拝啓:過去の私へ
美月
第1章 カルミアの足元で
目を覚ますと、私は花で満ちている場所に横たわっていた。
風が吹くたび、色とりどりの花々が波のように揺れ、私の周りを駆け巡る。
ここがどこなのか。
どうして自分が眠っていたのか。
それどころか、自分の名前さえ思い出せない。
けれどただ一つ、鮮明に覚えていることがあった。
"花の名前"と、"花言葉"。
これだけは忘れていなかった。
視界の端に淡い桃色の花が映った。
たしか、あれはカルミア。
花言葉は「大きな希望」。
その言葉だけが、今の私に残された唯一の拠り所のように思えた。
花をそっと摘み、お守りのつもりでポケットに入れ、私は花畑の中を歩き出す。
少しすると、花畑の向こうに大樹が影を落とす小さな丘を見つけた。
休めるかもしれないと思い、丘を登る。
そこには、私より少し年下に見える少女がいた。
15歳くらいだろうか。
光を遮る枝の下で、彼女は本を読んでいた。
私「こんにちは」
返事はない。
聞こえなかったのか本をめくる手は止まらなかった。
私「こんにちは!」
少女「......」
私「こんにちは!!」
ページをめくる手が止まり、少女がこちらに目を向けた。
少女「聞こえてるからしずかにして」
読書を邪魔されたのが相当気に食わないらしい。
不機嫌さが露骨に伝わる。
それなのに不思議と、私は彼女をどこかで知ってるような感じがした。
諦めずに尋ねる。
私「目が覚めると知らない場所にいて、記憶も名前も何もわからないの。一体ここはどこなの?」
少女はため息とともに本を閉じる。
少女「ここがどこだって、気にする必要あんの?今、本読んでるんだけど」
突き放す言葉の奥に、なぜか”迷い”が一瞬だけあった。
気になって、ポケットの中のカルミアを握る。
私「この花あげるよ。カルミアって言ってね、花言葉は大きな——」
少女「”希望”でしょ。それくらい知ってるよ。......はぁ。しつこいから一つだけ質問に答えてあげる。答えたらどっか行って。」
一つだけ。
悩んだ末に、私は尋ねた。
私「あなたの名前を教えて」
少女はしばらく考えるように視線を泳がせると、つまらなさそうに言った。
少女「じゃあ......カルミアで」
私「『じゃあ』って、なんで嘘つくの。本当の名前を教えてよ。」
少女「名前なんてどうでもいいでしょ。今から私はカルミア。はい質問終わり。」
適当にやり過ごされてしまったが少女、いやカルミアの弱点はおそらく押しに弱いところだ。
私「カルミアちゃん、何の本読んでるの?」
カルミア「ちゃんづけとか気持ち悪......。質問に答えたんだから、どっか——」
私「行かないよ。本のタイトルくらい教えてくれてもいいじゃん!」
カルミア「あなたにとって知らない方が幸せな内容だから教えませ~ん」
知らない方が幸せ?
そんなこと言われると余計に気になるに決まっている。
私「ねえカルミア。後ろに綺麗な白いゼラニウムが咲いてるよ」
カルミア「えっ!?」
カルミアが振り向いた隙に、そばに置いてあった本を素早く手に取った。
私「白いゼラニウムの花言葉は”偽り”。こんな嘘に引っかかるなんて、案外チョロいね。」
手にした表紙。そのタイトルを見た瞬間、胸が締め付けられた。
「松本 花菜」
それは......"私の名前"。
喜ぶ間もなく、疑問が押し寄せる。
なぜカルミアが、私の名前がタイトルの本を持っていたのか。
花菜「カルミア、この本......どこで手に入れたの?」
カルミア「......そこに落ちてた」
花菜「こんなの落ちてるわけないじゃん!どういうこと?」
数秒の沈黙のあと、カルミアは小さな声で言った。
カルミア「......私が書いたの」
花菜「え?」
カルミア「あなたのことを、私が書いたの。だから返して」
カルミアは私から本を取り返し、胸に抱えた。
カルミア「これはね、あなたの”過去”を書いた本なの。だから言った。あなたは知らない方が幸せだって」
自分に何があって、なぜ記憶がなくて、なぜこの世界にいるのか。
そして、この少女は誰なのか。
疑問は消えるどころか、増えるばかりだった。
私「読みたい。......私は私のことを知りたい」
カルミアは視線をそらし、小さく呟いた。
カルミア「読めば、二度と”今のあなた”には戻れない。何も知らずに笑っていられる花菜には......もう戻れないよ」
私「覚悟はできてる。だから、読ませて」
その瞬間、風が止み、大樹も花畑も静まり返った。
まるでこの世界そのものが、私の覚悟を確かめているようだった。
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