第7話 初めてのソロ配信、コメント欄の流れる速度が早すぎる

金曜日の放課後。

明日はいよいよ、天道ヒカリとのコラボ配信の日だ。


俺、黒峰カイは、都内某所にある探索者ショップの試着室にいた。

手には、新品の黒いコンバットスーツと、少し値の張る合金製のロングソード。

『スターダスト』時代は、ボロボロの防具と、荷物運び用の巨大リュックが俺のトレードマークだった(強制されていた)が、これからは違う。


「……形から入るのも重要だよな」


鏡に映る自分を見る。

顔には、深淵ダンジョンの時と同じ、シンプルな白いハーフマスク。

正体を隠すというよりは、もはや「あの時の仮面の男」というブランドイメージが定着してしまったため、外すに外せなくなっていたのだ。


「装備の調子を見るためにも、一度リハーサルをしておくか」


俺はショップを出て、近くにあるBランクダンジョン『嘆きの地下道』へと向かった。

ここは中級者向けのダンジョンで、アンデッド系のモンスターが主に出現する。

リハビリには丁度いい相手だ。


ダンジョンの入り口を抜け、人のいないセーフティエリアに陣取る。

俺は昨日、なけなしの貯金をはたいて購入した最新型の配信ドローン『スズメバチ君3号(仮)』を起動した。


「よし、接続確認。マイクテスト」


スマホのアプリを立ち上げる。

アカウント名は『no_name』から『カイ』に変更済みだ。

まだ告知もしていないし、平日の中途半端な時間帯だ。そんなに人は来ないだろう。

俺は軽い気持ちで『配信開始』のボタンをタップした。


タイトル:【テスト配信】明日のコラボに向けて、装備の調整枠。


その瞬間だった。


『カイさんが配信を開始しました』


スマホがフリーズしたかと思った。

画面の下半分にあるコメント欄が、色のついた帯となって高速で上へと流れていく。

文字が読めない。ただの模様にしか見えない。


「……は?」


視聴者数のカウンターが、ドラムロールのように回転している。

100人、1000人、10000人……。

開始からわずか十秒で、同接数は五万人を突破していた。


『うおおおおおおお!!』

『きたあああああああ!!』

『通知見て飛んできた!』

『正座待機余裕でした』

『本物か!? 本物のカイくんなのか!?』

『仮面つけてる! あの時の人だ!』

『テスト配信で5万人ってなんだよwww』

『明日のヒカリちゃんとのコラボ楽しみすぎる』


「ちょ、ちょっと待ってくれ。流れが速すぎて読めない」


俺は慌ててコメントの流速設定をいじろうとするが、操作が追いつかない。

スーパーチャット(投げ銭)の通知音が、パチンコ屋の大当たりのように連続して鳴り響く。

赤、黄色、青。色とりどりの金額付きコメントが画面を埋め尽くす。


『祝・初ソロ配信! ¥10,000』

『スターダストを見返してやれ! ¥50,000』

『装備代の足しにしてください ¥5,000』

『結婚して! ¥12,000』


「あー……ありがとう。でも、まだ何もしてないぞ?」


俺が困惑してカメラに語りかけると、それだけでコメント欄が『可愛い』『困ってるww』『強さとコミュ障のギャップ萌え』などと加速する。

どうやら、俺が何をしても盛り上がるフェーズに入っているらしい。


「とりあえず、進むか。今日はBランクダンジョンだから、サクッと終わらせる」


俺は剣を抜いた。

新品の剣は、鈍い銀色の光を放っている。

今までサポーターとして「守る」ことに特化していた俺にとって、武器を持って「攻める」という行為は、少し新鮮だった。


「行くぞ」


通路の奥から、腐った肉の臭いと共に、ゾンビの群れが現れる。

数は二十体ほど。

普通のパーティなら前衛が盾を構え、後衛が聖魔法を準備するところだ。


だが、俺は一人。


「『身体強化(フィジカル・ブースト)』」


軽く魔力を循環させる。

全身の筋肉がバネのようにしなやかになるのを感じる。

俺は地面を蹴った。


ドォン!


