第13話「世界で一番甘い契約」

 叔父夫婦との一件が片付き、僕の過去が完全に清算されてから、屋敷には穏やかで幸せな時間が流れていた。

 僕はもう、誰に遠慮することもなく、リオード様の番として、この屋敷の主として、胸を張って毎日を過ごしていた。

 カフェの仕事は相変わらず大盛況で、新しいお菓子のアイデアを考えるのは、僕にとって何よりの楽しみだった。それに加えて、リオード様の補佐として、商会の運営に関する会議に出席することも増えた。

 前世の知識を活かした僕の意見は、重役たちにも一目置かれるようになっていた。

 忙しいけれど、充実した毎日。

 愛する人の隣で、誰かの役に立てているという実感。

 これ以上ないほどの幸せを、僕は噛みしめていた。


 そんな、あるよく晴れた日の午後。

 リオード様が、「少し付き合ってほしい場所がある」と言って、僕を屋敷の裏手にある庭園に連れ出した。

 そこは、彼が僕のためだけに作ってくれた、秘密の花園のような場所だった。

 門をくぐった瞬間、僕は息を飲んだ。

 目の前に、一面の青い花畑が広がっていたのだ。

 僕が、以前何気なく「故郷の庭に咲いていた、一番好きだった花なんです」と話した、ネモフィラの花だった。この国ではほとんど見られない、珍しい花のはずなのに。


「すごい……どうして、こんなにたくさん」


「お前のために、大陸中から種を取り寄せた」


 彼は、僕の後ろから優しく囁いた。

 風が吹くたびに、青い花の海がさわさわと揺れる。まるでおとぎ話の世界に迷い込んだみたいだった。

 僕がその美しい光景に心を奪われていると、リオード様は僕の前に進み出た。

 そして、僕に向き直ると、おもむろに、その場に跪いた。


「……リオード様?」


 彼が何をするのかわからなくて、僕はただ、戸惑ったように彼の名前を呼んだ。

 彼は、僕の目を見上げたまま、懐から小さなベルベットの箱を取り出した。

 パチン、と軽い音を立てて蓋が開けられる。

 その中にあったのは、月の光をそのまま固めたような、美しい銀色の指輪だった。中央には、彼の瞳の色にも似た、小さな金色の宝石が嵌め込まれている。


「カイ・レミントン」


 彼は、僕の名前を、とても真剣な声で呼んだ。


「俺と、正式な番いの契約を結んでほしい」


「……え」


「お前を、俺の生涯の伴侶として、この黒狼商会に迎えたい。法の名の下に、魂の名の下に、俺のすべてを懸けて、お前を愛し、守り抜くと誓う」


 それは、紛れもない、プロポーズの言葉だった。


「俺と、結婚してくれ。カイ」


 彼の真摯な瞳に見つめられて、僕の視界が、じわりと涙で滲んだ。

 ああ、僕は、この瞬間のために、生まれてきたのかもしれない。

 絶望の底で、すべてを諦めていた僕を、この人が見つけ出してくれた。

 冷たい灰の中から、僕という名の小さな輝きを、辛抱強く拾い上げてくれた。

 そして今、世界で一番の幸せを、僕にくれようとしている。

 答えなんて、決まっていた。


「……はい」


 涙で声が震える。

 でも、僕は、精一杯の笑顔で頷いた。


「喜んで。あなたの、番に……あなたの、妻に、してください」


 僕の返事を聞いて、リオード様の顔が、ぱっと花が咲くように輝いた。

 彼は立ち上がると、僕の左手の薬指に、そっと指輪をはめてくれた。ひんやりとした金属の感触が、夢ではないことを教えてくれる。

 指輪は、まるで僕のために作られたみたいに、ぴったりと指に収まった。


「愛してる、カイ」


「僕もです、リオード様。僕も、あなたを愛しています」


 彼は僕を強く抱きしめると、その唇を優しく重ねてきた。

 青い花の香りと、柔らかな日差しに包まれて、僕たちは永遠を誓うキスを交わした。

 世界で一番甘くて、幸せな契約。


 奴隷だった灰かぶりのオメガは、こうして、冷徹で不器用な狼の王子の、たった一人の番になりました。

 これは、僕たちの物語の、終わりじゃない。

 これから続いていく、果てしなく長くて、幸せな物語の、ほんの始まりに過ぎないのだから。

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