『世界監査官に転生した俺は、バグだらけの異世界をロールバックします』
あちゅ和尚
第1話 ブラック企業デバッガー、世界システムに転生する
その日も、俺はバグと一緒に死にかけていた。
「……またクラッシュかよ」
深夜二時。
ゲーム会社の薄暗いデバッグルームで、モニターには真っ赤なエラーコードとフリーズしたゲーム画面。
リリース三日前とは思えないほど、バグの嵐だった。
「佐倉くん、そっちのステージはどう?」
背後から、上司――プロデューサーの声が飛ぶ。
「はい、致命的エラーがあと三件ほど……」
「三件“も”!? なんとか朝までに潰しておいて。明日の朝会で『問題ありません』って言いたいからさ」
問題は山ほどあるのに「ありません」と言わせる世界。
日本のブラック企業のテンプレみたいな現場で、俺――佐倉 直人(さくら なおと)、二十八歳は、眠気と戦いながらコーヒーをあおった。
その瞬間、世界がふっと暗くなる。
(あ、やばい……)
視界がぐにゃりと曲がり、耳鳴りが世界を埋め尽くす。
キーボードを打つ指先から力が抜けていく感覚。
がちゃん。
床に倒れる音が、自分のものだと気づいたのは、意識が完全に途切れる直前だった。
──そして、次に目を開けたとき。
俺は、真っ白な空間に立っていた。
◇
上下左右、どこを見ても真っ白。
その中央に、場違いなオフィスチェアと、巨大なディスプレイが一枚。
そして、その前には──
「ようこそ、世界システム監査局へ」
淡い金髪に、空色のスーツ。
清楚なお姉さん……もとい、美人OL風の女神が、名刺を差し出してきた。
「初めまして。第三世界管理課・神界等級A、アルテリアと申します」
名刺には、信じがたい肩書きが並んでいる。
> 世界監査官担当女神
転生プロジェクト統括マネージャー
「あの……ここ、どこですか?」
「あなたが勤務中に過労で倒れて亡くなられたので、こちらの“転生ロビー”にお越しいただきました」
軽い調子で、とんでもないことを言うな、この女神。
「……俺、死んだんですか?」
「正確には“心停止してから三十二分経過”ですので、はい、死亡判定です」
さらっとひどい。
でも、不思議と実感がない。
ブラック企業でデバッグを続けていた俺には、「あ、やっぱり」という妙な納得感しかなかった。
「で、ですね」
女神アルテリアは、ぱん、と手を叩く。
「今回は女神側の“ミス”もありまして。あなたは本来、ここまで追い込まれずに済んだはずなんです」
「ミス?」
「はい。あなたが関わっていたゲーム、『ダンジョン・クロニクル・オンライン』のリリーススケジュール、本来は半年余裕がある計画だったんですよ」
「半年……?」
「ええ。ところが、上層部と私ども神界のシステムスケジューラーの齟齬により、時間線がバグりまして。結果、あなたの世界線だけ“締切が三か月前倒しされる”という不具合が発生しました」
「時間線がバグるって何?」
「私たち、あなた方の世界の“システム”も管理していまして。俗に言う『運命』とか『巡り合わせ』とか、そのへん全部ソフトウェアなんですよ」
女神は、さらっととんでもない設定を開示した。
「要するに、あなたは世界システム側の不具合で、過労死ルートに強制的に押し込まれてしまった。
……というわけで、こちらとしては“補填”が必要になります」
補填。
ゲーム会社でよく聞いた単語だ。
「補填って……もしかして、異世界転生とか?」
「はい。異世界ファンタジー世界への転生、チート能力付与、もれなく付きます」
テンプレ来た。
俺は思わず、苦笑する。
「……本当にあるんですね、そういうの」
「最近、異世界側の人材不足が激しくて。特に“システムに強い人材”が欲しかったんですよ。そこであなたの経歴を見て、白羽の矢が立ちました」
女神は、俺の履歴書らしきホログラムを表示する。
> ・オンラインRPGデバッグチームリーダー
・不具合再現の早さ、社内トップクラス
・仕様書よりログを信じるタイプ
「世界システム監査官として、これほど適性が高い人材はなかなかいません」
「世界システム……監査官?」
「はい。あなたに転生していただく異世界は、現在“バグまみれ”なんです」
画面が切り替わる。
剣と魔法の世界。
ドラゴンが空を飛び、塔の上から魔法陣が輝いている。
王国、冒険者ギルド、魔王城──お約束のファンタジー風景が、次々と表示されていく。
だが、その上に重なるように、赤い警告ウィンドウがいくつも浮かんでいた。
> 【警告】経験値テーブルに異常値
【警告】勇者候補の死亡率:98.7%
【致命的エラー】魔王討伐フラグの不整合
【致命的エラー】神託サーバー接続タイムアウト
「……なにこれ」
「ここ百年ほど、“勇者召喚”や“転生者召喚”をやりすぎまして。システムが完全に破綻しかけている状態です」
