第3話
パルシュ国の中枢を構成するのは大きく分けて三つだ。
軍務界と司法界、そして精霊神界。
もともとは精霊神界が一番大きかったのだが軍事国家への傾斜に伴い、軍務界が存在感を増している。そして、行政機関を掌握する司法界は、実務の力で軍務界と拮抗する。
結果的に、現在のパルシュ国は軍務界と司法界の二大巨頭が率いていると言っても過言ではなく、パルシュ国建国に大きく関わっていたとされる精霊神界の存在は年々薄くなっていた。
「パルシュ国が戦争を続ければ続けるほど、精霊を信じる国民も少なくなっている。目に見えないものを崇めてお布施を渡すくらいなら、今日のパンを買う、ってことだよ」
カミルのその言葉がパルシュ国の現実だ。
初めは、侵攻してきた隣国を討ち果たすために軍務界が存在していたはずなのだが、いまでは大きくなった軍務界を食わせていくために戦争を続けていた。一度手にした予算が削減されることを恐れた軍務界は規模を縮小させようとはせず、隣国に侵攻されないために隣国の力を奪う、という大義のもと、戦争を続けているのだ。
パルシュ国の軍隊は強く、大きな負けを経験していないだけに、軍務界の肥大を止めようとする動きは世論にも出てこない。
結果、予算を握る司法界と予算を取りたい軍務界との対立は深まるばかりだ。
そして、パルシュ国が戦い続ければ続けるほど、国民は現実的になっていく。
かつては精霊や魔物を信じ崇める国民性であったはずが、現在のパルシュ国民は全くそういったものに関心を示さない。
「とはいえ、今はパルシュ国以外の国も、精霊だの魔物だのは信じている方が珍しいだろうね。まあ、とにかく、そういうことで精霊神界は昔に比べて随分と影が薄くなっているし、どういう組織なのか国民は知らないことも多い」
全く知らない、と言っても過言ではないマルティスは黙ってカミラの話を促す。
「精霊神界は大きく分けると5つになる。黄の神殿、緑の神殿、赤の神殿、青の神殿、そして白の神殿だ。白は教育機関だから置いておいて、四つの色つき神殿にはそれぞれ、1人の最高神官がいる。それが所謂、色つき神官。ちなみに色つき神官には金の神官というのもいるけど、こっちは精霊神界をパルシュ国建国時から率いてきたベイカ侯爵家の世襲だから、これも省いておく」
ベイカ侯爵家は、アルトゥニス侯爵家と同列の位にある。
どちらも建国時に尽力したが、アルトゥニス侯爵家が命を懸けて戦ったのに対し、ベイカ侯爵家は精霊とやらと語り合っていただけらしいが。
「色つき神殿にはそれぞれ奉っている精霊がいて、黄は土、緑は植物、赤は火、青は水だ。神官は白の神殿で教育を受けた後、それぞれ希望する色つき神殿へと入り、それぞれの精霊を奉って一生を過ごす。ちなみに、王都にはでっかい色つき神殿がそれぞれ一つずつ建てられているけど、地方に行けば小さな色つき神殿がいくつもあるよ。小さいものだと、農家の馬小屋くらいの大きさらしい」
小さく窄んでいく精霊神界ならば、そのくらい小さい神殿があると言われても不思議ではなかった。
「色つき神殿に入るまでは本人の希望が通る。もっとも、人数調整はあるらしく、定員いっぱいのところだと却下されるらしい。だからはじめから定員いっぱいの第一志望より、ちょっと余裕のある第二志望を希望する者もいるらしいよ」
目に見えない精霊をどうやって奉っているのか知らないが、どうせ木彫りの人形くらいのものだろう。
人形の形が多少変わったところで支障はないと思うのだが。
「色つき神殿の構成なんだけど、最高神官が1人。以下は最大人数で、必ずしもこの人数を全ての神殿が抱えているわけではないんだけど、上級神官が5人、高神官が10人、副高神官が30人で、あとは普通の神官となる」
役付き神官に役職手当が付くとなると、最高神官を入れて46人。それが四つの色つきとなるから、184人。
もし手当てがあるとして、1人いくらを手にしているのかは知らないが、無駄な出費だとマルティスは思う。
最高神官のみにすれば4人で済む。金の神官を入れても5人だ。
無駄な役職を作って余計な予算要求をしているのではないのかと穿った見方をしてしまう。
