バーベキュー
@ariya_prigogine
バーベキュー
バーベキューは佳境に来ていた。もうメインの肉の塊に火が入って、いつ切り分けようかと皆がワクワクしていた。
わたしは絶命していたが、バーベキューには参加できていた。
わたしは、生きている人間と同じように、肉体を持ち、精神を(生きていた時も持っていたかどうかわから
ないが)持ち、トングも持ち、ホタテを網に載せていた。
吉田さんも食べてくださいね
わたしはそのように声をかけられ、すでに焼けている薄い肉を割り箸で持ち上げ、塩を盛っておいた紙皿に
とり、塩をつけて食べた。生きていた時と同じように、味がする。ここら辺は、絶命する前と何も変わりはない。
変わったところといえば、わたしは吉田ではない。
しかしここでは吉田ということで通っているようだ。下の名前はまだ呼ばれていなく、わからない。財布などを見て、身分証の名前を確認すればいいのだが、なんとなく他人の財布を見るのは気がひける。
そして先ほどトイレに行って、手を洗うときにわたしは大声をあげそうになったのだが、わたしの見た目も別人であった。実は、その顔を見たのは初めてではないのだが、毎回新鮮に大声をあげそうになるほど驚く。気色が悪い。全身を脱ぎたくなる。
わたしは、吉田某という知らない中年男性として、この知らないメンバーの知らないバーベキューに参加している。絶命して、わたしは次の段階に入ったのだろうか。この世界では結局、輪廻転生が行われているのだろうか。だとしても日本国内で魂が移動するというのは、かなり近場でやりくりしている気がする。赤子スタートではなく、中年男性に入ることもありえるのか。
絶命する前のことははっきりと覚えている。
わたしは長崎にいた。長崎で、お盆の慰霊祭である精霊流しに参加していた。「精霊流し」という曲がさだまさしの曲にあるが、その曲調のような優しい祭りではまったくなかった。精霊船と呼ばれる、故人を偲ぶ山車が街中の通行止めにされた車道に出て、参加者はその山車を曳いて街を練り歩く。その周りで皆が爆竹をさんざ鳴らし、ほとんど工事現場のようなうるささで、路面電車の線路の溝には爆竹の灰が詰まっていた。かなりヤンキーと見受けられる一団が出した船に、まだ若い故人の大きな写真が貼ってある。どうやって死んだのか、喧嘩か何かかと、つい想像してしまう。昔は夜通し、朝まで爆竹を鳴らし、矢火矢(やびや)というロケット花火をお墓で飛ばしたものだが、今はおとなしくなって夜10時には終わる、もうすっかり寂れたものだと昔を知る人は口を揃えて言った。
長崎ではわたしは早乙女という名前であった。早乙女涼(りょう)という名で女性だった。お盆参りで親戚のいる長崎に帰ってきていた。精霊流しは子供の頃から噂には聞いていたが、参加するのは初めてだった。花火屋に寄って花火を買い込んだ。しかし、いざ始まってみると、わたしのなくなった祖母の精霊船を出している会社は爆竹が禁止だそうだった。
わたしはふてくされた。
もちろん、今日の主役はわたしではない。ただ、せっかく盛大に送り出そうというのに、なんでも安全にルールを守っていきましょう、じゃないんだよと内心毒づいた。最近では公園で子供が遊ぶ時も、すべり台を逆から登ると怒られるらしい。すべり台は上からすべるものだからだそうだ。そんな人間をルールでがんじがらめにしていいわけがないと、わたしはふてくされたついでに関係のない公園のルールに対して怒ってみたりした。しかし始まってみるとわたしたちの船以外はバンバン爆竹を鳴らしていてじゅうぶんうるさかったので、わたしは少しすっきりした。どんどんやれ。
で、わたしは気づいたら絶命していた。
あとでその様子を聞いた。誰から聞いたのか。それはもっとあとのことになる。バーベキューよりももっとあと。
わたしは恐山にいた。エメラルドグリーンの湖と、聳える山を前に、中国の山河の前に来たのかと思った。だから恐山だとはすぐにはわからなかった。
恐山だとわかったのは、何人かで連れ立ってきている人が、ここがウソリコ オソレザンの由来 と口にしていたからだ。それでここが長江とかではなく恐山とわかった。
なぜ恐山なんかにいるのだと思っているところに、吉田さーん そろそろ行きますよ 宿に間に合わない と声をかけられた。わたしに声をかけているのだと分かるまでに少しかかった。
湖畔でバイオリンを弾いている女性がいた。ワンピースを着ている。
異常に綺麗な音だ。よくみると湖畔ではなく、湖の中に浮いている。バイオリンの音は次第に女性の叫び声のように聞こえ出した。わたしはなぜか、セイレーンの歌声がバイオリンの音を乗っ取ってやってきたと反射的に思って、耳を塞いで反対方向に駆けた。湖の対岸から、棺がどんどん流れてくる。キリスト教式の、RPGとかに出てきそうないかめしい、十字架の入った棺。そう思うと棺が上陸し、棺の横や周りにいるのは小さい人たちだった。10人くらいのとんがり棒をかぶった小さい人たちが、棺を持ち上げていたのだ。その人たちは陸に上がると花火をしながら棺をそのまま運び続ける。手持ちの花火を持って、片手で棺を持って、そのまま葬列を形作る。色々な棺がどんどん向こう岸からやってくる。棺を持っていない者もいて、顔に巨大な穴が空いている者、数字の者、3人でひとりの者、蚊柱のような者などいろいろ。めいめいが爆竹を鳴らしている。湖の表面にロケット花火を打ち込んで、水面で花火を爆発させている者もいる。なぜ花火をしているのだろう? 彼らも長崎から来たのだろうか。さっき駆けた時、どうにも身体がうまく動かなかった。わたしの身体はわたしではないようだ。さっき吉田と呼ばれたりして、変だ。空が雲で暗くなっている。向こうでわたしの方を気にかけて見やっている人がいて、その先に何かがあることを示している。わたしはどうやらわたしを待っているバスがあって、それに乗れば宿に間に合うのではないかということはわかった。