女神は肩をすくめた。
「勇者は短期間でインフレするし、転生者はチート能力で世界のバランスを壊すし、神々の間では“もう一回、世界を作り直したほうが早いのでは?”という意見も出ています」
「作り直すって、全員消すってことですよね」
「はい、このままだとそうなります。
そこで──あなたにやっていただきたい」
女神は、俺をまっすぐ見つめた。
「世界システム監査官として、バグだらけの異世界を“修正”しながら生きてください。
できれば“世界リセット”が必要ない程度に、正常運用できるように」
「いや、ちょっと待ってください。俺一人で世界直せって?」
「もちろん、それ相応の“権限”はお渡しします」
女神が指を鳴らすと、俺の目の前に半透明のウィンドウが現れた。
> 【職業】世界システム監査官(Temporary)
【パッシブスキル】
・バグ看破:世界システムの不具合箇所を可視化する
・ログ解析:過去のイベントログを閲覧可能
【アクティブスキル】
・ロールバック:特定範囲の時間と状態を巻き戻す(使用回数制限あり)
・デバッグモード:一定時間、自身と周囲のステータスを参照・調整可能(制限付き)
「……チートというか、完全に運営サイドの権限じゃないですか」
「ええ。なので、“悪用は厳禁”です。
あなたには世界の“監査”と“修正”をお願いしたいのですから」
「悪用したらどうなるんです?」
「その場合は──」
女神は、にっこり微笑んだまま、声だけをすっと冷たくした。
「あなたごとロールバックします」
怖いことをサラッと言うな、この女神。
「ただし、あなたの裁量の範囲は広く取ります。
誰を救うか、どのバグを優先して直すか、どこまで踏み込むか……それは、あなたが決めてください」
世界の命運を、元ブラック企業デバッガーに投げるなよ。
そう言いたかったが、言葉は喉の奥で消えた。
だって──
画面に映る世界は、どこかで見たゲームのようでいて、明らかに“生きている”世界だったからだ。
そこに暮らす人々の、笑顔や涙。
ログの片隅に表示される“死亡:村人A”“死亡:勇者候補B”の文字列が、急に重く感じられる。
(ここで「面倒くさいからリセットでいいっすよ」なんて言ったら……)
多分、俺は一生、自分を許せない。
──いや、もう死んでるけど。
「……わかりました」
俺は、女神を見据える。
「その世界、バグ取りしながら生きてみます。
本職ですから。バグと一緒に生きるのは慣れてます」
女神は、嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます。では、転生先の“詳細設定”に入りましょう」
◇
転生設定画面は、俺が散々見てきたキャラメイク画面にそっくりだった。
「まず、年齢。
成人からでもいいですが、システム観察の観点から、幼少期から始めるのをおすすめします」
「じゃあ、十歳くらいで」
「了解です。種族は人間でよろしいですね? エルフやドワーフ、魔族も選べますが」
「人間でいいです。あまり特殊だと、普通の基準がわからなくなりそうですし」
「職業は……初期職、“村役人見習い”なんてどうでしょう。村の記録を扱う仕事なので、世界の変化を観察しやすいです」
「勇者とかじゃなくていいんですか」
「勇者はシステムの“前線”ですから、どうしてもバグの影響を直接受けすぎるんですよ。監査官には、少し引いた位置から世界を見ていただきたいんです」
なるほど。
前線デバッガーではなく、全体のログを見るポジション、というわけか。
「ただし」
女神が、ほんの少しだけ表情を曇らせた。
「ひとつだけ、正直にお伝えしておきます」
画面に、新たなウィンドウが浮かぶ。
> 【重要】転生先ワールドステータス
・世界崩壊危険度:91%
・魔王復活まで残り:3年
・勇者候補の生存者:0名
・神界からのリソース供給:制限中(バグにより)
「──今、あの世界は、ギリギリで持ちこたえている状態です」
「勇者候補ゼロって、詰んでません?」
「詰んでますね」
即答か。
「なので、あなたの“ロールバック”スキルは、初期状態で一回だけ“世界規模”に使えるようにしてあります」
「世界規模……?」
「はい。一度だけ、“世界全体”を三年前の状態に巻き戻せます」
画面に、カウントダウンのような表示が現れる。
> 【ロールバック(世界)】使用可能回数:1/1
使用期限:魔王完全復活まで
「ただし、一度使えば、その後は二度と使えません。
それに、あなた以外の全員は記憶もろとも巻き戻されます。
──あなたの選択だけが、世界の未来を変えます」
責任が重すぎる。
「最初から使っちゃダメですか?」
「ダメではありませんが、ロールバックしても“原因”を直さなければ、同じ未来に収束します。
