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  • 雪弥への応援コメント

    最初は、文章がなめらかで、世界にすぐ入れる作品だなと思いました。
    それが、読み終えた後は、よく、こんな難しいテーマを1つの作品にまとめて、さらに、「読書したなぁ…」という気持ちに最後させるという。こんな離れ業、私には出来ないなぁと素直に思いました。とても面白かったです。

    作者からの返信

    身に余るお言葉、ありがとうございます!
    私自身が教育系の仕事をしていたため、先生と生徒ネタは自重していたのですが思い切って書いてみました。

    小説は同性愛や関係的にセンシティブですが、子どもの言葉にならない苦痛は現実にあると思っていまして、その辺りが伝わったらこの作品に意味があるかな、と思っておりました。

    改めて、コメントいただき嬉しいです!
    ありがとうございました。

  • 雪弥への応援コメント

    「日常倫理」という観点から見ると、この短編はいちばん“扱いが難しい”場所に、あえて足を踏み込んでいる作品だと思いました。教師と生徒、家出と保護、共感と欲望──本来なら線を引くべきところを、ぎりぎりまで曖昧にしたまま「それでも誰かの思い通りでなくていい」と締めくくる。そのバランス感覚が、とても意識的です。

    まず、母親との関係に追い詰められた雪弥の描き方が巧い。息子を「小さな彼氏」として囲い込み、父親は「私にはわからないので、お任せします」と責任を放棄する。ここには、家族という制度の中で「子どもだけが都合よく消費されている」倫理的な歪みがあります。

    その歪みの逃げ場として登場するのが、元塾講師であり現在は教師の「俺」です。
    夜の公園での保護、一人暮らしの部屋、冷凍あんかけラーメン、ぬるいビール──日常の延長にあるささやかな救いのはずが、「変態だ」と自認する一線の越え方につながっていく。この「支え手でありながら、同時に倫理の加害者でもある」という位置づけが、まさに日常倫理の核心を突いています。

    注目したいのは、語り手自身がある程度その危うさを自覚していることです。

    『雪弥のそういうところを可愛いと思ってしまう、変態だ。』

    と自己言及し、
    『今は男でもあぶねーからな』
    と自分で言いながら、その数行後にキスまで踏み込んでしまう。
    つまりこの物語は、「立場と倫理を理解している人間が、それでも逸脱を選ぶ/選んでしまう」という一番やっかいなゾーンを書いているわけです。

    ここからが日常倫理としての読みどころですが、この作品は「善悪」の判定を急いでいません。教師の行為は制度的には完全アウトです。それは作中の語りとも矛盾しません。しかし同時に、読者はこうも感じてしまう。

    ・母親の所有欲と父親の無関心に挟まれた雪弥にとって、この抱擁だけは“本物の救い”なのではないか?
    ・「自分をそのまま愛してくれる人っていうのは、いるんだよ」という言葉が、嘘や欲望を含んでいても、いまこの瞬間の雪弥には必要なものではなかったか?

    この二重性が、倫理的に非常に危険で、同時にリアルです。現実のニュースで同じ関係を見たら即座に断罪するはずなのに、「雪弥」の内面をここまで追ってしまうと、「救い」と「搾取」がきれいに分離できない。その居心地の悪さを、作者はあえて残しています。

    ラストの「モロッコの砂」のモチーフも象徴的です。
    中一のときに、包丁を握る母から逃げてきた雪弥を慰めるためについた、安っぽい嘘。サハラ砂漠ではなく、公園の砂。それでも雪弥にとっては、唯一の「外の世界」の約束として機能している。

    『明日、あの砂は嘘だと言おう。
    誰かの思い通りでなくてもいい。俺はそれを雪弥から学んで、雪弥に伝えたいのだから。』

    この締めは一見美しいのですが、倫理的にはかなり複雑です。「誰かの思い通りでなくてもいい」というメッセージは、支配的な母親や、責任を放棄した父親に対しては間違いなく必要な言葉です。しかし同時に、それは教師である「俺」が、自分の逸脱を正当化するためにも使えるフレーズでもある。

    総じて、「家族」「教師」「恋愛」「救済」といった善意の語彙が、どこまで倫理を守り、どこから倫理を侵すのか。その境界線が、こんなにも揺らぎやすいものだと突きつけてくる、非常に濃密な一篇でした。

    作者からの返信

    非常に詳しいコメントをありがとうございます!
    私自身も言語化が難しいところを書いていただき、私も勉強になりました。

    私が教育業界で見てきたことを、倫理の限界まで極端にズラして書いてみました。
    母娘問題は近年露出が多いですが、母息子問題のうち、息子が美しく馴染んでしまう辺りはあまりニュースでは見かけないかなと思いまして。
    また、雪弥の美しさを入れることで主人公はとり憑かれる形にしまして、フィクション性を上げました。

    母の狂気は一般的な子どもへの執着をベースにし女臭さを加え、父は今回は托卵を臭わせていますが一般的な弱い父親像を投影しています。

    主人公の葛藤は、子どもに対する純粋な思いと、雪弥の思春期特有の危うさに対しての敗北をないまぜにしています。
    教師としての幸せは雪弥の人間的自立、個人としての幸せは雪弥の性愛的依存。
    そういう捩れに捩れを入れています。
    同性愛にしたのは、私個人は女はそんなに弱くないという持論がありましてw

    雪弥は幼い頃からこのような環境ですので、正気を失いかけています。
    高校生が、親と縁を切りたいと口にするのは異常だと私は考えていまして。

    ラストについては、正直に話すことで、「雪弥に選択肢を与える」イメージではありました。
    真実を知って、なお主人公とどういう関係を結ぶか、雪弥は考え直していい。
    ただ、あまりこのニュアンスを強くすると、一晩で主人公がそこまで悟るのは難しいと思いましたので、「せめて誠実であろう」くらいでと思いました。
    解釈的に、エンタメ的BLハピエンでも、倫理的狂気エンドでも、純文学的問いかけエンドでもよいと思っております。


    本当にしっかり読んでいただき、嬉しいです。
    書いて良かったと思えました。
    ありがとうございました。

    編集済