神子様のお世話係 ~光魔法しか使えない伯爵令嬢は、冷酷王の心に光を灯す~
・めぐめぐ・
第1話 光魔法しか使えない令嬢
豪華な廊下。
そこを照らすのは、淡く輝く光の玉。
私が生みだした――光。
真っ白ではなく、少し黄色みがかっている。見ていると、心がざわついて落ち着かなくなるのは何故だろう。
静かに輝きを放つ光が私に、何かを果たせと訴えかけているように思えるのは、ただの妄想だろうか。
そんなことを考えていた私の鼓膜が、怒声によって震えた。
「ミーティアお嬢様!? 何をぼーっとなされているんですか! さっさと手を動かしてくださいませっ!」
この声は、この屋敷――エルタナ伯爵家の侍女達を統括する侍女長だ。
私は、手に持っているバケツと雑巾に視線を戻すと、次掃除すべき窓枠に駆け寄った。
そんな私を見下すように笑う侍女長。そしてハッと鋭く息を吐き出すと、傍にいた別の侍女に目配せをした。
侍女長の意図をくみ取った侍女は、小さく声を洩らして笑うと、私の後ろに立ち、これから拭き掃除をしようとしていた窓に向かって右手を突き出した。
彼女の手の輪郭が僅かに青く縁取られたかと思うと、窓全体が煌めく青い膜で覆われた。まるで向こうが透けて見えるほど薄いカーテンをかけたように見える。
でもそれは一瞬。瞬きを二回する頃には、青いベールは消え去り、現れたのは曇り一つない、磨かれた窓だった。
雑巾を握ったまま、私は立ち尽くす。そんな私の後ろから、大げさに噴き出す声が聞こえた。
「ぷっ、ふふふっ……! お嬢様ったら、【磨きの魔法】も使えないのですかぁ? 屋敷の侍女は、一人残らず使えるというのに」
「そんなこと、ミーティアお嬢様に言わないの。失礼でしょう?」
侍女長が侍女を諫めるが、本気で叱っていないことなど、声色で分かる。もちろん侍女も分かっているため、小さく舌を出し、心のこもっていない声色で謝罪をする。
私――ミーティア・エルタナの視線が、彼女たちから床へと落ちていく。仕事の邪魔にならないように一つくくりにした、艶のない金色の髪が、肩から胸元まで滑り落ちてきた。
胸の奥が、鉛を詰め込んだように重くなっていく。空気を吸い込んでも、しっかり肺の奥まで行き届いている気がしない。息苦しくて、肌に突き刺さるような悪意が痛くて、居たたまれなくなる。
そんな私の耳に、二人の会話が入り込む。ハァーという深いため息とともに言葉を発したのは、侍女長。
「光を灯す魔法しか使えないせいで、次期エルタナ家当主として認められず、肩身の狭い思いをされているのよ、ミーティア様は。せめて、屋敷中の照明を付けたり、私たちの仕事を差し上げて、少しでもエルタナ家の役に立つことを、伯爵様たちに示さなければ……ねぇ?」
「ごめんなさぁーい。でも不思議ですよねぇ。同じ血を引く妹君は、あれほど魔法に長けていらっしゃるのに……」
同じ血を引く妹君――クルシュのことだ。
この国には魔法が存在していて、人々の暮らしに深く根付いている。 クルシュは歴代のエルタナ伯爵家の人間達の中でも、特に魔法の才に恵まれていた。貴族社会でも一目を置かれており、両親自慢の娘だ。
だけど長女の私には……魔法の才能がなかった。
自由自在にありとあらゆる魔法を使う妹とは違い、私が使える魔法はただ一つ。
光を灯す魔法。
照明として周囲を明るくするだけの――誰でも扱える簡単な魔法、ただ一種類のみ。
使える魔法の種類が多いことに価値があるとされるこの国で、使用人必須とされる【磨きの魔法】や【清浄の魔法】すら使えなかった。
だから、エルタナ家を継ぐことになるであろう幼い私に、両親が色々と手を尽くしてくれたのを、ぼんやりと覚えている。
しかしクルシュが生まれ、彼女に圧倒的な魔法の才能があると分かってから、私に対する両親の態度が完全に変わってしまった。
エルタナ家の出来損ないだと貶し、照明係を命じられたのだ。
広い屋敷の隅々まで明かりを灯すのは、相当骨が折れる作業。それを毎日、私一人がさせられている。
今では、侍女たちや使用人たちからも見下されている。
私の価値を示すため、という理由で、様々な雑用を与えられている。
今、この瞬間も……
「せめて嫁ぎでもしてくだされば、クルシュ様に比べられて、肩身の狭い思いをしなくても良いというのに……それすら……ねぇ?」
侍女長に意味ありげに笑われ、私は咄嗟に首の後ろを押さえた。
私を嘲笑う二人の声が耳障りだ。何度聞いても心がざわつき、慣れることはない。
羞恥の中に僅かに混ざる怒りは、きっと今の境遇に私が諦めきれていない証。