踏み込み一発で、俺の体は砲弾のように加速する。

先頭のゾンビとの距離が一瞬でゼロに。


「まずは、剣の切れ味を試す」


横薙ぎの一閃。

剣術スキルなど持っていない我流の剣筋だが、圧倒的な速度と筋力がそれを補って余りある。

銀色の軌跡が走り、三体のゾンビの首が同時に宙を舞った。


『はっや』

『見えなかった』

『剣術スキルレベルいくつだよ』

『いや、あれスキルじゃないぞ。ただの身体能力だ』

『Bランクモンスターが紙切れみたいだ』


俺は止まらない。

群れの中心に飛び込み、回転しながら斬撃を放つ。

ゾンビたちが次々と肉塊に変わっていく。

しかし、五体目を斬ったあたりで、手元に違和感を覚えた。


パキッ。


「……あ」


乾いた音がして、剣身が根元から折れた。

勢い余って、折れた切っ先が壁に突き刺さる。


「嘘だろ……これ、二十万円もしたのに」


俺は柄だけになった剣を見つめて呆然とした。

店員は「ミスリル合金配合で、耐久性は抜群ですよ!」と言っていたはずだ。

俺の出力が高すぎて、武器の耐久限界を超えてしまったらしい。


『wwwwwwww』

『剣「解せぬ」』

『ゴリラすぎて草』

『また素手かよwww』

『武器(デバフ)が壊れて、真の力が解放される……!』

『店員「そんな使い方するとは聞いてない」』


コメント欄は大草原不可避の状態だ。

残りのゾンビたちは、武器を失った俺を見て「好機」とばかりに襲いかかってくる。

唸り声を上げて迫る腐乱死体たち。


「はあ……仕方ない」


俺は壊れた柄を投げ捨て、ファイティングポーズをとった。


「やっぱり、俺にはこっちの方が合ってるみたいだ」


右拳に魔力を込める。

今回は『凍結』のような搦手は使わない。

単純な、魔力による打撃強化『インパクト』。


「ふっ!」


正拳突き。

拳がゾンビの腹に触れるか触れないかの距離で、圧縮された魔力が炸裂した。


ズドォォォォォォンッ!!


衝撃波が発生し、直線上にいた十体のゾンビが、まるでボウリングのピンのように吹き飛んだ。

壁に叩きつけられた彼らは、もはや原型を留めていない。

ただの一撃で、通路が掃除された。


「……うん。こっちの方がコストかからないし、早いな」


俺が手をパンパンと払うと、ドローンが俺の周りを嬉しそうに旋回した。

コメント欄の速度が、さらに倍速になる。


『ワンパンマンかよ』

『魔法使えよ! 脳筋魔法使いか!』

『いや、衝撃波は魔法……なのか?』

『サポーター(物理)』

『爽快感がすごい』

『これもう明日のコラボ、ヒカリちゃんの出番ある?』

『ヒカリちゃんがドン引きするか、惚れ直すかの二択』


その後も、俺は順調にダンジョンを進んだ。

スケルトンを蹴りで粉砕し、レイス(悪霊)を「うるさい」と睨みつけて消滅させ(威圧スキル)、中ボスの巨大グールに関しては、ドローンに向かってピースしている間に背後から近づかれたので、裏拳で殴ったら首が千切れてしまった。


「あ、やべ。今のボスだったか?」


俺の天然ボケ(本人にとっては至って真面目)な発言に、視聴者たちは腹を抱えて笑ったことだろう。

気づけば、同接数は十五万人を超えていた。

平日夕方の突発配信としては、異例中の異例だ。


そして、最奥のボス部屋。

現れたのは、『嘆きの地下道』の主、デュラハン。

首のない騎士が、漆黒の馬に跨り、巨大な槍を構えている。

Bランク上位、Aランクに近い実力を持つ強敵だ。


「ヒヒィィィン!!」


馬がいななき、デュラハンが突撃してくる。

重戦車のような突進。

俺はそれを避けることもなく、正面から受け止めることにした。

新しく買ったコンバットスーツの耐久テストも兼ねて。


「来い」


ドォォォン!!


激突音。

土煙が舞い上がる。

視聴者たちが『さすがに受け止めるのは無謀じゃ!?』と息を呑んだ瞬間。


煙の中から現れたのは、デュラハンの突撃を片手で止めている俺の姿だった。

馬の顔面を掌底で押さえ込み、その勢いを完全に殺している。


「スーツの伸縮性は問題なし。衝撃吸収もしっかりしてるな」


俺は冷静に装備の評価を下すと、デュラハンの振り下ろしてきた槍を、もう片方の手で掴んだ。


「返してもらうぞ」


メキメキメキ……。

鋼鉄の槍が、俺の握力で飴細工のように捻じ曲げられる。

デュラハンが困惑したように(首はないが)動きを止める。


「終わりだ」


俺は馬の腹を軽く蹴り上げ、デュラハンが体勢を崩した隙に、その胴体に回し蹴りを叩き込んだ。


ガシャアアアアンッ!!


