1-2 王都無法区「竜の喉笛亭」

「大丈夫か」

「……」


 フィオナと名乗ったエルフの少女は、黙ったまま頷いた。だがそれは強がりだろう。なにしろまともに歩けもしなかったからな。俺の腕にすがるように体を預けながら、なんとか脚を進める。廃棄物処理場入り口までなんとか戻ったときには、もうふたつの太陽が真昼の配置を示していた。


 その間、なにを訊いても話さない。なぜあそこで縛られていたのか、どうして傷だらけなのか、住まいや家族はどこか。ただただ悲しそうに無言で首を振るだけだ。


 俺の馬、レイヴンは、入り口で貧しい雑草を食べて待っていた。俺を見ると嬉しそうに首を振り、ゆっくり近づいてくる。すぐそばまで来ると、俺の腕にすがる少女を見つめた。


 大鴉おおがらすの名を与えたレイヴンはもちろん、大柄な黒馬だ。何事にも動じない胆力のある馬で、俺の商売には向いていた。悪党との戦いにも怯えず、俺を乗せて戦闘フィールドを駆け回る。そんな悍馬かんばが、震えるエルフ少女を見て、困惑したような表情を浮かべている。


 つと近づくと、ミスリル色のきれいな髪をかきあげるようにして、頬を舐め始めた。フィオナはびくっと体を震わせたが、動かずにレイヴンのするがままにさせている。


「これは俺の馬、レイヴンだ」

「ち……力を感じる。い……癒やしの」

「そうか」


 やっと口を利いてくれて助かった。


「悪いが鞍はひとり用だ。お前、裸馬には乗れるか」


 黙ったまま、こっくり頷く。まあエルフだからな。大丈夫とは思っていた。


「手を貸す」


 しゃがみ込んで両手を組みあぶみの形にしてやると、そこに足を掛け、鞍の前にひらりと跨る。歩くのもやっとだったのにこれ、さすがはエルフだけある。俺は少し感心した。


「よし」


 鞍に収まった俺は、手綱を握った。


「その傷だと脚で馬を挟めないだろ。踏ん張れる鐙もないし。俺が後ろから抱いてやる。いいな」

「……」


 黙ったまま、首を縦に振った。


「よし」


 壊れ物であるかのように、そっと腹に片腕を回した。俺の意図を汲み取ったかのように、レイヴンはゆっくり進み始めた。傷だらけのエルフをいたわるように。


「どこ……に」

「うん」

「どこに……行くの」

「心配するな。俺の下宿だ。取って食いやしない。傷が癒えるまで、俺がかくまってやる。お前……どうせ訳ありだろ」

「……」


 黙ったまま、フィオナは俯いている。もうなにも口にしない。時折、レイヴンの首筋に手を置いて、優しく撫でているだけだ。


        ◇     ◇     ◇


「おいおい」


 馬上の俺と少女を見て、オルクスは厨房から飛び出してきた。


 王都無法区。それでも比較的治安のいい一角に、酒場「竜の喉笛亭」はある。俺の下宿だ。……といってもネズミやコウモリと同居する、屋根裏住まいだが。


「どこで拾った、その娘」


 オルクスは人狼──ウェアウルフだ。それだけに俺達の接近を遠くから嗅ぎつけ、いつもと違う匂いに顔を出したのだろう。


「なんてこった。エルフじゃないか。なんでこんなに傷……それに服も」

「訳ありだ。他言無用で頼む」

「……おう」

「フィオナだ。しばらく俺の部屋に匿う」

「どうやら厄介事だな」


 長い舌を出して笑い始めた。


「こいつは血が騒ぐ。……俺も久しぶりにひと暴れしたくなってきた」


 オルクスは、人狼の中でも貴種である、銀の長毛種だ。王立騎士団に長く所属していたというのに、なぜかこんなヤバい地に隠棲している。流れ流れてここに吹き溜まった俺だが、こいつは俺の過去や商売に、全く口を挟んでこない。その意味で助かっている。


「オルクス、あんたにはコレットがいるだろ。無茶は厳禁だ」

「まあ……そうか……そうだよな」


 悔しそうな顔をする。


「パパ、このお姉さん、だあれ」


 スープのおたまを握ったまま、コレットが出てきた。オルクスの養女で人間。まだ十歳かそこらだというのに、しっかりしている。


「俺の客人、フィオナだ。仲良くしてやってくれ」

「うんゼノさん……って大変、大怪我してるじゃん」


 目を見開いた。


「あたし、すぐお薬持ってくる。治癒魔法のかかってる包帯も。あたしだって少しは治癒魔法使えるしね。今はまだ店開けてないから、いちばん大きなテーブル席にいて」

「俺の部屋でいいよ。俺達は客じゃない」

「ダメだよ、屋根裏部屋なんて」


 おたまを握ったまま、腕を組んだ。


「だってあそこ、ネズミやコウモリの糞だらけじゃない。傷が悪化するよ、ほんとにもう」


 おたまでぽこんと叩かれた。


「あたしがたまに掃除しなかったら、とっくに廃墟だよ、あそこ」

「わかったわかった」


 苦笑いする俺を睨むと、厨房に駆け込んでゆく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る