でも今の境遇を脱する術は、未だ見つかっていない。
*
「お姉様!? 私の部屋の明かりが消えているんですけど!!」
キンキンと鼓膜を突き刺すような甲高い声が、部屋に響き渡った。
妹――クルシュ・エルタナの声だ。
一面、清潔感のある白で統一された壁に、バルコニーへ続く大きな窓。
窓の近くには、クルシュが気に入ったからという理由で、貿易商から大枚をはたいて父が買った一品物のテーブルと椅子が置かれていて、外に広がる見事な庭園を見ることができた。その日の気分によっては、バルコニーにテーブルを出し、風と日差しを楽しみながら、優雅にティータイムを楽しむこともできる。
部屋の壁には、有名な画家が描いた絵画が飾られており、ドレッサーの上には、いくつもの宝飾品が並んでいた。
相変わらず、同じ血を引く我が妹とは思えないほど、豪華な部屋だ。
そんな中、クルシュは青い瞳に怒りを滲ませながら私を責める。
「お姉様の光魔法は、他より長く持続するのだけが唯一の取り柄でしょ!? 何で私の部屋に限って、良く消えるのよ!! もう日も暮れてきているのよ!? 光がないと困るじゃないっ!」
「ごめんなさい……私も、こんなにも早く魔法の効果が消えるなんて思わなくて……」
クルシュの部屋は、光を灯す魔法が保たないことが多く、こうやって度々呼び出される。他の部屋や廊下の照明は、魔法を消すまで保ったままだというのにどうしてだろうと、いつも不思議だった。
光を閉じ込めているランプに手をかざす。
足の裏がじんわりと温かくなり、その熱が体中を駆け巡った。両手に熱を集めると、私はランプに視線を向け、どのくらいの明るさにするかイメージをした。
ランプの中に爪先ほどの球体が現れたかと思うと、それはみるみる大きくなり、部屋を照らすに丁度良い光量となった。体を駆け巡っていた熱が消え、魔法が成功したことにホッと胸をなで下ろす。
安堵する私を、クルシュがせせら笑った。
「お姉様、ランプを一つ灯すだけなのに、そんなにも集中しなければならないのですか?」
クルシュが指先をパチンと鳴らすと、部屋一面に、様々な大きさの光球が現れた。
これが才能。
私とクルシュの間にある、越えられない壁――
そのとき、私のお腹が大きな音を立てた。朝、パンを一枚与えられたきり、何も食べさせてもらえていなかったからだ。
慌ててお腹を押さえたけれど、クルシュにはしっかり聞かれてしまったようだ。私と同じ青い瞳を意地悪く細め、血色の良い頬と口角が上を向く。金色の巻き髪を指に絡ませながら私に笑いかけた。
「お姉様、お腹が空いているの? まあまた、時間通りに仕事終わらず、食べられなかったんでしょう? 魔法さえ使えればいいのに……ほんっと可哀想な人」
可哀想だと言いながらも、青い瞳に滲み出すのは侮蔑の色。クルシュはテーブルの上に乗っていたお皿から焼き菓子を一枚手に取ると、私の足下に放り投げた。
まるで犬や鳥に餌をやるかのように――
「私が特別に恵んであげるわ。ほら、拾って食べなさいよ」
床に転がった焼き菓子を一瞥しながら、クルシュが嘲笑う。そんな彼女に同調するように、部屋にいる侍女たちもクスクス笑った。
私は、焼き菓子を見た。
そして――
「食べ物を……粗末にしては、いけないわ、クルシュ」
そう言って床の焼き菓子を拾うと、部屋の端に置いてあったワゴンの上に乗せ、退室した。
後ろで、
「今の負け惜しみ聞いた? あははっ!!」
クルシュが手を叩きながら大笑いする声が聞こえ――扉を閉じると聞こえなくなった。
私が灯した光が輝く廊下を歩き、誰もいないのを見計らって、壁に背中を付ける。
先ほど触れた焼き菓子の匂いが、指先に残っている。その匂いを吸い込みながら、餌のように放り投げられた焼き菓子を思い出した。
悔しかった。
屈辱だった。
餌のように食べ物を与えられたから、というのももちろんある。
だけど一番辛かったのは、一瞬でも焼き菓子を拾って食べようと迷った私の――
卑しい心だ。
視線が下を向く。
次の瞬間、廊下に白い光が走った。屋敷のどこかで、光に驚いた者の短い悲鳴が聞こえた。
反射的に窓の外を見るが、薄暗くも、雲一つ無い空が広がっている。
音もないため、雷でもないみたい。
ふと一つの予想が頭に浮かび、言葉となった。
「……結界が、不安定になってる影響?」
私の呟きが、廊下の静寂に消えていった。
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