第2話 無属性? いいえ、それは全てを支配する始原魔法です

「おい見ろよ、あれが例の『無能』だぜ」

「測定器を壊したっていう? 乱暴な奴だなあ」

「魔力がないからって物に当たるなよな、野蛮な平民はこれだから」


一次試験会場を出た廊下で、俺はさっそく有名人になっていた。

すれ違う受験生たちが、クスクスと嘲笑を投げかけてくる。彼らの目は侮蔑に満ちており、まるで道端の石ころを見るような冷たさだ。


だが、俺の心は至って穏やかだった。

むしろ、数千年ぶりの「勘違い」が懐かしくさえある。


(無属性、か。……まあ、あながち間違ってはいない表現だがな)


俺は人の波を避け、学園の中庭にあるベンチへと腰を下ろした。

現代の魔法理論において、「属性」とは絶対的な才能の指標だ。

火、水、風、土、光、闇。

人は生まれながらにこれらいずれかの魔力性質を持ち、その属性の魔法しか扱えない。火属性の者は一生火の魔法しか使えないし、水属性の者は水魔法のエキスパートを目指す。それがこの時代の常識だ。


そして、どの属性にも当てはまらない者は「無属性」と呼ばれ、魔法を行使できない欠陥品として扱われる。


「……嘆かわしい退化だ」


俺は掌を空にかざし、小さく呟いた。

俺が生きた神代の時代において、属性とは「分化」の結果に過ぎなかった。

魔力とは本来、色も形もない純粋なエネルギーだ。それを術者のイメージによって「燃焼」させれば火になり、「流動」させれば水になる。

全ての魔術師は、理論上すべての属性を扱えたのだ。


だが、長い時を経て人類は楽な道を選んだ。

生まれつき得意な「色」にだけ頼り、純粋な魔力操作の技術を捨てた結果、魂そのものが特定の属性に固定されてしまったのだ。

今の彼らの魔力は、最初から濁っている。

赤く濁った魔力は火にしかならず、青く濁った魔力は水にしかならない。


対して、俺の魔力は「無色透明」。

何色にも染まっていないからこそ、何色にでもなれる。

始まりにして頂点。

全ての事象を書き換える根源の力。

それが俺の操る【始原魔法(オリジン)】だ。


さっきの測定器は、プリズムのようなものだ。

光を通せば七色に分かれるように、魔力を通して属性を判定する。

そこに俺の、あまりにも純度が高く、かつ膨大な「透明な魔力」が流し込まれたらどうなるか。

プリズムは光を分けきれず、許容量を超えてパンクする。それだけの話だった。


「――見つけたわよ、402番」


ふいに、頭上から影が落ちた。

顔を上げると、そこには先ほどの「天才」が立っていた。

リーナ・ヴァン・アスター。

陽光を反射して輝くプラチナブロンドの髪と、射抜くような紫の瞳。腕を組み、不機嫌そうに俺を見下ろしている。


「……何か用かな? アスター公爵令嬢」

「私の名前を知っているのね。まあ、当然か」


彼女は尊大な態度を崩さず、俺の隣――ではなく、正面に立ちはだかった。


「単刀直入に聞くわ。あの測定器、どうやって壊したの?」

「どうやってと言われても。試験官の言った通りさ。僕の制御が下手で、回路をショートさせてしまったんだ」

「嘘をおっしゃい」


リーナは即座に否定した。


「私は見ていたわ。水晶が砕ける直前、内部で魔力の渦が『逆流』していたのを。回路のショートなら外側から焦げるはず。あんな風に、内側から弾け飛ぶなんてありえない」


(……ほう)


