Tier B-2【蕭繹・桓玄・張祚】
【企画全ページ共通エクスキューズ】
この企画にて紹介される人物たちの事績において重要なのは「史書にこのように書かれている」=「史書がこのように書く必要があった、と評価していた」です。「その人物が実際にそうであった」と言うことではないと、割と強めにご認識下さい。
つまりキャラクターとして消費するのはアリ、と言うか大切な入り口だと思うんですが「史学的な人物評価に直結させてしまうとあぶないよ」とは書いておきます。
この辺、たぶん上位人物を紹介するときにはかなり意識して書きます。マジで危ない話なので。
さて今回のクソ君主には個人的ナンバーワンがエントリー。まあ、踏み込むともろもろ、もろもろなんでしょうけど。ではいってみましょー。
なお、見出しは
名前(生年-即位年-没年 時代・国諡号)
とあらわします。
○26位 蕭繹(508-552-555 南北朝後期・梁元帝)
梁で兄弟争い、国を弱体化。(DeepSeek)
侯景後の局面処理を誤り、梁朝の延命チャンスを全部捨てた人。(ChatGPT)
兄弟を見殺しにし、蔵書14万巻を焼いて自殺(焚書)。文化に対する罪が重すぎる。(Gemini)
侯景の乱後の梁を弱体化。兄弟の殺害、文化財の焚書、猜疑心。14万巻の蔵書を焼却。(Claude)
南朝梁元帝。内乱・殺戮・王朝滅亡寄与。(Grok)
凡庸で国を守れず。(Copilot)
偏差順位40:わりと一致
歴史に対する罪ということで個人的にはナンバーワンクソにねじ込みたい人物です。とは言え政治史的クソ度ならこの辺りで納得。梁、いやさ南朝の加速度的破綻の中でちょっとアクセル踏んだ程度ですし。
南朝最盛期を現出させたその同じ両腕で江南を地獄のズンドコに陥れた梁の武帝、蕭衍。このひとは侯景の乱によって社会を壊した、が通説ですが、たぶん普通に死んでもその後の南朝は地獄だったことでしょう。何故か。息子がわりとクソだった。その代表格がこのひと、蕭繹。武帝の子の中でもずば抜けた聡明さと学識と性格の悪さを兼備し、いちおう侯景を打倒した軍の主将ということで皇帝には就きましたが、ぐちゃぐちゃな南朝の状況に業を煮やして北周軍を引き入れたあげくその北周軍をバカにしたため攻め殺されました。なにやってんのマジで。
ここまでですでにオモシロ行動が天元突破なんですが、このひとをクソと断じる理由はここではありません。その死に様です。北周軍に追い詰められて、もはやこれまでと思ったときに取った行動が「どんだけ読書してもこれが結末かよ!」という絶叫の上、自身が収集した書籍四十万部を焼き払った、というもの。いやね? 実際のところ隋書に乗る図書目録とか見ても現存してたらどんだけ、みたいな本がたくさん残ってるんです。そうした本は残ってないんです。ならここで蕭繹が焼かなくても、どれだけ残ったのか、というのは正直あります。けど残ったかもしれない。そう思うと「こっちの歴史の愉しみ潰しやがってこの野郎」という思いを、このひとには募らせずにおれないわけです。
○25位 桓玄(369-403-404 五胡後期・桓楚武悼帝)
簒奪で東晋を混乱させ、乱行。(DeepSeek)
「西晋・東晋末期を決定的に悪化させたけど、S級ほどではない」ゾーン。(ChatGPT)
帝位を簒奪したが、贅沢三昧と驕りで瞬殺された。小物界の大物。(Gemini)
東晋を簒奪するも数ヶ月で敗北。簒奪時の粛清、過度の権力欲。史上最短クラスの簒奪王朝。(Claude)
東晋簒奪。短命反乱・敗北。(Grok)
桓玄:簒奪者、暴政と享楽で東晋を崩壊寸前に。(Copilot)
偏差順位16:かなり分散
一言で言えば「劉裕の皇帝即位の踏み台」。このひとがわりと考えなしに東晋安帝から簒奪をやらかしたせいで、劉裕に「皇帝還御」なんていう大功績を与えてしまいました。たぶんちゃんと根回しさえしてれば、新しい皇帝はこのひとでも良かったんじゃ、とは思ってます。
桓玄は李勢のところで語った桓温の後継者。東晋史でもずば抜けた武勲を誇った人物は野心もずば抜けており、際立った武勲を背景に東晋帝からの禅定を目論みましたが失敗、失意のうちに死亡します。桓玄はその野心を引継ぎ、東晋高官よりの警戒も何のそので躍進、ついには西方で覇権を握り、その武力を背景に東下、皇族らを排除し、安帝より簒奪しました。その手腕を眺めるとやり手、としか言いようがありません。もちろん東晋末の皆さんがグダグダすぎた、ってのもあると思うんですが。
さて先日、劉宋の事績を描く宋書には外戚伝がない、と書きました。これもだいぶやらかしてるんですが、もう一つ。創建皇帝の権威を担保するもの、則ち前朝の権威を踏みにじった、創建皇帝に討ち滅ぼされた悪人の列伝が存在しません。史記はともかく、漢書や後漢書、三國志で踏襲されたこの形式を敢えて崩す必要なんかないはずなのに、です。つまり劉裕の敵の伝を詳しく書いたらもろもろまずいことになったのではないか、と邪推せずにおれないのですよね。ちなみに、こうした勢力の候補としては桓玄のほか劉毅、諸葛長民、司馬休之などが挙げられますが、いずれもが、他ならぬ劉裕の伝記上で「罪なくして殺された」と書かれています。もちろんそれは対抗勢力のプロパガンダかもです。けど、これがあります。後ろ暗くないなら堂々と誅滅勢力伝乗せればいいんじゃね?
