海岸の迷宮

棚花ハナ

第1話

ネオンの人工的な光が街を照らす。星さえほとんど見えない空の下で、代わりとばかりに街は光を内包していた。


そんな街明かりの下を疲れた顔をした労働者が行き交い、酒場の呼び込みが煽り文句を謳う。


それをかき消すような轟音でバイクが行き交う。


夜になると、この世界のまともな人間は繁華街から決して離れない。


だからこそ、少し裏路地に入れば喧噪は瞬く間にかき消える。不良や物乞いの類いすらない。


辺りには乾ききった生ゴミやガラクタだけが放置されていた。暗闇を覗かせたビルが墓標のように建ち並ぶ。


女は壁を背にして立ち、目に涙を浮かべている。その周りを下卑た唸り声をあげるゴブリンや理性を失った獣人といった異形の存在がぐるりと囲んでいた。


その中でも一際大きいゴブリンが雄叫びをあげながら飛び上がる。女は咄嗟に顔を覆い、迫る死を実感した。


その瞬間、筋肉質な太い足がゴブリンの腹部に食い込む。


突如現れた男は隆々とした筋肉を誇るように空中で唸り、ゴブリンへもう一度蹴りを入れた。


哀れな怪物は悲鳴をあげながら飛んでいく。


「シュリ、そっち行ったぜ!」


「行かせたの間違いでしょ」


男がシュリと呼んだのは仲間の女だった。


ウルフカットに右目の眼帯をした黒塗り無地のライダースーツの女ーーシュリは飛んでくるゴブリンを冷徹に見据えると、軽く腕を振るった。


次の瞬間、鋼線がその手から発射され、獲物へと巻き付く。


ゴブリンは助けを求めて叫んだ。シュリにとっての死角となる右手から別のゴブリンが飛びかかる。


だが、シュリが再び腕を振るった瞬間、鋼線がもう一本現れ、二匹のゴブリンはコンクリートの壁に叩きつけられて絶命した。


「助かった……」


目の前の異形達が次々と倒されていくのを見ながら、女は思わず脱力して座り込む。


「邪魔」


その瞬間、閃光が走った。女の背後から襲いかかろうとしていた獣人が瞬く間に切り刻まれる。


噴き出す血を刀が払った。その場に立っているのは青年だった。括られた長い黒髪に中性的な声、顔立ちは一見すると女性と見紛う。


だがその体躯は細身ながらも鍛え上げられ、抜き身の刀を思わせる鋭さがあった。


「あ、ありが…」


「聞こえなかったのか、僕はあんたに言ったんだよ。戦いの邪魔」


女にそう吐き捨てると、青年は刀を鞘に収める。

その様子を見て、ようやく女はふらふらと駆けていった。


「ユキ、相変わらず冷てえなぁ。礼くらい素直に言われておけよ」


「僕の勝手だろ」


ユキ呼ばれた青年は少し眉をしかめる。


その顔を見て、呼びかけた男は呆れたように笑った。


その体は既にゴブリンの返り血で濡れている。


鍛え抜かれた格闘技を武器に戦うスキンヘッドの男はダンプといった。


「そうね。それに…こんな所にいた彼女も悪いわ」


ダンプの後ろにはシュリが続いて歩く。


薄暗い夜の中で、ダークブルーの虹彩が爛々と輝いていた。


その視線は溢れて出る残党達への視線だった。襲い来る怪物にシュリは鋼線を振るう。


「おぉ!今日はまだまだ戦えそうだな」


ダンプは雄叫びをあげながら突撃した。その様子を見て、ユキは軽く溜息を吐くと刀を抜く。冷たい鉄の光が路地を照らした。


彼等のような異形を狩る存在を、人々は『狩人』と呼んだ。


この世界に異形が溢れたのは十五年前の話だ。当初こそは狩人は家族や友人などを守りたい者の為に戦う者達が大半を占めていた。


だが国を挙げて異形への対策が整備された現在では、異形の皮や牙、内臓を取って報酬を得ようとする者が大半であり、ユキ達もまた例外ではなかった。


「いや〜今日は大儲けだな!あんなに高くうれるなんてよ」


ダンプはそう言いながら蒸留酒を喉を鳴らして飲む。


その隣でシュリも静かにグラスを傾けていた。


ユキも同じテーブルを囲み、皿の上の肉を切っている。


三人が祝杯をあげているのは裏路地のすぐ近くにあるバーだった。


繁華街から離れた場所にあることもあり、この辺を縄張りにしている狩人達が客の大半を占めている。