鎧が砕け散る音と共に、デュラハンは壁まで吹き飛び、光の粒子となって消滅した。

ドロップアイテムである『騎士の首飾り』がチャリンと落ちる。


「……ふう。いい運動になった」


俺はドローンに向かって、親指を立てた。

いわゆる「サムズアップ」だ。


「テスト配信はこれで終了だ。明日のコラボ、天道ヒカリさんと『翠緑の迷宮』に行く予定だから、よかったら見てくれ」


『絶対見る!!』

『お疲れ様でした! 神回だった』

『スパチャ読み上げてくれなくていいから、美味しいものでも食べて!』

『アンチが息してないwww』

『明日は歴史が変わるぞ』


嵐のような称賛コメントに見送られ、俺は配信を切った。

画面が消えた後、俺は大きく息を吐き出し、壁に寄りかかった。


「……疲れた」


モンスターとの戦闘よりも、数万人の視線を意識しながら喋る方が、よほど精神力を削られる。

だが、確かな手応えもあった。

俺はもう、誰かの後ろを歩く存在じゃない。

自分の足で、自分の力で、前に進んでいる。


スマホを確認すると、配信の収益予想額が表示されていた。

『推定収益:¥2,850,000』


「……は?」


一時間弱の散歩で、サラリーマンの年収の半分近くを稼いでしまった。

これが、トップ配信者の世界か。

俺は震える手でスマホをポケットにしまった。

これは、装備代と……あとでヒカリさんにお礼の品でも買うのに使おう。


          ◇


一方、その頃。

『スターダスト』のシェアハウス。

リビングの大型モニターには、俺の配信終了画面が映し出されていた。


「…………」


沈黙。

キラ、ミナ、ゴウの三人は、言葉を発することなく画面を見つめていた。

テーブルの上には、コンビニ弁当の空き箱と、飲み散らかした空き缶が転がっている。


「……なんだよ、あれ」


キラが絞り出すように呟いた。


「剣を折って、素手でデュラハンを……? Bランクダンジョンを、散歩みたいに……?」


認めたくない。

あいつはただの荷物持ちだったはずだ。

俺たちが守ってやって、飯を食わせてやっていた、格下の存在だったはずだ。

それがどうだ。

たった一人で、俺たちが苦戦するダンジョンを踏破し、俺たちが一ヶ月かけても稼げない額を、一瞬で稼ぎ出した。


「ふざけるな……ふざけるなよ……!!」


キラは缶ビールを握りつぶした。中身が床に飛び散るが、気にする様子もない。


「俺たちが主役なんだ。あいつは脇役なんだよ! なんで脇役がスポットライト浴びてんだよ!」


「キラ……どうするの?」


ミナが青ざめた顔で尋ねる。

SNSでは既に『スターダスト』と『カイ』の比較動画が出回り始めていた。

『無能と言われて追放された男、実は最強だった』というストーリーは、大衆の大好物だ。

このままでは、『スターダスト』はただの「無能な悪役」として終わってしまう。


「……決まってるだろ」


キラの目に、狂気が宿る。


「明日のコラボだ。あいつらが潜る『翠緑の迷宮』……俺たちも行くぞ」

「えっ? でも、あそこは推奨レベルが高すぎるわ!」

「正面から戦うわけじゃない」


キラはニタリと歪んだ笑みを浮かべた。


「ダンジョンには『事故』が付き物だ。モンスターを引き寄せる『誘引香』、モンスターを凶暴化させる『狂乱のポーション』……手持ちの金を使って買い集めろ」

「そ、それって……犯罪じゃ……」

「バレなきゃいいんだよ! それに、ダンジョン内での死は自己責任だ!」


ゴウがゴクリと喉を鳴らす。

「本気かよ、キラ……」

「やるしかねぇだろ! このまま終わってたまるか! カイの配信をメチャクチャにして、あいつが惨めに死に逃げるところを全世界に晒してやるんだ!

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