序 2

 ――執務室のドアがノックされた。


 窓から南の空を見つめ、十年前の記憶に浸っていた僕は現実に引き戻される。


 僕の返事を待たずに入室して来たのは、僕が戦場を駆け回っていた頃から行動を共にしてきたウォリバーだ。


「――おいおいおいっ! おまえ、なに考えてんだっ!?」


 彼は怒り心頭という雰囲気で執務机を両手で叩き、僕を怒鳴りつける。


「なにって……君と同じかな? 大切で大事な妹御の事を考えていたよ」


「なら、俺がなにを言いたいのか、よくわかってるよな!?」


 今にも机を飛び越えて、殴りかかろうとでもいう剣幕だ。


 詳しく説明するまで納得してくれないだろう。


 僕は口元に人差し指を立て、開け放たれたままのドアを指差す。


 それから机に置いたベルを模した魔導器を指差しせば、ウォリバーは顔をしかめてドアを締めに向かった。


 その間に僕はベルを叩いて鳴らす。


 魔導器が発動して、執務室を<静寂>の結界が包み込んだ。


 父上の強大な魔導の才は、残念ながら僕にはそれほど受け継がれなかったようで、こういう密談ひとつとっても、僕は魔導器を使わなければならないんだ。


「んで? を使うって事は、今回の沙汰にはなにか思惑があるって事なんだな?」


「ああ。君が僕ほどではないにせよ、妹御を大切に想っているのはよく知っているからね」


「――いや、俺の方が大切に想ってるけどな!」


 負けず嫌いのウォリバーは、すかさずそう反論してくる。


 いつもならここからしばらくの間、どちらが妹を想っているのか言い合いが始まるのだが、それでは話が進まないので、今日は僕が大人になって折れておく事にしよう。


 僕は椅子に腰を降ろし、執務机の向こうに立つウォリバーを見る。


「……確認しよう。君が怒っているのはミハイルに対してかい? それともエリシア嬢に対する処分について?」


「――両方だ!」


 怒声を打ち消す為に、魔導器のベルがビリビリと震える。


 ……だろうね。


 昨晩行われた、僕の即位十年を祝う夜会で、ウォリバーの妹――エリシア嬢は婚約者に婚約破棄を告げられた。


 婚約者――オルカディス宰相の嫡男のミハイルは、列席者の眼前で平然と「愛人がエリシア嬢によっていじめられた」などとのたまい、それを理由に婚約破棄を迫ったのだ。


「……正直、ミハイルがあそこまで愚かだったとは――」


 妹の婚約者という事もあって、ミハイルが幼い頃から目をかけていたウォリバーにとって、裏切られたという思いが大きいのだろう。


 ……アレが愚かなのは昔からだったろうに、脳筋のウォリバーは騙されていたという事かな?


 まあ、取り繕うのは父親同様に上手だったから、ウォリバーの目が節穴というわけでもないだろう。


「――とはいえ、だ。

 ……その後に起きた事を思えば、エリシア嬢を罰しないワケにもいかない事はわかるだろう?

 というか、わかれよ。君は僕の専属近衛なんだぞ?」


 僕と同じ二十六歳――いい歳なんだから、そろそろ政治の駆け引きくらいは気づいて欲しい。


「だが、王都追放だぞ!? しかも領に帰るのも禁止したという話じゃねえか!?」


「ああ、そうだね」


「そうだねって!!

 ……おまえ、なにを考えてる?」


 僕は椅子を回して窓の外に視線を向けた。


 そろそろエリシア嬢は到着した頃だろうか。


「……先日ね、セレスティアから手紙が届いたんだよ」


 父上――悪逆魔王ブラームスの最後の子であるセレスティアは、現在、かつて僕が暮らしていた、南辺境の離宮で過ごしている。


 僕は王となった後、残った王子達を――父上の名の下に好き放題していた彼ら彼女らの尽くを処刑したのだが、セレスティアだけは幼すぎるという理由で恩赦を出した。


 だが、僕に付き従った家臣達の手前、そのまま王宮に置くわけにも行かず、王都から遠く離れた離宮に移したのだ。


 おかげであの子の成長は、年に一度の訪問でしか確認できない。ちくしょうめっ!


「お、おう?」


 突然の話題転換に理解が追いつかないのか、窓に映ったウォリバーが首を捻っている。


「そうとははっきり書いていなかったが――思えばあの子も十六だ。

 そろそろ友人のひとりも欲しくなったみたいでね……」


 隣接する領の令嬢がいる家にお茶会の招待状を送っても、距離や予定の都合を理由に断られるのだと、手紙には残念そうに綴られていた。


 実際のところ、令嬢達に断られているのは、あの子を守る為に僕自らが国中に振りまいた噂が原因なんだけど、離宮を出ないあの子はそうとは気づけない。


 とはいえ、今後を思えば友人のひとりも居ないというのは健全とは思えない。


 ――そこへちょうどよく……と言ったら、ウォリバーは怒るだろうが――


「だから表向きは処罰って事にして、『暴虐王女』の離宮へ、エリシア嬢を送る事にしたんだ」


「……ちなみにその事を、エリシアや姫さんには伝えてるのか?」


「そんな事をしたら、台無しだろう?

 君と僕が出会った時の事を思い出してみなよ」


 ウォリバーと出会ったのは、偶然、配属された隊が一緒だったからだ。


 彼は僕が第四王子だなんて知らなかったし、僕も彼がレイグラム将軍の嫡男で、公爵令息だなんて思いもしなかった。


「む……んん? そう考えれば……王都追放も悪い事じゃないのか?」


 ウォリバーがアゴに手を当てて首をひねっている。


 ――悪い事どころか!


 ……いや、この脳筋は本当に気づいていないらしいね。


 まあ、うまく行けば、そう遠くない日に彼も気づくだろうさ。


 僕は窓の外――あの子が暮らす離宮のある、南の空を見上げる。


「……僕ができるのはここまで。

 あとは君らの頑張り次第だ。うまくやってみせなよ」





 ――悪逆非道の魔王と恐れられた、ブラームス・エーベルダインが光の王子アレクシスに討ち倒されて十年。


 王となったアレクシスの善政により、エーベルダイン王国の民はかつてないほどに平和と繁栄を謳歌していた。


 ――けれど。


 光が強ければ強いほどに、生み出される影もまた濃くなるというもの。


 アレクシス王即位十年を記念したこの年、エーベルダイン王国は再び激震する事になる。


 その生まれ故に民に疎まれ『闇の王女』と揶揄されている姫君と、婚約者に陥れられ、傷心のまま王都を追われた公爵令嬢の出会いによって。


 後に『暴虐王女』と『血塗れ公女』と恐れられる二人の悪女の出会いに、『光の王』が関わっていた事は、歴史書にすら記されていないエーベルダイン王家の秘密である。


 その理由が『大好きな妹に友達を作ってやりたかったから』などとは、とてもじゃないが書けたものではなかったのだ。


 なにはともあれ――かくして妹を好き過ぎる王の思惑の元、ふたりの悪女の物語は始まる。

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