黄金の星『ケルノス』。
その地表を覆い尽くすのは、見渡す限りの絶望と熱砂である。
極限の風化作用によって砕かれた大陸は、果てしない黄金の砂海となってどこまでも広がっている。人間を容易く飲み込むほど巨大な原生生物の獣たちが、砂浪をかき分けて跋扈するその過酷な世界において、人類は大地に点在するわずかな翠点――オアシスに身を寄せ合い、孤絶した国家を築いて生き延びていた。
生命の拒絶を是とするようなこの不毛の星で、人類が生き残るための唯一の牙となったのが煉魔術である。
星の大気には、魔素と呼ばれる力が漂っている。人々は己の体内に宿る特異な器官を震わせ、深い呼吸と共に大気中の魔素を吸い込む。血肉の奥底で練り上げられたその力は、やがて物理法則を書き換える現象となって体外へと放たれ、猛る巨獣の牙を退ける盾となり、刃となった。
人は呼吸一つで星の理と繋がり、自らの命を燃やして奇跡を紡ぐのだ。
しかし、星が吐き出す息吹は、決して清浄なものだけではない。
かつて世界を焼き尽くした先の大戦の折、大地には見せしめとして投下された爆弾によって、底知れぬ巨大な大穴がいくつも穿たれた。今なお癒えることのない大地の傷跡からは、致死の障気が絶え間なく漏れ出している。
魔素が人間の理性を研ぎ澄ます力であるならば、障気は生命の本能を強制的に励起させ、人を獣へと変貌させる呪いである。砂漠を往く者は、魔素と障気が入り混じる風の匂いを嗅ぎ分け、己の肉体が獣に堕ちる恐怖と隣り合わせの脆い均衡の上を、綱渡りするように生きなければならなかった。
この狂った星の歴史は、過ぎ去りし季節の幻影と共にあった。
灼熱なる夏の古代。その神話的文明の苗裔を自称し、今なお世界の血脈に根を張るグローバル企業、ノース社。
落日の秋。かつて死の商人として世界に兵器をばら撒き、今もなお陰謀論の只中で裏社会を牛耳ると囁かれる旧財閥、シエンの民。
彼らが遺した禍根と極限の自然環境は、いつしかこの星に凍てつく冬の時代をもたらした。命を懸けた巨大な産業と階級――星の脅威に立ち向かい、砂漠を征く、狩猟者たちの狂騒である。
公式な認可のもと、最前線で生計を立てて巨獣を屠る戦士、職猟者。
協会の枠に縛られず、己の猟遊権のみで荒野を渡り歩くフーテン、遊猟者。
彼らの過酷な旅を支え、自らの背に命を繋ぐ物資を背負って戦場を駆ける同志、歩荷。
法の外に堕ち、明月のない夜の闇に紛れて死体と砂漠を荒らす無法の信徒、密猟者。
生存のためではなく、剥製や悪趣味な名誉のために命を狩り、いずれ訪れる泥濘の春を待ち望む異端、蒐猟家。
そして――すべての狩猟者の頂点に君臨し、果てなき砂海の輪廻彷徨すら己の庭とする絶対の特権階級、渉猟者。
渇きと暴力、そして権力と狂気が渦巻く、血生臭き冬の時代。
――そんな、美しくも残酷な世界の片隅でのこと。
ある日、とある王国の周りを取り囲む森を抜けた先、砂嵐の届かない静かな砂浜に、一人の少年が漂着した。
運良く寂れた孤児院に拾われ、温かい食事に恵まれた彼であったが、自らが何者であるかという過去の記憶を完全に失っていた。異域の衣服を身につけた彼が、どこから来て、なぜ波打ち際に倒れていたのか。彼の身の上を知る者は、誰一人としていない。
それから数ヶ月後、名もなき漂流者となった少年は、己の内に眠る力の理を学ぶため、王立魔道学園へと編入すべく王都へ赴くことになる。
これは、渇ききった砂漠の星で、彼が失われた自らの輪郭と、世界の底に沈む真実を取り戻していく物語である。
黄金の星ケルノスを舞台に、時代と血脈を越えて紡がれる連作群の共通タイトル『エルグ─E.R.G─』。この三文字には、本作の世界観――「全球砂漠という環境」「魔法と生命のシステム」「歴史的カルマと未来への渇望」のすべてを貫く、多言語的な意味合いが込められています。
1. 黄金の砂海と、生命の「血脈」(アラビア語)
本作の舞台となる見渡す限りの砂砂漠を、アラビア語に由来する地理用語で「エルグ(Erg)」と呼びます。元来この言葉は、風紋が走る砂丘の様を人体の「血管」に見立てたものであり、そこから派生して「植物の根」「血統や出自」といった【生命の根源と血脈】を意味します。また、同時に「骨から肉をむしり取る(削ぎ落とす)」という残酷な動詞的意味も持ち合わせています。
極限環境において歴史と環境が削ぎ落とされ、巨大獣と人間が血の歴史(遺伝と寄生)を刻みながら砂を往く、この物語の舞台そのものを表しています。
2. 魔力と労働、エネルギーの「仕事」(ギリシャ語)
ギリシャ語を語源とし、物理学における仕事・エネルギーの単位を指す「エルグ」。
呼吸によって大気中の魔素を取り込み、細胞を燃焼させて物理法則を書き換える錬魔術のメカニズムは、エネルギーの変換という【生命の仕事】そのものです。限界を超えた魔力の行使が肉体を融解させるほど過酷なこの世界において、生きることは命というエネルギーの消費そのものであり、過剰な魔力の行使が星を全球砂漠へと追いやった歴史的ジレンマを象徴しています。
3. 命を繋ぐ「放牧地」と、極限の「禁忌」(古ノルド語・オランダ語)
ヴァイキング時代の古ノルド語において、エルグは家畜を養うための【夏の牧草地・搾乳場】を意味しました。草木一本生えないこの全球砂漠において、その概念は、わずかに点在するオアシスであり、そこで資源として狩られ、解体される巨大獣(移動する資源)の存在と重なります。
一方で、オランダ語では【深刻な、ひどい、極度の】という極限状態を、同音の古ノルド語(ærgi)では【呪術的な異端性、邪悪】という禁忌を指します。命を養うためのオアシス(牧草地)が、障気(獣化の呪い)と魔力中毒者たちの狂騒に沈む、現在の凄惨な世界情勢を暗示しています。
4. 次代を呼ぶ「白き輝き」と「歌」(印欧祖語・アルメニア語)
印欧祖語の根源において、この音は【白く輝くもの(銀)】を意味し、アルメニア語においては後世へ語り継がれる【歌・叙事詩】を意味します。
それはすなわち、凍てつく冬の時代と黄金の砂海を越えた先に待つ、伝説の白銀半球の存在であり、主人公たちが過酷な世界を生き抜いた果てに遺す、新たな時代への叙事詩となることを予感させます。
エルグ─E.R.G─。
それは、削ぎ落とされた砂の海で、命の熱を燃やし、血脈の呪いを乗り越えて、白銀の未来へと至るための唱歌なのです。
この物語の種が生まれてから、かれこれ10年以上。設定ばかりが膨らんで、本編はいつ書けるのやら……。
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