのだ。大企業の情報システム部出身という経歴だけみると立派な履歴書を、通さない人事はいないだろう。しかし、面接が問題なのだ。

『あ、あぁぁあああのっ、黒瓜ことりでし』

『じょ、じょじょ情報システム部ぶぶぶ、ででっでででは』

『おおおおおお御社に、はははは入ったらぁ!(気絶)』

 ことりは重度のコミュ障である。前職の情シスの同僚たちだって、数年かけてようやくまともに話せるようになったのだ。しかも面接は初めての経験。初体験による緊張と、知らない人と話すという重圧で、ことりは気絶すらしてしまっていた。

『あの〜、多分、心療内科でお薬をもらってきたほうが……』

 遂にはハローワークのお姉さんにまで苦笑いで就職以前の問題を指摘される始末。

「はあ、もうダメなのかな……」

 ことりはリュックからノートパソコンを取り出す。古いボロボロのノートパソコンだった。表にはずっと昔に廃盤になったメーカーのロゴが刻まれている。しかし、中身はことりによって改造されており、ガワだけの別物となっている。

 そのパソコンを受け取った時の出来事がことりの脳内に思い出された。

『ーーーいつかありのままのキミを受け入れてくれる人たちが現れる。それまではここでその才能を磨いていくといいよ』

「有澤さん、元気かなあ……ん?」

 ーーーと、ことりの目に止まったものがあった。案内板だ。公園の入り口近くに立っているもので、道路を通る人に向けて周囲の簡単な地図や自治体のお知らせを提供している。

 ことりが気になったのはその裏側だ。普通、掲示物などない場所に一枚の紙がひっそりと貼られている。上部にはデカデカとマーカーで『求人』の文字。

「なんて書いてあるんだろう……」

 近づいてみると、求人にはこう書いてあった。

『住み込みで働けるITに詳しい人大募集!それ以外は条件なし。人外でも可』

「人外でも……?」

 変な求人だった。明らかに正気の類ではなかった。しかし、ことりの脳内に閃きが走る。

「人外って、人間としての待遇を受けられたなかったものとか、人から外れたものって意味だったよね……つまり、人の輪に入れない私も人外と言える、のでは?」

(ということは、この求人は……まさに私のための求人!

 家なし、人外、ITに詳しい!私が入れないなら誰がいるのか、いや居ない!)

「乗るしかない……このビッグウェーブ、いや、タイダルウェーブに!」

 元気になったことりは求人の住所へと向かったのだった。

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