狭い店内を押し合うように埋めている彼等は、僅かな憩いを各々で満喫していた。


「お〜い、次はビールくれ」


「僕にはチキンを」


ダンプとユキが呼び止めると、通りかかった店員は頷いて去っていった。


店員と入れ替わるように、三人の元へと一人の女が歩み寄る。


「あの…」


気弱そうな顔をした女だった。顔立ちは悪くなかったが、薄暗い店内のせいで顔にやけに影が落ちているようだった。


「姉ちゃん。俺達に何か用か?」


「いえ、改めて御礼を言いたくて」


「改めて…?こんな美人なんて忘れるわけが無いんだがな」


ダンプはそう言うと首を捻っていたが、それにユキは冷ややかな眼差しを向ける。


「忘れてるよ、ダンプ。どう見てもさっき助けた人だろ」


「あぁ〜なるほどな!」


ユキの言葉を聞いて、女も顔を輝かせて頷いた。


彼女が口を開こうとした瞬間、それを遮るようにシュリの声が響く。


「礼なんていいわ、当然のことをしただけだから」


言葉とは裏腹に、シュリの片目が鋭く女を睨んでいる。


ユキも同じように冷徹な目を女に向けていた。


「なんであんたは僕達がここで飲んでたって知ってるんだ?」


「え…、単純な話です。偶然見かけて…」


そこでようやくダンプは合点がいった様子で笑った。


「俺らはあの後一時間は戦ってたんだぜ?普通の女ならさっさと繁華街まで抜けて、家で震えて寝てる頃だろ」


「そういうこと。さあ、下らない芝居はいいから本題に入ってよ」


そう言いながらユキは店員を呼び止めて、ラムの骨付き肉を追加で注文した。


女は目を閉じて、肩をすくめる。観念したような態度だった。


「流石です。でも御礼を言いたかったのも嘘ではないんです」


そう言うと女は懐から何かを取り出すと、ユキに手渡した。


ダンプとシュリが両脇からユキの手元を覗き込むと、そこには古びた館が映っている白黒写真があった。


「ここは?」


シュリが聞くと、女は簡潔に答えた。


「メメント海岸沿いのとある邸宅です。」


それを聞いたダンプは目を開く。


「死の館か…!」


「話が早くて助かります。そう。この館は、最初では死の館と呼ばれているようですね」


「ああ、大した宝も無い癖に、中に入った狩人がみ〜んな死んじまってんだろ。これの何が礼なんだよ」


「二枚目の写真を見てください」


ユキが写真を捲ると、唸るほどの金塊が詰まった部屋が映っていた。天窓の外にはメメント海岸がはっきりと写っている。


ダンプは思わず息を呑む


「撮られた経緯は言えませんが、これは間違いなく館の内部の写真です。それから、これを」


女は黙って聞いていたユキへと、古びた鍵を手渡した。


「……館の鍵って訳か」


「ええ。この情報と鍵が御礼です。助けてくれてありがとう」


それだけ言うと女は踵を返した。


「あんたは行かなかったのか?」


遠ざかろうとする背中に、ユキは呼びかけた。


「私のような弱い人間が行っても生きて帰れませんから」


女は振り返らずに言うと、今度こそ人混みに消えていった。


ユキは黙って手元の二枚の写真を眺めている。


「それでどうするの?」


シュリが少し焦れた様子でユキへと視線を向けた。


「決まってんだろ!明日にでも殴り込みだ!」


「僕もそれで構わない」


ユキが無感動にそう言うと同時に、ビールとチキン、ラムの骨付き肉が運ばれてきた。


ダンプは意気揚々とビールを飲み干し、ユキは静かに肉を切り始めている。


「決まりね。私達の幸運を祈りましょう」


そう呟くと、シュリは再びグラスを傾けた。


次の日、夜明けの海岸沿いを走る自動車の姿があった。


ダンプ、シュリ、ユキの三人を乗せた車は既に二時間ほど走り続けていた。


館の噂こそ狩人の間では囁かれていたものの、場所を知る者はほとんどいない。


三人も女から貰った館の写真を見ながら、メメント海岸沿いの建物を虱潰しに探していた。


「……見つけた」


助手席に座っていたユキが窓の外を指さす。


ダンプはすぐさま車を止め、双眼鏡を覗きこんだ。木々の隙間から僅かに見える外観は、確かに写真と一致している。