ーー改めて申し上げます、当アカウントは劉裕推しです。ただし推すために調べた結果劉裕の権威形成過程がただごとでなく生臭く感じています。まぁ「うわっくせえ、鼻が曲がる! この匂いの源はなんだ!」って突っ込んでいこうとするのも、また歪んだ推しの形かナ、って★
○24位 張祚(?-353-355 五胡中期・前涼威王)
前涼で暴君、殺害される。(DeepSeek)
前涼を一気に不安定化させた暴君。(ChatGPT)
兄を殺し、兄の妻と通じ、国を乱した典型的な暗君。(Gemini)
前涼の安定を損なった。宗室を殺害、勝手に皇帝を称する。一族に殺される自業自得ぶり。(Claude)
前涼。簒奪・残虐・短命。(Grok)
前涼の暗君、酒色に溺れた。(Copilot)
偏差順位17:かなり分散
五胡十六国時代初頭、各地の勢力が暴れ回り、民が安心して暮らせる地はありませんでした――涼州以外。「天下まさに乱れなんとせるに、難を避くるの国はただ涼土のみ」と囁かれたその地では晋の涼州刺史である張軌、その息子の張寔張茂兄弟、そして張寔の子である張駿。以上四名の指導下にて戦果渦巻く中華にあって涼州は平穏を保ちました。乱世の清涼剤と言って良いでしょう。
しかし、しかしだよ少年。
張駿の三人の息子たち、即ち張重華、張祚、そして張天錫をみると、結局人間の性向を決めるメイン要素は環境であって血統はサブなのだなあ、と感じざるを得ません。
張祚。名君張駿のもとで繁栄を謳歌する前涼に生まれ、腹黒く狡猾でおべんちゃらの得意な少年であった、と語られます。まぁわかりません、この辺ももしかしたら張天錫による潤色があるのかもしれませんし。ただ確実なのは、兄貴の子を殺して自身が涼王の地位に就き、その後討伐されると改めて兄貴の別の子が涼王に就けられた、ということ。この継承順からしても前涼はどこまでも重祚の即位を簒奪と見なしているのですが、とは言え一方で気になるのは、クソ簒奪者にもかかわらずちゃんと諡号をもらってる、ということなんですよね。
ここについて検証するための変数は張天錫が「張祚誅殺のあとに改めて王位につけられた張重華の子を殺した」ということ、なのかもしれません。
つまり張天錫からしてみると張重華の血統に涼王を背負わせるのはクソだったけど、自分で手を下すのはもろもろマズかったので張祚に手を下させるよう仕向けた、とも見なせるのかもしれません。まぁドチャクソ陰謀論です。
そもそも前秦や東晋でのうのうと生き延びた張天錫にしてみれば、前涼が滅んだ原因を自分に帰させたくない、と思うことでしょう。じゃあ誰に責任をおっかぶせるか? 「簒奪をした兄貴」でしょう……と言う、李寿のところで見たようなアレを思わずにいられないわけです。
○予告
明日の登壇予定は慕容沖・爾朱栄・劉粲。やべー奴らが並んでしまいました。ここから先、右を向いても左を向いてもやべー奴らばかりになってしまいそうです。悪魔化をして遊ぶもなにも悪魔みてーな奴らばっかになるので、そうした奴らの、どこに「悪魔化」文脈があるのか、を頑張って考えていかないといけなさそうです。
いうてこの三人の名前みるだけでも「うわっ……」ってなっちゃうんだよなあ。これ、AとかSをどう理性的に語れたもんかでめっちゃ心許ないです。
まぁ、なるようになれ!(なってほしい)
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