シンデレラストーリー

立方体恐怖症

第1話 起承転結の起

 「お姉さま目が覚めたの!?」


 お姉さま。誰のことだろう。私?

 目が覚めると、当たり前だけどベッドの上。


 「ああ神様…ありがとうございます」

 駆け寄ってくる少女は灰色がかった銀髪が輝いて、目のふちに光る涙も美しい。

 美人だ。

 何も知らないのに、涙を拭くその手を叩き落としたい嫉妬にかられた。


 「姉って私のことかしら」


 少女は目をぱちくりさせた。


 「記憶が…ない?」

 ない。おそらくは。


 だけど、部屋を見渡したら、ここは確かに私の部屋だと実感できる。私の好きな花が活けてあって、私の好きなドレスがタンスから覗いていた。

 ここに住んでいた。でも記憶がない。しっかりと理解できる。


 「えっと…お姉さまは数日間冬眠したように寝てらしたんです。溺れてしまって…」

 窓の外を見るから、私もつられて見る。


 雨が降っていた。降り注ぐ水滴がプールに吸い込まれて、溢れている。

 「プールで遊んでらっしゃったところなの。お母さまは…助からなくて」

 涙が長いまつ毛に引っかかっている。

 握りしめた手には美しいハンカチが握られていて、泣いている姿さえ絵のようだった。


 「私たち、もう家族は二人きり。」

 「え?お父様は?」

 「…かなり昔に亡くなってしまったわ。お母さまがいなくて、どうやって暮らしていけばいいのか…」


 あなた、と言いかけて、

「不便ね。名前は?」と聞いた。

 目をぱちくりさせる。

 「お姉さまはいつもシンデレラと呼んでくださったわ」



 シンデレラ。口に出すと、懐かしい感じがした。確かにそう呼んでいたような。

 「シンデレラって…侮蔑じゃない?本当の名前は?」

「忘れちゃった…でも、シンデレラで慣れてるからいいの。」

 慣れていい呼び方じゃないと思うのだけど。


 灰かぶり、なんて。


 部屋から出ると、寂しげな廊下に出た。


 「…そう、お母さまがいなくなってから、生活が厳しくて。調度品は売ってしまったの。本当にごめんなさい」

 寂しいのは飾りが減ったからだけじゃない。

「待って、使用人が少ないのでは?もとからこんなかんじだったかしら」

 記憶はないけど、この広い廊下と階段に火が灯っていないのはおかしい。

 私たち以外いないことが分かるように、何の音もしなかった。


 「お給金を渡すのも苦しくて。今はそう…お料理してくれる人が二人だけ、なんです」

 火を灯すのは私しかしていないの、ごめんなさい、とシンデレラの声が萎んでいく。


「怒らないでほしいのだけど…使っていない部屋は掃除できてないわ」

 「別に生活が苦しいのは仕方がないし怒らないわよ」

 変に気をつかわれている。

「怒らないの?」

とまた大きな目をぱちくりさせるものだから、嫌な予感がする。


「私そんなに怒りっぽかったかしら」

 ええと、と言葉を濁すので、いらっとして言いなさいよ、と詰め寄る。

 そんな風にまさに被害者、みたいな顔をされると虫唾が走る。確かにこの感覚も懐かしい。毎日のように詰めていた、ような。


 「私が悪かったの。あまり掃除がうまくなくて、」

「掃除は使用人の仕事でしょう」

「ごめんなさい…私は居候なの。お母さまの実の子供じゃない。だから…」

 はっきり理解した。なぜこんな風に言われるのか。

 思い出すかのように、しっかりビジョンが頭に浮かんだのだ。





 シンデレラ、と呼ぶのは、好きではない。なぜなら、呼ぶといらいらする顔をするからだ。

 じゃあ本当の名前で呼べば?と思うかもしれないけど、それも嫌。だって変に華美なんだもの。


 隣の部屋からあわただしい音がして、ドアが控えめに開く。

「何でしょう」

 顔を合わせたくない、という風に伏せているのもいらいらする。大体、何でしょう、というのが使用人らしくない。


 ほとんどそのまま言って、

「でも…私は使用人ではありません」

と口答えされた。


「あなたは居候でしょうが!お母さまの言う通りになさいよ。呼んだらすぐ来る。いらいらする顔をしない!」

 はい、と理解できているか分からない顔をするので、ほぼ反射的にそばにあった花瓶を叩いた。

 ばしゃん、と水がこぼれて、シンデレラが驚いて逃げようとするので叫ぶ。

「水をふき取りなさい!」





 「私かなり感じ悪いわ」

 というか、当たりが強いわ。


 今のは私の想像だけど、花瓶を叩く、ということがすぐ浮かぶのは実際してたんじゃないかしら。

 「花瓶叩いたりしてた?」

と言うと、やはり

「記憶が戻ったの?」と驚かれる。


 記憶は戻ってない、と思う。


 そう答えると、ほっとした顔をされた。

「いえ、変ですよね、でも」

「お姉さまとお話ちゃんとできるの久しぶりで。記憶が戻らなかったらなあって考えちゃいました」

 そう言ってちょっと笑う。顔がまだひきつっているので、なんだか久しぶりに同情心を引き立てられた。


 「でも、私は記憶を取り戻したいかも。」

 と言ったところで、シンデレラが立ち止まった。


 「お腹ぺこぺこでしょう、夜ご飯が残ってますよ」




 料理はおいしい。シンデレラ以外の、というか二人しかいない使用人が出てきて、料理を無愛想に運んでくれた。


 「私って、使用人にも冷たかったかしら」

 二人ともキッチンへ帰っていくのでシンデレラに話かける。

 可愛らしい顔で小首をかしげるシンデレラ。

「あの…あまりお姉さまのことよくわかっていなくて…」


 分かっていない。そりゃそうだ。会うたびに、会わなくても呼び出して怒鳴りつけていた。おそらくは。

 近づきたくなかっただろうし、私の人間性なんて彼女からしたら怖いことくらいしか分からない。

 あらためて、ここまで案内してくれたことに申し訳ない気持ちがわいてきた。

 最初の嫉妬とか、いらつきとかはもうほぼなくなっていて、じわじわ理解しつつある、


『家族はふたりきり』


ということがシンデレラへの愛着を育てていた。

 ふと、彼女はまだ立ったまま、私が食べ終わるのを待っていることに気づいて、

「ちょっと、座りなさいよ」

「あ、ありがとうございます。そしたら遠慮なく…」

と座る。


 「私ご飯の時にあなただけ立ちっぱなしにさせていた?」

「ええと…」

「正直に話しなさいよ」

「まあ、私が掃除をできていなかった日には…お母さまが座らせてくれなくて」

 いまさらながら、可哀そうに思う気持ちが沸き上がってきた。

 継母と継姉、ふたりに囲まれてどれだけひどい目にあったのか。服こそきれいだけど、使用人だと思って接してきて、私だったら切れている。


 「その…いままでいじめてごめんなさい。」

「いじめられてなんか」

「いやいじめ。ごめんなさい。これからはそんなことしないわ。助け合って生活しましょう」

 シンデレラはあっけに取られる、という顔でしかなかった。


 雨が止んだ。

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