第22話 虚構体と血の記譚

 夜の帳が街ミードルを覆うころ、戦火の残り香がまだ通りに漂っていた。

 青白い光で燃えていた虚構体たちは今ようやく沈黙し、その残滓が風に流されていく。

 宿の前、リナとカイ、老人マルクは荒れた地を踏みしめて立っていた。

 焼け焦げた木の匂い、魔力の灰が雪と共に舞う。世界が沈む音があった。


「……終わりましたね。」

 リナが肩で息をしながら杖を下ろした。

 白い指に滲んだ血が、淡い光で癒えていく。

 だが息をつく間もなく、遠方からまた小さな震えが伝わってきた。


 カイはその方向を睨む。

 湖――ノルドの核心柱がある方角から、微弱な振動が広がっている。

 静寂の底で、何かが息を吹き返そうとしていた。


「……おかしい。あれほど静まっていたのに。」

 リナは眉を寄せる。


「リナさん、僕の胸が……熱い。」

 カイの掌が光を帯びる。胸元を押さえると、皮膚の下でアレンの魔導紋が紫に輝いていた。

 それはまるで呼応するように、遠くの夜空でも光が瞬く。

 再誕星が一度、大きく脈動していた。


 マルクがゆっくり歩み寄り、煙の中から落ちていた破片を拾い上げた。

 それは虚構体の核の一つだった。

 彼はそれを掌で転がし、目を細める。


「これは……聖刻器の欠片だ。」


「聖刻器?」リナが聞き返す。


「教会がかつて理の模倣を図って作った封印兵器さ。アレン殿が禁止した技術の残骸だ。

 奴らが地下遺跡に残したものが、今になって“理の共鳴”で再起動したのだろう。」


「つまり、虚構体は自然発生ではなく……人の手が関わっている?」


 マルクは重々しく頷いた。

 それを聞いたリナの表情が険しくなる。

 教会と王国の上層が、再び理に手を伸ばした――そう確信せざるを得なかった。


「アレン様が封印した理を、また暴こうというのね……。」


「そうだ。そして、封じられた災厄が再び芽吹く。」

 老いた声は静かに冬の空気に溶けた。


 その時、宿の裏手からいくつかの足音が響いた。

 複数。いや、十を超える。

 明確な隊列の歩調。鉄の鎧と、聖句を唱える声。


「来たか……。」リナの声が低く落ちる。

 扉が蹴り飛ばされ、風と共に聖騎士たちがなだれ込んだ。

 教会の紋章を胸に輝かせた彼らは、剣を抜き、光の盾を構えていた。


「北方禁忌地区の違法探索者よ! 名を名乗れ!」


 先頭の男――銀髪の黒衣の司令官が声を張る。

 リナとマルクはすぐに壁際へ退くが、カイがその前に立った。

 少年から放たれる微光を見た瞬間、騎士たちの目が鋭く輝く。


「その光……! まさか、“理の継承者”!?」


「退きなさい、彼に指一本触れさせません!」


 リナが叫ぶと同時に杖を振るい、閃光が宿の外壁を覆う。

 盾のような魔法陣が展開され、外の兵士たちが足を止めた。

 しかし司令官は後退しない。

 彼の右手の符から薄青い光が噴き出す。

 それは聖刻器の一種――制約符だ。


「聖刻器の使用は禁止されていたはず……!」


「禁忌は状況により破られる。貴様らが異端を庇護するのなら、我々が神に代わって裁く。」


「それが……アレン様の残した理を汚すとわかっていても?」


 司令官の瞳がわずかに揺れた。

 だが、すぐに決意の色に変わる。

 彼の背後から法力の詠唱が一斉に重なり、白銀の光が建物の中を呑み込んだ。


 閃光が走る。

 リナは咄嗟に結界を展開するが、衝撃が体を打ち、壁が爆ぜた。

 カイは吹き飛ばされた彼女を抱きかかえ、雪の上へ転がり落ちる。


 空気が震え、霜が音を立てて砕けた。

 宿の一部が崩落し、燐光に包まれる。


 立ち上がるカイの額に、一瞬、赤い輝きが走った。

 彼の背後で何かが開く。

 見えない空間が裂け、音もなく光の柱が雪の中心に立ち上がる。


 リナは見た。

 少年の中から、確かにアレンの意識の断片――記憶が姿を現すのを。


「やめて! その力を使えば、あなたが!」


 しかし、もう遅かった。

 カイの中の理が呼応し、周囲の空気を巻き込みながら展開する。


 光は方向を持たず、全ての物質を文字のような配列に還元していく。

 鎧が解体され、剣が粒子となる。

 その光に晒された聖騎士たちは声を上げる暇もなく、存在そのものが霧散した。


 残されたのは、ただ暖かな風だけ。


 カイはその場に崩れ落ち、目を見開いた。

 自分の手が震えている。

 恐怖でも怒りでもない――何も感じられない。


 リナが駆け寄り、必死にその手を握った。

 彼の瞳に映っているのは、己のしたことではなく“空虚”だけだった。


「……僕が……人を……壊した。」


「あなたは守ったの。あのままでは私たちは殺されていた。」


「でも、これはアレンさんの力だ。僕の意思じゃない!」


 声が震える。

 リナはその頬を両手で包んだ。

 その掌に宿る光が、少年の震えを少しずつ鎮めていく。


「いいえ。理はあなたを選びました。

 アレン様が見た未来を、あなたの中で試しているの。」


「そんな未来なら……!」


 叫びかけた瞬間、カイの胸から再び光の筋が昇る。

 それは空に溶け、遠い南の方向へ伸びていった。

 そこに何かが呼応している――リナには感じ取れた。


「リオル……。」


 彼女は胸の奥で名を呼ぶ。

 南方、勇者が旅を続けている地にも、同じ光が降り注いでいるはずだった。


         ◇


 同じ頃、リオルは広大な砂原の上を歩いていた。

 荒廃した古代都市の残骸が月光に照らされている。

 彼の目が鋭く細められる。

 砂の中から淡い紫の脈動が広がっていた。


「……やはりこの地にも、“理の芽”があるのか。」


 剣を抜く。

 光が走り、砂の下から無数の影がうごめいた。

 灰色の人型――虚構体とは違う、まだ名を持たぬ存在。

 その中心に光の繭があった。


 中には少女が眠っていた。

 白金の髪、そして胸の位置に刻まれた理の紋。

 彼女の顔を見た瞬間、リオルは剣を下ろした。


 その容貌が、若き日のアレンにどこか似ていたからだった。

 再誕の理は形を変え、再び人の姿を取ろうとしている。


「……アレン、これはお前の仕組んだ“続き”なのか。」


 風が吹く。

 砂が舞い上がり、空で星が瞬く。

 再誕星が、またひときわ大きく脈打った。


 リナのもとでは少年が眠り、リオルの前では新たな命が芽吹く。

 そしてその全ての動きを、遥かな空の果てで誰かが静かに見守っていた。


 黒衣をまとった存在、アレンの影。

 もはや肉体ではない。ただ“理の観測者”として、世界を見ている。


『人はまた選ぶのだな。希望か、破滅か。』


 風が囁き、凍りついた夜が再び動き出す。

 世界はもう一度、試されようとしていた。

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