俺は内心で舌を巻いた。

あのわずかな一瞬で、現象の本質を見抜いていたのか。

現代の魔術師にしては、随分と目がいい。


「それに、貴方からは奇妙な違和感を感じるの」


リーナは一歩、俺に近づいた。

彼女の美しい顔が目の前に迫る。柑橘系の香水の匂いが鼻を掠めた。


「魔力がないはずなのに、貴方の周りだけ大気の流れが不自然よ。まるで、世界そのものが貴方を避けているような……あるいは、傅(かしず)いているような」

「考えすぎだよ。僕はただの田舎者だ」

「あくまでシラを切るつもり?」


リーナの瞳がスッと細められた。

瞬間、彼女の全身から鋭いプレッシャーが放たれた。


威圧。

膨大な魔力を無造作に放出し、相手の精神を屈服させる原始的な攻撃だ。

周囲の木々の葉がざわざわと揺れ、通りがかった数人の受験生が「ひっ」と悲鳴を上げて尻餅をついた。

Aランク判定確実の、天才による魔力放射。並の神経なら、立っていることすら難しいだろう。


だが。


「……今日はいい天気だね。試験日和でよかった」


俺は平然と微笑んだ。

彼女の放った威圧は、俺の皮膚に届く数センチ手前で、霧散するように消滅している。

いや、消滅させたのではない。「凪(な)いだ」のだ。

俺の纏う始原魔法の被膜が、荒ぶる魔力の波を穏やかなさざ波へと変換し、吸収してしまったのである。


「な……ッ!?」


リーナが目を見開いた。

彼女は自分の威圧が「通用しなかった」ことよりも、「何が起きたのか理解できない」という顔をしている。


「貴方……今、何をしたの? 防御結界を展開した気配もなかったのに、私の魔力が……消えた?」

「風が止んだだけだろう? さ、そろそろ次の筆記試験の時間だ。失礼するよ」


俺はベンチから立ち上がり、呆然とする彼女の横を通り過ぎた。


「待ちなさい! まだ話は――」

「君も早く行かないと遅刻するよ。天才なら、筆記でも満点を取らなきゃいけないんだろ?」


軽く手を振って、俺はその場を去った。

背後で、リーナが悔しそうに足を踏み鳴らす音が聞こえた気がした。


(……やれやれ。鋭い子に見つかると面倒だな)


校舎の陰に入ったところで、俺は一度立ち止まった。

誰の目もないことを確認し、足元の小さな雑草に意識を向ける。


現代の魔法がどれほど未熟か、そして俺の始原魔法がどう異質か。

少しだけ、確認しておこう。


俺は指先を雑草に向けた。

魔力を込める。イメージするのは「成長」ではなく「時間」。


「【時間加速(アクセル)】」


詠唱破棄。

一瞬にして、青々としていた雑草がものすごい勢いで伸び、花を咲かせ、枯れ、そして種を落として土に還った。

その間、わずか一秒。


次に、土に落ちた種に向かって逆のイメージを送る。


「【時間逆行(リバース)】」


土が盛り上がり、枯れた草が緑を取り戻し、花が蕾に戻り、そして元の小さな雑草へと姿を戻した。


「……よし。制御は問題ない」


今の現象は、現代魔法で言う「土属性(植物操作)」などというチャチなものではない。

時間の概念そのものに干渉し、対象の存在定義を書き換えたのだ。

属性魔法が「物理法則を利用する」技術だとしたら、始原魔法は「物理法則を命令する」権能に近い。


火属性の魔術師は、火を起こして水を蒸発させる。

だが俺は、水に対して「お前は最初から気体だった」と命令を下すことができる。

結果は同じ「蒸発」でも、そのプロセスと強制力は次元が違う。


「属性がない、ねえ……」


俺はクスリと笑った。

その通りだ。俺には属性がない。

だからこそ、俺は炎熱も、氷結も、雷撃も、時間も空間も、全てを等しく支配下に置ける。


「さて、次は筆記試験か」


俺は雑草を踏まないように避けて歩き出した。

実技(魔力測定)はゼロ点だった。

となれば、筆記試験で挽回しなければ、本当に入学を拒否されかねない。


「数千年後の魔法理論、どれほど進歩しているのか楽しみだ」


この時の俺は、まだ楽観的だった。

まさか、この世界の魔法理論が「進歩」どころか、俺の想像を絶する方向へ「迷走」しているとは知らずに。


そして筆記試験会場に入った俺は、配られた問題用紙を見て、思わず吹き出すことになるのである。


(問1:火の初級魔法『ファイアボール』の正しい詠唱を、一言一句間違えずに記述せよ)


「……は?」


問題文を見て、俺は思わず声を漏らした。

詠唱?

火を出すのに、いちいち神様にお祈りする文言が必要なのか?


(問2:魔法陣における北の方角が意味する属性を答えよ)


「……方角? 魔力回路の構築に方角なんて関係ないだろ。風水か何かか?」


どうやら、俺の戦いはまだ始まったばかりのようだった。

天才ヒロイン・リーナに目をつけられ、試験問題はトンチンカン。

前途多難な「落ちこぼれ」生活の幕開けである。


俺はペンを回しながら、ニヤリと笑った。

まあいい。

全部、俺が正解(真実)を教えてやるとしよう。

測定器を壊した時と同じように、この学園の凝り固まった常識も、粉々に粉砕してやる。


そう決意して、俺は解答用紙に向かい合った。

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