第16話 封印の裂け目、二つの決意
紅の灯が消えた山に、夜だけが取り残されていた。
あの激突の直後、黒霧山脈一帯は落雷と爆砕により地形が変わり、山肌の一部が崩落していた。
そこにひとり、勇者リオルが膝をついている。
折れた聖剣クラディウスの破片を握りしめ、荒い息を吐きながら、空を仰いだ。
紫に染まった雲の裂間から、微かに光が降りてくる。
だが、それは希望の光ではなかった。
空に浮かぶ巨大な魔法陣――ノルドの制御核が上層を突き抜けて、地上に“新しい門”を開き始めていた。
「くそ……まだ止まっていないのか……アレン……。」
低く唸る声が夜に吸い込まれていく。
背後では、戦士ガレドが岩の破片をどかしながら彼に近づいた。
鎧には傷が刻まれ、肩口から血が流れている。
「生きてたか……リオル。」
「ああ。……だが、アレンはどこかへ消えた。ノルドに吸い込まれた。もう、人の場所じゃないあそこへ。」
「つまり、あいつは完全に“核心”になったってことかよ。」
ガレドの言葉に、リオルはうなだれるように頷いた。
焼け焦げた地表の穴からは、紫色の光が静かに滲み出ている。
空気が重い。呼吸するだけで胸が圧迫され、焦げた鉄の味がする。
「ノルドが……変わっていく。」
地の奥から、鼓動のような振動が響いてきた。
リオルが顔を上げると、山脈全体が脈動していた。
まるで生き物のように、岩壁が盛り上がり、無数の細い光線が地上へ伸びていく。
ノルドが地上への侵蝕を始めた。
「王都まで時間の問題だな。……あれを止めるには、もはや人の軍じゃ無理だ。」
「その“人”が、アレンを止められる最後の機会を失ったってわけか。」
ガレドが笑いもせず呟く。
リオルは折れた剣を見つめ、それを握りしめた。
刃の根元には、アレンがかつて刻んだ魔導紋がまだ輝きを放っていた。
まるで持ち主の迷いに反応するかのように淡く光り、微かに脈動している。
「アレン……。あんたは自分で何を封じようとしてるんだ。」
その答えを求める声は届かない。
彼の視線の先で、大地が割れた。
数十メートル離れた岩壁の中から、黒い霧が噴き出している。
次の瞬間、耳をつんざくような叫びが響いた。
「退がれ!」
リオルとガレドは反射的に後退する。
穴の奥から出てきたのは、歪な異形の群れ。
人でも獣でもなく、金属と血肉を融合させたかのような生命体。
その頭部だけが人のものだが、顔は皮を失い、紅の眼を光らせている。
「“紅の使徒”の残骸が……再構成された? いや、違う……」
リオルが目を細めた。
その中心に立つひときわ大きな影――人の姿をしているが、その背にはまるで翼のような触手が生えていた。
その中心で紫の光が燃える。
アレンの魔力に酷似した波動。
「……アレンの分身だ。ノルドの一部が意志を持ち始めた……!」
「じゃあ、もう助けるも何もねぇじゃねえか。」
ガレドが苦笑しながら斧を構える。
リオルも立ち上がり、折れた剣を鞘に収め直した。
すでに刃は完全な形を失っている。
それでも、彼の中で何かが再び燃え始めていた。
「まだ、終わらせていない。」
彼は空を見上げた。
ノルドの門の上、雲の裂け目の向こうから白い光が流れ始める。
新たな存在が近づいている――天上から降りてくるような気配だ。
「……これは、“聖騎”の召喚光か。」
ガレドが唸る。
光の中から姿を現したのは、重厚な銀鎧を纏った騎士。
その背に純白の羽のような装飾があり、胸には神聖教会の徽章が刻まれている。
その手に握られているのは、“神剣フロウリア”と呼ばれる神器。
「勇者リオル。陛下の命令により、貴殿の拘束とアレン・フェルドの抹殺を命じる。」
「……来たか。王も、教会も、結局は同じか。」
リオルが深く息を吐く。
その剣がまだ再生していないことを確認しながらも、彼は身を低くした。
対して、聖騎士は重々しい声で続ける。
「ノルドの覚醒を止めるために、王都では“神性融合”の儀が発動される。お前の存在は、その障害になる。」
「神性融合……? それは、教会が封印したはずの人為転神術じゃないのか。」
「かつての聖女エリナと同じ力を継ぐ者が、今、媒介として覚醒した。これが最後の聖戦だ。」
リオルの胸が締めつけられる。
エリナの名を聞いたその瞬間、脳裏に彼女の笑顔が浮かぶ。
そして、胸に埋め込まれた淡い光――魔王の心核の名残を思い出す。
「……あいつを使う気か……!」
「彼女はすでに“選ばれし器”と化した。人の意思では止められぬ。」
言葉が刃のように冷たく落ちる。
ガレドが舌打ちをする。
「ふざけんな。そいつら、自分で何やってるかわかってねえだろ!」
「命令だからといって屍を積むのかよ!」
リオルが叫んだ。だが、聖騎士は何も答えなかった。
ただ、剣を構え、淡々と光を集めていく。
「……なら、俺もやることはひとつだ。」
リオルが剣を両手で構え、覚悟を定めたその瞬間、
地を穿って新たな光が立ち上った。
山の奥――ノルドの核心からだ。
紫でも赤でもない、白銀の閃光。
それは一瞬で空を貫き、世界の色を変えるほどの輝きを放つ。
「何だ、これは……!」
「“心核”の第二覚醒だ。アレンが……いや、ノルドそのものが進化を始めた!」
リオルが叫ぶ。
聖騎士もガレドもその光に体を押され、後ずさる。
大地が焼け、山が裂け、空気が震える。
そして、その光の中心から、人影が現れた。
黒衣をまとい、背には光と影の翼を同時に備えた姿。
アレン・フェルド。
だが、その表情は無限の静寂を湛え、“神”にも“人”にも見える異形の者だった。
「……リオル、来るな。」
その声は風よりも静かだが、確かに届いた。
そして、次の瞬間、彼の背後に巨大な魔導陣が展開される。
十重に重なる円陣、そのどれもが“世界法則”の符を刻んでいる。
「まて、アレン! その力を使えばお前が……!」
「知っている。だが、これ以外に封印を維持する方法はない。」
アレンの目がわずかに柔らかくなる。
その瞳の奥に、リオルと共に過ごした日々が微かに揺れていた。
「この理を壊すために創られた“災厄”を、俺自身が封じ直す。
それが、お前たちにできなかった“救い”だ。」
「やめろ、アレン――!」
リオルの叫びも、光に飲まれて掻き消えた。
天と地を繋ぐ白銀の閃光が弾け、無限の花弁となって四方に散る。
その中心で、アレンの姿はゆっくりと霧に溶けていった。
ノルドの鼓動が止む。
空の裂け目が閉じ、紅の月が沈む。
そして、残されたのは、折れた剣とひとひらの羽だけだった。
リオルは地に膝をつき、それを両手で掴んだ。
熱い涙が頬を伝う。だが、その目にはまだ炎が見える。
「終わらせない……俺は、まだ届いてない……。」
風が去り、夜が戻った。
だが、その静寂の奥で、何かが再び震えている。
彼らの知らぬ場所――地の底で、アレンの魂を包んでいた封印が、新しい色を帯び始めていた。
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