ダンプは陽気に口笛を吹いた。


館の目の前で三人が車から降りた時、辺りに人影はなかった。


この辺りは一般的なビーチからも遠く、観光客などもいない。


民家の類も存在せず、館を囲うように植えられている木々と合わせて、この館が人から切り離されているような印象を三人に与えた。


だが、ユキは降りた瞬間に眉をひそめた。革のジャケットを羽織りながら油断なく辺りを見渡している。


シュリはその様子に違和感を覚えた。


「どうしたの?」


「いや…誰かの視線を感じた気がした」


シュリがユキへ詳しく聞こうとした瞬間、ダンプが二人を呼ぶ声が響く。


「今はもう何の気配もない。行こう。」


「そうね」


怪しい気配を探しきれず、諦めたシュリはユキに続いて走った。


ダンプは二人にぶんぶんと手を振っている。それには応えず、ユキは淡々とした調子で口を開いた。


「どうした?」


「ここから入れそうだ!手間が省けたな」


「でもここ正面扉だろ。そう簡単に…」


ユキは疑いの眼差しを向ける。その時、両開きの扉は静かに開いた。


三人は思わず戦闘態勢に入ったが、相変わらず辺りからは何の気配も感じられなかった。


扉が自動で開いたとしか思えない状況だった。


「ダンプ、他に入り口は?」 


「なかった。どこも塞がれててな」


その答えを聞き、ユキは刀を鞘に戻した。


「仕方ない。ここから入る」


「おう!」


「賛成」


三人は静かに館へと足を踏み入れた。内部にはカビ臭い空気が辺りに流れている。


玄関ロビーのようなものはなく、ただただ⻑い廊下が奥へと続いていた。


「僕が先に行く」


「頼む、ユキ」


ほんの数歩進んだ瞬間、玄関の扉は音を立てて閉まった。


思わず三人は振り返るが、既に扉は固く閉ざされた後だった。


「誰か姿を見たか?」


ダンプが口を開いたが、ユキは黙って首を振る。


シュリも同様で、閉ざされた扉を無表情で見ているだけだった。


三人はすぐに先に進んだ。この館に仕組まれた何かがあることは明らかだ。


だが、それを立ち止まって検討するには材料となる情報が足りなかった。


廊下には面している部屋も幾つかあったが、どれも家具すらほぼ置かれていない空き部屋だった。


外観からは想像できないほど⻑い廊下は、曲がりくねりながら続いている。


その瞬間、足下の床が抜けた。二メートル四方の大穴が開く。


ユキは咄嗟に正面へ飛んだが、後ろにいたダンプとシュリは間に合わなかった。


伸ばされた鋼線は虚しく空を切り、二人の絶叫が響く。


ユキはすぐさま穴を覗き込んだが、既にダンプとシュリは奈落の底に消えてしまった後だった。



残響すら聞こえなくなった瞬間、何事も無かったように床は閉まり、元に戻った。


その床をユキは一瞥した後、歩き始めた。


仲間が死んだことも、彼にとっては特に感情を動かすことでもないらしかった。


終わりなどない迷宮のように続き、襲い来る罠も増えていった。


飾られている彫像から放たれる銃弾を斬り捨て、床から飛び出す刃を飛び越える。


天井から降ってくる異形の群れを、ユキは瞬く間に一掃した。


数々の罠が相手でも彼の冷静さが崩れることは無かった。


「内部の地図も渡してくれたら良かったんだがな」


壁から飛び出す回転刃を避けながら、ユキは呟いた。


体感で数時間は歩いた頃、廊下の突き当たりに両面開きの扉が見えた。


それを見た瞬間、ユキは僅かに目を見開く。


だが、それと同時に背後で何かの駆動音がはっきりと響いた。


思わずユキが振り返ると、背後の廊下の壁がゆっくりと迫ってきていた。


このままでは押し潰されると直感し、ユキは弾丸を思わせる早さで前へ飛び出した。


追い打ちとばかりに出てくる回転刃を刀で防ぎ、体を捻ったまま落とし穴を飛び越える。


扉の前に辿り着くまでに数秒もかからなかった。勢いのまま体当たりするように扉へと蹴りを放つが、扉は固く閉ざされていた。


「くっ…!」


背後に視線を向けると、廊下は既に潰れかかっている。