マルティスは定例会議でも滅多に見かけない金の神官、ベイカ侯爵を思い出す。金色一色の派手な衣装を身につけた老人だった。三界で行う定例会議には出てこないくせに、陛下の前で行われる御前会議には、息子を伴っていつも出てくる。
そして、定例会議で決定されたはずの案件に横槍を入れるのだ。事もあろうに御前会議で、あの老人はいつも、いつも、いつも、いつも、何かしら口を挟む。
先月の御前会議では、精霊神界の予算があまりに少ない、と訴えていた。それが声高に叫ぶのではなく、さり気なく、いま気づいた、という風を装っているものだから国王陛下も、お? と聞き返すのだ。
国王陛下の関心を止めたのをこれ幸いにと、ベイカ侯爵は進言を続け、結局、定例会議で決まっていたはずの精霊神界の予算が1割増しになってしまった。
あの御前会議の後三日ほど、ガーランドは荒れに荒れた。それ以上に、軍務界が荒れた。
何せ、精霊神界に廻された予算は、軍務界に渡されるはずの予算だったのだから。
「色つき神官……最高神官というのは、特別なんだ。希望してなれるもんじゃないし、推薦でなれるものでもない。最高神官は……精霊が決めるんだ」
うっとりとカミラが言った。
この男は誰よりも現実的なのだが、同時に、子供騙しの与太話を好んだ。魔物だの精霊だの、マルティスにとっては鼻で笑う話だ。ガーランドはそれ以上に信じていない。
「現在は4人の最高神官が揃っているけど、もし誰かが欠けた場合、精霊神界は精霊に聞いて、最高神官を決めるんだ」
「……それは、本当の話か……」
「ベイカ侯爵家に集められた神官の中から、精霊がこれ、と決めた1人を決定するらしいんだけど、非公開だからね、何とも言えないとこはあるよ。本当は話し合いで決められているけど神秘性を増すために、そういうことにしているとか。……今までにも色々、憶測は生まれているからね」
いつの時代の誰だって、そう思うだろう。
「最高神官が持っているオーベ、知っているよね?」
御前会議に出てきた神官たちが持っている、長い槍のような杖のことを言っているのだとマルティスはすぐにわかった。
カミラは本の山から一冊を取り出し、目当ての頁を開いてマルティスに示す。
いつも思うことだが、この本の山からたった一冊を、どうして迷わず探し出せるのか。マルティスには謎だった。
「これが最高神官のオーベ」
四つの杖、オーベが詳細に描かれていた。
最高神官たちが持つオーベは長さにすると180㎝ほどだった。
黒い柄の上に金色の大きな飾りが付けられている。平たい円形の大きなその飾りは、四つそれぞれに異なる形状をしていた。
多分、赤の神官のオーベは火を意味していて、青の神官のオーベは水を示しているのだろうとマルティスには思えた。
「話によると、ベイカ侯爵家に集められた最高神官候補たちは……ああ、一応ね、候補は決められているんだよ。誰がなるかわからないからって、神官全部一同に集めるわけにはいかないし、資質とか行いとか、そういうのを見て、各神殿から推薦された神官が集められるんだ」
見るのは資質と行いだけだろうか。
マルティスの目が眇められた。
「で、集められた神官たちは順々に、このオーベに手で触れるんだ。オーベに触れて、何も起こらなかった者が最高神官だと、精霊に選ばれた証となる。……もし、選ばれていない者がオーベに触れた場合、反動で飛ばされるらしいよ? ちょっと、見てみたいよね……」
うっとりと遠い目をしてカミルが言う。マルティスの目は益々眇められる。
「……それは、真実なのか?」
「さぁ? とにかく精霊神界はそう言っているし、神官の誰も否定していない。僕たちのような一般国民にとっては、誰が最高神官だろうがどうでもいいことだし。……ただね、僕が最高神官、それも青の神官に会いたいというのにはちゃんと理由があるんだよ」
カミルが青の神官に会いたい理由などマルティスには関係ないし興味もない。だが、鳥の足のような細い手がマルティスの袖を掴み、さあ訊ねてくれ、とばかりに見上げられると無視するわけにもいかない。
ここで無視をしてしまうとこの男はいつまでも粘っこく覚えていて、次に情報を引き出すときに面倒が起きる。
マルティスはこれ見よがしに溜息を吐いて、訊ねた。
「……理由は?」
そっけない一言だが、カミルは嬉々として説明する。
