第5話 少女は物語を読み解く


 杏子あんずという女性は、この龍宮りゅうぐうで出会った人達と同じく美しいが冷たさを感じさせない穏やかな人だ。

禁苑きんえんという場所へ連れて行くと言われた道中も、龍宮の行ける場所をあちこち案内しながら「この世界」や「一族」の事等を教えてくれる。

 咲夜さくやはすっかり杏子という人に頼りきりになった。あれだけ人間不信に生きてきた人間も、取り付く島を見つけたらどうやらすぐ心を開いてしまうらしいと咲夜は自分でも内心驚く。



「ええと……此処には獣族けものぞくという獣人じゅうじんの方がたくさんいらして龍族りゅうぞくはその一つ。禁苑は読み物で言う殿様が囲う女性達の住まう奥のような場所ですか?」

「ふふ、その読み物は存じませんがそのようにご認識いただいて構いませんわ」



 必死に現実を理解しようとする程、咲夜の中で時々何をどうしたらそんな物語のような運びになるのだろう?という混乱が起きていた。

殿方に囲われる女性の一人になる等と、村で弾かれていた身の上からは信じられない状況だった。


(けれど恋物語ではなくて、恩返しの物語と言うのならまだわかるかも)


 これはきっと洞窟でも一瞬考えた鶴が恩返しをする物語の、龍版だ。

実際この驚くべき事態は、あの龍と出会って涙の結晶を貰って始まったのだから。

 散々身の上話を聞かされて、龍が憐れんで住処を提供してくれたという事ならば、咲夜の中でこの異常事態も少しだけ腑に落ちる。

加えて先ほど竜胆りんどうが言い放った単語も、今の咲夜ならば、すんなりと飲み込む事が出来た。



(愛でるって言うのは、要するに殿様が女性を自分の園へ入れるからという方便だったのね)


 自分の生きてきた中で培ってきた知識と、起きた出来事を擦り合わせ、咲夜は現状を何とか理解した。

ふと案内をしてくれている杏子の足が止まり、自然と咲夜も其処で止まる。どうしたのだろうと見ると、杏子は不可思議な顔をして咲夜を見ていた。


「……というか、道中何も?誰からも何も教えられていないのですか?」

「え?ええ。どなた様も初対面で正直何が何だかさっぱりで。逆らったら怖そうというのと、怪我をしていた龍が息災かを知られたらという思いで此処へ参りました」



 話しているうちに段々と杏子は事の仔細が見えてきて、もう一度咲夜をじっと見つめる。

 言葉遣いや所作を気をつけてはいるが、所詮田舎生まれで世間知らずの小娘だ。無自覚に失礼を働いているだろうかと咲夜が萎縮すると、杏子が溜息を一つ零した。



「それは……。ああ、いえ。この溜息は貴女様にでは御座いませんよ。さぞご不安だった事でしょう」



 これだから男連中は──と杏子は内心毒吐いたのだが、それは手袋をしっかりつけて杏子に触れていない咲夜には預かり知らぬ感情だ。

杏子はこほんと咳払いをしてから再び微笑む。それは咲夜を安心させる為の笑みだった。



「一つ確認したい事が御座います。咲夜様、貴女様は禁苑の花に選ばれたからにはもう元いた場所へ戻る事は出来ません。まして涙鱗るいりんを授かった者ならば尚の事」

「え、」

「私ども龍は美しく傲慢な生き物。これと決めたものを決して譲る事の無い性質たちに御座います」



 自ら美しいと言い切る事も含めて、確かにそうなのかもしれない。事実、龍族の人々は皆美しい。

 杏子は咲夜にきっぱりと元いた場所と生活は諦めろと言ってのける。それ自体は咲夜にとっては衝撃であったが、しかし捨てたくないような生活では無かった。

どのみちあそこで一人で生き延びていく事も、あそこから自分の人生に活路を見出す事も到底難しい。喜ばしい事かはわからないが、今この状態は転機である事は間違いないだろう。