だが、去りがたい。
その感情はわたしにとっても驚きだった。
わたしは長崎にいたのに、なぜこんなところに変な身体で居るのだ。長崎から恐山に飛ばされてしまった挙句に、精霊船の悪質なパロディのような、というか人間が見てはいけないもののような葬列が進行している。
バイオリンの音色はここまでまだ聴こえてきている。あれを聴いていたらまずいと思うのだが、妙に甘美で聴き心地が良く、気持ちよくなってくる。しかし気持ちよくなるのはヤバい気がする。逡巡するうち、大太鼓、小太鼓、手のひらサイズの太鼓だが非常に大きな破裂音のする楽器などを携えた者たちが湖から出てき始めて、パレードの様相を呈し始めた。ウーファーというのか、巨大なアンプを積んだ車も湖から出てきている。
轟音と共に、額装された巨大な絵画を掲げてパレードは進んでいく。金の額に肖像画だろうか、顔の部分は大きく穴が空いているが流麗なドレスを着て地位のある人物が描かれているのがわかる。デコルテが白く光っている。その後ろに巨大な丸刈りの西洋人の頭部の3Dポリゴンのような物体が来て、それはどうやら山車だった。濃淡のある灰色のみで構成されている西洋人の頭部。
巨大なアンプからは男女の艶やかな声と人骨が折れる音がミックスされたような、生きるのがダルくなるようなおぞましい音楽が展開されている。
知らないが、このパレードが出している轟音の中には、そういった音楽の他にも、空間がギリギリ軋む音さえ入っているのではないかと思った。これらが出現するときに、湖の中から出てきているとは思えず、どこか違う場所から転送されてきていると見える。わたしが長崎からどこかを通って来たように、こいつらはどこからか違う時空のトンネルを通って、途中でトンネルの壁を破ってゲリラ的に恐山に来てみている、といったような。このやり方はそうとう恐山に無理をさせている気がする。しかし正規の入り方があるかどうか、わからない。こいつらはどこでも門前払いされそうであるから、こういうやり方しかなかったのかもしれない。
その後結局、わたしはバーベキューを共にすることになる文筆家集団と一緒に、バスに乗っていた。
一応押さえておきたいのだが、この時点で、わたしはみずからが絶命しているとはわかっていない。ただ、知らない人たちの中に放り込まれ、彼らはわたしのことを除外せず、いるのが当たり前のものとして扱っている。
彼らの会話を聞いていたが、どうやらこの後のバーベキューのために買い出しをするそうだ。
前までいたところではないところに急に放り込まれて、しかもどうやら馴染んでいる場合、さっきまでいたところに帰りたい! と言って暴れたりは意外としないものだ。そういうリスクを取るにはこちらに情報がなさすぎる。こいつらがわたしをいつ嵌めるかわからない。というかすでに嵌められているのかもしれないが、もはや考えても仕方ない。それくらいわたしにはなすすべがない。わたしはさっき見たパレードのことをずっと考えていた。わたしもあそこに参加したいと思いさえした。精霊流しの続きをやれさえすればよかった。
マグロやホタテや肉やビールを買って、ロッジについてから、わたしはよく働いた。さすがにいろいろ働かないとわけがわからないというか、自分的に納得がいかない。原という人と姉ヶ崎という人と一緒に着火剤や枝やらを使って火を起こそうとした。わたしはこうしたことに解像度が高くなく、思い出しても詳しいことは言えない。ただガムシャラにやった。枝を拾って割いている時に、枝が人差し指のささくれに引っかかってささくれがちぎれたが、言わなかった。あまり働かない人に対していっぱしに、意味もなく意地悪な視線をくれてやりさえした。
先ほど言ったように、わたしはトイレに立って、鏡に映る顔に叫び声をあげそうになった。わたしは短髪で、メガネをかけており、首と顎の周りに肉がついていた。鏡を見た途端、自分の肉体に対する違和感が際立ってきた。わたしが最も気持ち悪さを感じていたのは視力だった。わたしは早乙女の時は視力がとても良かったのに今はそうではない。床に落ちている汚れなどがあるだろうに、目に入らない。見たい場所にピントがすぐに合わない。
バーベキューに戻ると、さっきまではいなかったが、死人がいた。
しかしみんな火の入った肉の塊に夢中である。それをついに切り分ける時間が来た。
死人は、わたしにはすぐわかったが、みんな気づいていないのか、わかってて無視をしているのか。今、ちょうど肉に火が入って、その美味しい瞬間というのはそうずっと持続するわけではないと経験で知っているから、死人がいるけど無視しているという可能性もなくはない。しかし、それはないだろう。
死人は、黒ずんだ顔で、わたしに近づいてきた。死人は、わたしが絶命した理由を知っているのだ。
死人はその理由をいうために、口を開いた。
〈了〉
バーベキュー @ariya_prigogine
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