一刻の猶予も無い。貰った鍵を咄嗟に掴み、扉を調べると、小さな鍵穴が見えた。


叩き付けるように鍵を差し込むと、扉は音も無く開いた。


ユキが部屋の中に転がり込むと同時に、あれほど⻑かった廊下は壁に押し潰されてしまった。


扉が音を立てて閉まり、後にはユキの荒い呼吸音だけが響いている。


ユキは埃を払って立ち上がると辺りを見渡した。


辿り着いた部屋は天井が高く、天窓からは午後の日差しが穏やかに差し込んでいる。


「ここは……あの部屋か」


ユキは写真を取り出すと、部屋と見比べた。日差しの方向から考えて、天窓の外にはメメント海岸が見えるのだろう。


壁の様子も写真とピッタリと一致していた。だが、肝心の金塊はどこにも無かった。


そこにあるのは今にも崩れそうなほど古ぼけた家具ばかりだった。


「それで、お前は何者だ?」


ユキが置かれていたソファを睨み付けながら呟くと軽やかな笑い声が響いた。


「気がついてたの? 驚いた」


ソファの影から出てきたのは、ユキより少し年下の少女だった。


白い肌と金髪が日に透けるようにきらきらと輝いた。


「あれだけあからさまに監視されていたら誰だって分かる」


「嬉しいな〜。お兄ちゃん、本当に腕が立つ人なんだね」


少女は踊るような足取りでユキへと近づいた。


ユキは刀に手を掛けながら少女を睨み付けている。刀の間合いに入る寸前の位置で、少女は立ち止まった。


「質問に答えなきゃね。私はアリシアっていうの。よろしく」


無邪気に手を差し伸べるアリシアを見て、ユキは面倒そうに眉をしかめた。


「じゃあ、アリシア。ここにあった金塊を知らないか?」


「まだあなたの名前を聞いてないよ」


「ユキ」


「ユキ、良い名前ね。あなたにピッタリ。ユキ……ユキかあ……」


噛み締めるように何度も名前を呟くアリシアをユキは怪訝な目で眺めた。


ひとしきり呟いた後、咄嗟にアリシアは顔を上げる。


その瞬間、二人の目が合った。ユキは目の前の少女が自分と同じ緑色の目をしていることに気付いた。


「決めた。ユキにならここにあった金塊の場所、教えてあげる」


「それはありがたいな。どこだ?」


アリシアは微笑みながら二、三歩ユキへと近づいた。


ユキは刀の柄に手を掛けたままアリシアを見下ろす。


「案内してあげるから、私も一緒に連れて行って」


「嫌だ。場所だけ教えてくれ」


それを聞いたアリシアは笑いながら首を振った。


「だーめ。ここから海を越えた場所だし、生体認証で私がいないと入れないよ」


ユキはますます眉をしかめた。その内心を見抜いたようにアリシアは口を開く。


「一人で行っても無駄足になると思う。この館の技術力、見たでしょ」


アリシアの言うとおりだった。ユキは観念したように頷くと、刀の柄から手を離した。


その瞬間、アリシアは駆け寄ってその手を握る。


「やった〜! ありがとう、ユキ」


「触るな」


ユキはすぐさま手を払ったが、アリシアは気にした様子もなく、笑いながら辺りを飛び跳ねていた。


「じゃあ外に出ましょう。こっちよ」


アリシアは閉ざされた扉に近づくと、ドアノブに手をかざした。


扉を押すと、外の海岸が見えていた。


館にはない新鮮な空気が二人の肺を満たしていく。吹

き抜ける潮風が、アリシアの金髪を弄んでいた。


「連れ出してくれてありがとう。これからよろしくね」


アリシアはユキに振り向くと、緑の目を細めて笑った。ユキは小さく溜息を吐くと、低い声で答える。


「……ああ。短い付き合いだろうが、よろしく頼む」


そのまま二人は連れ立って歩いていく。


停めてあった車にエンジンが掛けられ、瞬く間に遠ざかっていった。


誰もいない館だけがその影を見送るように残っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

海岸の迷宮 棚花ハナ @tana_455

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画