「普通はね、ひとつのオーベに一人の最高神官なんだよ。オーベができたのが結構古くて、今から800年前にはすでに存在したと記されている。その頃から一つのオーベに一人……って言うのか知らないけど、まあ、一人の精霊がついていて、持ち主になる神官は一人なんだよ」
「で……?」
マルティスは早くこの部屋を出て行きたいのをぐっと堪え、先を促す。骨と皮だけの手はまだしっかりと、マルティスの袖を捕らえていた。
「何十年も持ち主のいないオーベが出たりしたことはあったけど、一つのオーベに一人の最高神官というのは変わらない。ちなみに、オーベは別に飾りでもなんでもなくて、神官が持つ神秘的な力を増幅させるための道具、みたいなものでね……」
「神秘的……?」
体の半分が扉に向かっていたマルティスは振り返り、聞き返す。
「そう、神秘的な力。黄の神官は土を操り、緑の神官は木を操り、赤の神官は火を操り、青の神官は水を操る。金の神官であるベイカ侯爵は精霊を操る力は持っていないから、金のオーベはただの飾りだけどね」
マルティスは、緋鳥将軍アマス・キエンヒ・コーエン侯爵の妻であるジェレミヒ・アミラ・コーエン侯爵夫人を思い出す。
コーエン侯爵夫人は、赤の最高神官だ。貴族社会の常識を無視し、この二人は大恋愛の末の結婚であり、コーエン侯爵夫人は緋鳥将軍が進軍する際には必ずついていき、共に戦うのだ。
ガーランドに従い進軍した際にマルティスも一度、コーエン侯爵夫人の戦いぶりをその目で見ている。
どういう仕業かわからないが、侯爵夫人を囲むように火が現れるのだ。
そして、真紅の神官服を着た侯爵夫人の手には確かに、金色に輝くオーベが握られていた。
「コーエン侯爵夫人のあれも、神秘的な力というやつだろうか?」
神妙な表情で窺うマルティスに同調するように、神妙な表情でカミルも頷く。
「戦場で敵兵を焼き尽くす赤の神官か。噂には聞いているよ。あれもそうなんだろうね。赤の神官は、火の精霊を奉っているし」
屋敷で籠もっているくせにカミルが情報通なのは、各貴族が抱えている司書と手紙を交わしあっているからだ。
出不精なくせに筆忠実なこの男の知人は非常に多い。
同じ司書だから通じ合うところもあるのかもしれないが、カミルの知人の中には王宮の司書も加わっているのではないかと、マルティスは密かに恐れていた
「パルシュ国建国前となる、1200年前に書かれた文献によると……人は誰であろうとも精霊と意思を交わすことはできる。だが、精霊がそれぞれに特性を持つように、人にも特性があり、意思を交わすことのできる精霊は一人の人間につき、ひとつであると決まっている……と記されている」
いつ読んだ文献を諳んじたのかわからないが、まるでいま目の前の本を読んでいるかのように話す。
「だからこそ、ひとつのオーベに一人の神官なんだ。……いや違うか。一人の神官に、一つのオーベなんだよ。精霊神界は頑として認めないけど、オーベ選別者の儀式では一つのオーベを持てる神官が一人ではなく、複数人選別されるらしい。でも最高神官は一人と決められているし、オーベ自体が一つしかない。オーベが、精霊の力か人間の力かわからないけれど増幅するための道具である以上、そう簡単に作れる物でもなくて、結局、持てる人間は一人となる。とにかく、何が言いたいかというと……」
カミルは乱れた考えを直すように指を振った。
「人間に特性があり、相手にできる精霊はひとつ。精霊は、相手にする人間を複数人選び出せたとしても、人間側にはそれほどの余裕はなく、一人の人間にひとつの精霊。だから一つのオーベを持てる神官が複数人出たとしても、反対は起こりえない。それがパルシュ国、精霊神界の定説だった。……だけどね?」
きらりとカミルの目が光ったような気がした。
「青の最高神官は違うんだ! いま、この時代にいる青の神官はね、全部、持てるんだよ! 四つのオーベ、その全てを持つことができる。歴史書をいくら紐解いても絶対に出て来ることがない、唯一無二の存在なんだ!」
にこにこと、40手前の親父が両手を握りしめて笑った。
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