「この涙鱗というものは、あの龍が怪我の手当てのお礼にくれたものだと認識しています。それが禁苑の花となるというのは、どういう事なのでしょうか?」



 大体殿様に囲われる女性達の一人になるということは、龍宮の中では長である竜胆が殿役だ。彼の妻の候補になる切っ掛けになるという事が、いまいち頭で繋がらない。

あの龍は竜胆の使いの者で、彼の妻候補に目星をつける係なのだろうか?これはその選定の証なのだろうか?そう思いながら、咲夜は自身の手の上で輝く涙鱗を見る。

杏子は微笑みを浮かべたまま口元を裾で隠す。後で咲夜にもわかる事だが、これはどのように事を運ぶかを思案している杏子の時間稼ぎの仕草だ。



「兎にも角にも貴女様は長である竜胆様の花の一輪に選ばれたという事に御座います。それも、いっとう特別な」

「は、はぁ」

「私からは貴女様が気に留めている龍は竜胆様に纏わる、とだけ。本人から聞いた方がいいですもの。その龍の事も遅かれ早かれわかる事でしょう」

「なるほど……?あ、そういえば、皆様は龍族と言うけれど人の姿ですよね。二つの姿があるという事なのでしょうか?」



 咲夜の問いに杏子は静かに頷いた。



「繁栄していくのに最も効率が良い形だと判断した折から、龍族を始め多くの獣族が人の姿を取る事が出来るようになったのです」

「わぁ……!杏子様の龍の姿もいつか見られますか?」

「ふふ、龍の姿で過ごすには龍宮は手狭ですからね。それに本当の姿を見せるのは獣族にとって特別な事です。剥き出しの姿──まぁ裸を見せているようなものですから」



 裸と言われると、咲夜は思ってもいない単語と先日出会った龍とを重ねてとんでもない姿を勝手に見てしまったとぼっと赤面する。

その様を見て、杏子はクスクスと笑った。



「冗談に御座います。ですが本当の自分。心や体を誰かに見せる事は誰にとっても特別でしょう?獣族にとっては獣の姿こそ、そうなのです」

「そう、ですね。本当の自分を見せるのは、とても勇気のいる事だと私も思います」

「……」


『バケモノ』


 誰でもない、記憶の中の誰かが咲夜をそう指差すと咲夜は静かに目を伏せる。

杏子は咲夜の言葉の重々しさとその様を静かに見つめ、咲夜がまた自分を見つめ直すか話しかけてくるのを待った。しかし、暫く動けないでいる咲夜を見て、杏子は「咲夜様」と越えを掛ける。



「あ、す、すみませ」

「私は貴女様を歓迎しますよ。勿論竜胆様も。……貴女様が先日助けてくださった龍も。だから呼んだのですもの」

「え、」

「お一人で心細かったでしょう。急ごしらえで期限付きの侍女ですが、どうか気兼ねなく頼ってくださいませ。さ、もうじき禁苑ですよ」



 杏子の温かな微笑みと言葉に、咲夜の視界が思わず滲む。

こんな所でいきなり泣き出したらいよいよ杏子も面倒を見きれないだろうと、咲夜はぐっと涙を堪えて何とか口角を上げる。



「はい、よろしくお願いいたします。杏子様」

「よろしい」



 まるで先生のような返事を冗談で返す杏子に、咲夜は今度こそ本当に笑う。その様子に杏子もまた笑った。

 龍族は美しく傲慢と杏子は言ったが、少なからず杏子はそれだけではないだろうと咲夜は心の底からそう思う。手で触れずとも、心は目元に滲み出る。

杏子は聡明で心優しい目元をしていた。容姿はまるで違うが、それは亡き母に通じるものがあり、咲夜は人──正しくは人ではないが、久しぶりの他者の温もりに心が震えた。

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