あなたはバグの“原因”を見つけ、それを潰さなくてはならない」
原因を特定して潰す。
デバッガーとして、嫌というほどやってきた仕事だ。
「……了解です。
世界がクラッシュする前に、原因を見つけて、直します」
「ありがとうございます」
女神は、安堵したように微笑む。
「最後に──個人的なお願いをひとつだけ」
「なんですか?」
「どうか、自分の幸せも忘れないでください」
意外な言葉に、俺は目を瞬いた。
「あなたはきっと、バグを全部背負い込もうとするタイプです。
世界を救うために、自分の心を犠牲にしがちです。
でも、それではまた“バグだらけの人生”になってしまう」
女神は、真剣な眼差しで続けた。
「世界を監査し、修正しながら──あなた自身の“幸せルート”も、きちんと確保してください。
それが、このプロジェクトの最重要KPIです」
「KPIって言うな」
思わずツッコんでしまう。
でも、その軽口が少しだけ、緊張をほぐしてくれた。
「……わかりました。
世界も、俺も。両方バグらせずにやってみます」
「はい。それでは、転生処理を開始します」
女神が、手元のコンソールに触れる。
足元に魔法陣のような光のリングが形成され、俺の身体が徐々に透けていく。
「佐倉 直人さん、いえ──これからは、“世界監査官”としてのあなたに、幸多からんことを」
視界が白に溶けていく。
最後に見えたのは、女神アルテリアの、どこか申し訳なさそうで、けれど確かな期待を込めた笑顔だった。
◇
──冷たい。
目を開けると、そこは真っ暗な森の中だった。
頭上には、見慣れない星空。
息を白く染める冷気。
周囲には、木々のざわめきと、遠くで吠える獣の声。
(ここが……異世界)
立ち上がろうとした瞬間、自分の身体の小ささに驚く。
「手……ちっさ」
十歳設定、ガチだった。
服装は粗末な麻のシャツとズボン。
腰には小さな木の杖と、布袋。
ゲームで言えば、完全に初期装備。
そのときだった。
> 【チュートリアルメッセージ】
転生おめでとうございます。
あなたは現在、王国西端の辺境村「リエナ村」のすぐ外にいます。
この村は、三十分後に魔物の襲撃を受け、壊滅する予定です。
「は?」
突然、視界に浮かぶウィンドウに、俺は固まった。
> 【世界システム監査官専用ログ】
イベントID:#A-02344 “辺境村リエナ襲撃”
発生確率:99.8%
参加NPC:村人23名 → 生存予定者:0名
備考:バグの疑いあり(魔物出現パターンが仕様を逸脱)
心臓が、嫌な意味で高鳴る。
(三十分後に、村が壊滅……?)
さらに、新しいウィンドウが重なる。
> 【ロールバック】
現在位置から半径1キロメートル以内の時間を、“一時間前”の状態に巻き戻せます。
使用しますか?
[はい]/[いいえ]
世界規模のロールバックではない、小規模版らしい。
使用回数は──
> 【ロールバック(局所)】
使用可能回数:3/3(チュートリアル期間中)
(チュートリアルで村壊滅イベントって、どういうゲームバランスだよ)
だが、自嘲している時間はない。
今、この瞬間にも、村では何も知らない人たちが、いつも通りの夜を過ごしているはずだ。
(これは……“監査官としての、最初のテスト”か)
俺は、ぐっと歯を食いしばる。
選択肢は、目の前に浮かんでいる。
このまま、予定通り壊滅イベントを眺めて原因を特定するか。
それとも、ロールバックを使って、襲撃自体を何度もやり直し、最適解を探るか。
世界は、俺の選択を待っている。
コントローラーも、セーブ&ロードもない。
あるのは、“監査官権限”と、自分の判断だけだ。
「……ログを見せろ」
まずは、原因を知る。
それが、デバッガーとしての基本だ。
> 【ログ解析】スキルを使用しますか?
[はい]/[いいえ]
「はい」
そう呟いた瞬間、視界いっぱいに無数の文字列が流れ出した。
村人の会話ログ。
今夜の見張り交代の記録。
森の奥で異常な動きを見せる魔物の行動パターン。
その中に、一行だけ、真っ赤なエラー行が混じっている。
> 【エラー】スポーンテーブル:不正な乱数値が混入しています
「……やっぱり、バグかよ」
思わず、口元が笑った。
世界がバグっている?
上等だ。
バグ取りは、俺のフィールドだ。
「ロールバック」
俺は、半透明のウィンドウに手を伸ばし、**[はい]**を押した。
世界が、一瞬だけ逆回転する感覚に包まれる。
星空が巻き戻り、風の音が逆再生され、森の影が再配置されていく。
──世界は、確かに“巻き戻った”。
そして、俺の異世界デバッグ生活が、静かに始まった。
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