第11話 酒は飲んでも飲まれるな(リスク管理は大切)

「お、おはようございます〜」


 いつもより、無駄に早く出社した沙也加は、これまたいつもより、小さな声で同僚たちに挨拶をして自分の席へと向かう。


 なぜこのような挙動不審な動きを見せているかというと――。


(ど、どうしよう……高橋課長に会いたくない……)


 昨日、あーだこーだ言ってた【高橋課長のことたぬきちいつ知ったか問題】であった。


 それもとんでもないことを仕出かしたのだ。


(というか、まさか飲みの席で、私が課長にうざ絡みしてたなんて……なんでそんなことするんだよぉぉぉぉ! 三年前の私〜!!!)


 これが自業自得というやつである。

 それもなんだかんだで、深掘りしていくと、まずは課長に犬(たぬきち)のことを語りまくり、その後の二次会では、ジョッキ片手に同じ課の人間へ向けて大立ち回りをしたらしい。


『生産盛り上げていきましょう!』や『この会社最高すぎる!』や『みんな大好き!』などのシラフでは、絶対に言わないセリフで。


 これだけでも、恥ずかしいのだが、まさかの本人の記憶にはこれっぽちも存在してないのだ。 


 酒は飲んでも飲まれるな、の体現者――控えめに言って社会人失格である。


 では、なぜ知っているのかだが――。


(でも、さすがたぬきちだな〜! 三年前の飲み会のことを覚えているなんて♪)


 そう、ニマニマ自らのデスクに着いた沙也加が、心の内で口にするように、例の如く、自宅に住まうシゴデキママたぬき――たぬきちが覚えていたからである。


 それだけではない。

 その助言を受けて、それとなーく後輩由紀に聞いたのだ。


 たぬき様々である。


(そ・れ・に♪ 料理上手だし、なによりもふもふだし〜♪ 本当に感謝しないとだな〜♪)


 デスクにマウス、その右側にたぬきち特製ほうじ茶の入った保温ボトルを置き、ノートパソコンを立ち上げながら、そんなことが頭に浮かぶ。


 結局のところ沙也加の頭の中は、たぬきちでいっぱいなのだ。

 なんとも呑気なOLである。


 そんなこんなで、仕事の準備を進めていると、オフィスの入り口から声が響いた。


「おはようございます」

「あ、おはようー! 由紀ちゃん♪ 昨日は助かったよ〜!」


 昨日、このよくわからない騒動に巻き込まれた猫派でボブヘアが特徴的な倉下由紀である。


「おはようございます、先輩! いいえ、力になれて良かったです! でも、急にどうしたんですか? 三年前のことを聞くなんて……」

「あはは〜……いや、昨日課長と話す機会があってね! ふと、三年前の忘年会のことが過ったんだ〜!」


 真実の中に嘘を交える――その手口まさに詐欺師。

 しかしながら、この江ノ上沙也加二十八歳は、そんな嘘を突き通せるほど、胆力はなくて――。


(えーん! どうしよう……由紀ちゃん相手に嘘ついちゃったよー!)


 視線を合わせながらも、そわそわそわそわ、全く落ち着きがなかった。


 そんな状態と先程の発言からだろうか、事態は思わぬ方向へと向かう。


「なるほど……もしかして先輩――」


 由紀は、そう口にすると周囲をキョロキョロ確認しながら、一度話を切って、

 

「……高橋課長を狙っているとか……?」


 耳元でそんなことを告げた。


 とんでもない勘違いである。

 対して、そのとんでも質問を受けた沙也加はというと――。


「え――っ?!」


 驚きのあまり一瞬声を上げてしまう。


 けれど、伊達に社会人経験を積んではいない。


(危なかったぁぁ〜!!! こんなところで大声を上げたら、どんな噂が広がるかわかんないからね)


 人というのは基本的に噂好きなのである。

 それも恋愛関係になると、学校であろうと職場であろうと関係ない。少しでも匂わせたら瞬く間に広がっていくのだ。


 それにしては、脇が甘いような気がしないでもないのだけれど、それとこれとは別なのである。


 とにかく、ことが事だけに、そう認識した沙也加は、声のボリュームを落として、そーっと由紀に問いかけた。


「……ど、どういうこと?」 

「いや、だってそう思いません? 普通に考えて」

「普通にって……なんでそうなるの?」

「だって、三年前のことをわざわざ聞き出そうとするんですよ? なにかきっかけで思い出したからって、普通はそこまでしませんって」

「た、確かに……」


(どうしよう……反論できないよ〜! でも、待って! そもそも私と高橋課長じゃ釣り合わないって! それにうちにはたぬきちがいるし!)


「でも、私には――」


 そう思って本心を口にしようとした。


 が、その直後――沙也加の動きが止まった。


(いやいやいや! これってそのまま口にしたらダメじゃない? どこの家に二足歩行で日本語を喋るたぬきがいるのよ!)


 そう、ようやく脇の甘さに気付いたのだ。


 恋愛関係の話なんかよりもよっぽど、話題性に富んだ話――喋るたぬきのことを、職場で口にしないと誓ったというのに、ごく当たり前のように話そうとしていたことに。


(でも、本当のことだし――)


 確かに本当のことである。

 今だって、子供用のエプロンを身に着け、自宅でその家事スキルをいかんなく発揮しているところだろう。


 全くどうしているのか、定かではないが、買い出しだって、近所付き合いだってこなしているっぽいのだ。


 だが、そこが問題ではないのだ。


(痛い系のキャラって、思われるよね……完全に)


 これがまだ良いところで、下手をしたら、この三年間で繋がった職場仲間と距離が出来てしまう。


(ようやく、お仕事を楽しいデスマーチと思えてきたのに〜!)


 楽しいデスマーチ……労働をそう捉えている時点でまだまだ抜け出せていない気がしないでもないが、シゴデキママたぬき――たぬきちの成果が全て泡と消える可能性があるのだ。


(うん、それはよくない。よくない!)


 そう感じた沙也加は、覚悟を決めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る