第2話 輝夜母さん

 僕は大矢おおやさんにくっついたまま、微睡んでいた。幸福感に満たされて、つい微笑みが浮かんでしまう。大矢さんは、僕の髪を優しく撫でている。それが、ものすごく心地いい。


「大矢さん……」


 大好きな人の名前を口にするだけで、胸がときめく。


「何だ?」

「好きです。大好きです。好きです」


 何度もそう言うと、大矢さんが小さく笑った。


「どうした、聖矢せいや

「言いたくて。大矢さんが好きです」

「聖矢。愛してる」


 頬に音を立ててキスをしてきた。そうされて僕は溜息が出た。


「朝になったら、あのツリーを箱から出して組み立てような」

「今しましょう」

「もう夜中だけど、やりたいか?」


 僕が頷くと、大矢さんは体を起こし、


「よし。じゃあ、やるか」


 そして、僕たちは夜中の一時から組み立て始めた。飾り付けもして、スイッチをオンにした。キラキラが、この家にも来てくれた。胸が高鳴り、僕は大矢さんに抱きついた。


「ありがとうございます。これ、すごくきれいですね」


 点滅する電飾をじっと見ていると、大矢さんがスマホを手に持った。


「写真撮ろう」

「写真……ですか?」


 大矢さんは、手にしたスマホを離していき、「この辺でいいかな」と言った。自撮りというのをするようだ。


「聖矢。スマホに向かって笑顔。アイドル笑いじゃなくって、おまえの笑顔を見せてくれ」


 『アイドル笑い』。去年の夏まで、僕はアイドル歌手だった。でも、それは遥か遠い昔の出来事のようで、現実だったのかもわからないくらいだ。


「大矢さん。僕、本当にアイドルでしたか? あれは夢だったとか?」

「さあ。どっちだろうな。とにかく、可愛く笑ってくれ」


 言われて、今度こそ笑顔になった。大矢さんがシャッターボタンをタップして、音がした。


「もう一枚」


 笑いたくもないのに笑っては、シャッターを切られていた日々。あれは現実だったんだ。辛くても笑顔。黄色い声援というのを受けて、僕は活動をしてきた。壊れちゃったけど。


「大矢さん。写真、見せてください」


 見せてくれた写真の僕は、心から微笑んでいる感じだ。大矢さんを見ると、真顔になっていた。急にどうしたんだろう。大矢さんは僕をそっと抱き寄せると、


「この写真、輝夜かぐやに送ったらどうだ?」


 『輝夜かぐや』は、僕の産みの母親だ。去年の今頃、再会した。と言っても、僕にとっては初めて会ったも同然だった。産まれてすぐに、別れたのだから。父親である津島つしま先生が僕を引き取ることになって、それきり一度も輝夜母さんと会うことはなかった。


 僕は大矢さんの言葉に思わず、「え?」と声をもらしてしまった。大矢さんは真顔のまま、


「連絡、取り合ってるのか?」


 僕は首を振った。何度も、しようとは思った。でも、出来なかった。一年経つというのに、どうしても無理だった。僕は小さく息を吐き出し、


「何となく……出来なくて……母さんが連絡くれれば……」

「出来ると思うか? 輝夜は、おまえを先生に渡したんだ。おまえに対して負い目がある。いくら奔放な輝夜だって、気軽におまえに連絡は出来ないだろう。ここは、おまえが折れてやれ」

「僕が……」

「歩み寄ってやれよ。せっかく再会出来たんだから」


 僕は大矢さんの肩に頭をもたせかけた。


「出来る気がしなくて。拒絶されたらどうしようって……思って……」

「そうか」


 肯定も否定もせずに聞いてくれる。


「もう、捨てられるのは嫌で……」

「そうか」

「大矢さん……」


 僕の頭を優しく撫で続ける。涙がこぼれてしまう。


「母さんを信じていいのか、やっぱりわからなくって……信じたいのに、不安で……」


 やめようとしても、言葉が口から出ていってしまう。誰も幸せにしない言葉たち。もう、言いたくないのに。

 

「聖矢。スマホ貸してくれ」

「ぼ……僕のですか?」

「そう。聖矢のスマホ」


 言われるままに、僕は大矢さんにスマホを渡した。大矢さんは、自分のスマホと僕のスマホを何か操作をした後、僕のスマホでどこかに電話し始めた。鼓動が速くなる。


「や……やめてください」


 大矢さんは、聞こえない振りなのか、ちょっと顔を向こうに向けた。しばらく呼び出し音が鳴っていたが、通話になったようで、


「遅い時間に悪いな。写真送ったけど、見てくれたか。そう。昨日の夜、二人で買いに行った。これは、さっき組み立てて記念撮影をしたから、おまえに送った。上手く撮れてるだろ」


 僕は、大矢さんのそばに行くこともしないで、耳を塞いだ。相手は輝夜母さんに決まっている。聞くのが怖い。そうしていたら、大矢さんがこちらに顔を向けた。僕に近付くと、耳に当てていた手を外された。僕は大矢さんをじっと見ると、


「聞きたくないんです」

「輝夜が、二十四日の夜、一緒に食事しようって。輝夜が作ってくれる。行くよな?」


 僕の意見を訊こうとしているようにみえて、実は違う。断れないその口調。笑顔の奥に、「逃げるなよ」という気持ちがあるのが伝わってきた。僕は小さく頷き、


「わかりました。行きます」


 消え入るような声で、そう言った。大矢さんは、「わかった」と言うと、また輝夜母さんと話し始めた。


「……そんなことない。大丈夫だから。夜七時に行くから、ちゃんと準備しておいてくれよ。じゃあ、夜中に悪かったな」


 通話が切れた。僕は唇を噛んで、大矢さんを見上げた。大矢さんは優しく微笑むと、「楽しみだな」と言った。

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