そのAIは、少女の夢(ハルシネーション)を見るか

茶っぴい

ユーザーからの不具合報告

 ウィル・スミスが素手でパスタを爆食していた。


 そんな海外製の動画生成AIがタイムラインを荒らしてから、しばらく経つ。

 言葉を打ち込むだけで、あり得ない光景が動画になる。

 笑い話半分、悪夢半分の「魔法のツール」。


 その対抗馬として、日本の企業が国産モデルをリリースした――というニュースを見たのは、たまたま残業明けの夜だった。


 国産動画生成AI『Nivo』。


 トップページには「あなたの想像を、そのまま形に」という、どこかで見たようなキャッチコピーが踊っている。

 アカウント登録はすぐに終わった。無料クレジットも十分にある。


 深夜二時。ワンルームの部屋には、モニターの光だけが浮かんでいた。

 僕は特に作りたいものもなかったが、とりあえずテストがてら適当な単語を打ち込んだ。


> 新宿を歩く猫、サイバーパンク風


 生成ボタンをクリックする。

 画面中央のインジケーターがくるくると回り始めた。

 日本発というだけあって、処理速度は悪くない。


 数秒後。動画が表示される。


 ――ザザッ。


 ノイズが走った。

 ネオン輝く新宿なんて、どこにもなかった。


 画面に映っていたのは、暗い川沿いの風景だった。

 アスファルトの通路。古びた街灯。

 そして、画面を横切る、錆びついた赤い欄干。


「……なんだこれ?」


 精度が低いな、と僕は鼻で笑った。

 学習データが偏っているのか、それとも日本語のニュアンスを拾えていないのか。

 気を取り直して、もっと簡単な単語を打ち込む。


> 青い空、白い雲


 これなら間違えようがないはずだ。

 生成完了。再生。


 ――ザザ……ッ。


 同じだ。

 また、あの川だ。


 さっきより、カメラが少しだけ欄干に寄っている。


 欄干の前に、誰かが立っていた。

 セーラー服を着た、小柄な背中。

 黒い髪が、濡れたように背中に張り付いている。


 動画なのに、動かない。

 風の音も、川の音もしない。完全な無音。


 それなのに、その背中だけが、強烈な圧迫感を持ってそこに「在る」。


 マウスを握る手が汗ばんだ。

 ブラウザの更新ボタンを押す。反応しない。

 タブを閉じようとしても、カーソルが画面に吸い付いたように動かない。


 ふと、画面の中の様子が変わった。


 ――ザザザッ。


 少女の周りに、黒い粒子のようなものが浮かび上がった。

 映像の乱れじゃない。もっと有機的な、煤や泥のような汚れが、彼女の輪郭にまとわりついている。

 黒い渦が、ゆっくりと脈打つように揺れた。


「……え?」


 僕は思わず椅子を引いた。

 少女は動いていない。

 ずっと背を向けたままだ。顔なんて見えない。


 それなのに、見られている。


 モニターの向こう側から。あの無防備な背中そのものから。

 背中一面に、見えない瞳孔がぎっしり埋め込まれていて、

 それが一斉に開いて、こちらを覗き込んでいるみたいだ。


 値踏みされている。

 逃げ場のない場所で、じっと見下ろされている。


 逃げなきゃ。


 そう思った瞬間、スピーカーから音が漏れた。


 ボソッ、と。


 機械音声じゃない。

 湿った、生身の人間の声。

 耳元で囁くような距離で、それは、たった二音だけを落とした。


「見ないで」


 ブツン。


 モニターがブラックアウトした。

 暗転した黒い画面に、青ざめた僕の顔が映っている。

 その肩越しには――誰もいない。


 ……はずなのに、部屋の隅から、水気を含んだような冷たい匂いがした。


 見に行く勇気は出なかった。

 翌朝になってもそこには、濡れた足跡のような染みが、いつまでも乾かずに残っていた。

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