満月の夜

夜星ゆき

その日は

 満月の夜だった。



「――爽太!」



 名前に似つかわしくない僕なんかより、よほど爽やかに僕の名前を呼んだ君の声が、脳内でこだまする。


 ちょっと先を歩く君が、こちらを振り返って、いたずらっぽく笑う。



 でもそれは、遠い昔の幻で、目の前には真っ暗な夜空と、対照的な街明かりのまぶしさしか残らない。


 君は、どこに行ってしまったんだろう。


 都会の明るさに目を細め、高いビル群の間から大きなはずの空を仰げば、皮肉なほど綺麗な満月が浮かんでいる。


 僕と君の関係は、何だったんだろう。


 名前をつけられるような関係ではなかったと思う。


 ただ、顔を合わせれば他愛もない話をして、君がどこかに行きたいと言えば、僕はやれやれとついていく。


 それだけの関係だった僕には、君が今どこにいて、何をしているかなんて知る方法も、権利もない。


 そもそも、12年前のあのときだって、僕は君の考えていることなんて全く分からなかった。


 でも不思議と嫌な気持ちになったことはなくて、君といる時間がどれだけ大切だったか、君がいなくなってから痛いほど思い知った。



 12年。



 12年経っているんだ。


 もう記憶の中の君も、淡い光に包まれて、よく見えなくなってきている。


 こうやって、想い出の中の君も、いつかは消えて行くんだろうか。


 それでも、君が僕の名前を呼ぶその声だけは、12年前から、少しも色褪せない。


 12年も忘れられないでいるのだから、一生抱えていくのかもしれないと思う。


 それも悪くないと思った。



 君が突然いなくなった、満月のあの夜。


 僕は君がいなくなったという知らせを受けて、家を飛び出し、あてもなく夜の街を走った。


 きっとどこかにいる。


 それで、走って息を切らした僕を見て、何してるんだと笑ってくれる。


 肺が冷たい空気に支配されて苦しい。


 それでも走った。


 走って走って、気がついたら君と来たことがある大きな公園に来ていた。


 君はその日も突然に、紅葉が見たいと言って僕を連れ出した。


 ついこの前のことのようなのに、君がいないだけで、なんだか遠い昔の話だったような気もする。


 見事な紅葉で君を彩っていた木々も、もう葉が落ちて寂しそうだ。


 君が立ち止まって触れていた木に、僕もそっと触れる。


 数日前にも会ったばかりの君を思い出しながら、細く長く伸びていく枝を目で追う。


「……」


 満月が、ほのかに僕を照らしていた。


 ああ、そうなんだ。


 満月を見た途端、僕はなぜかすべてを理解できたような、逆にすべてがわからなくなったような感覚に襲われながら、酷く納得したような気持ちを覚えた。


 君は、行ってしまったんだね。



 あの日と同じ満月を眺めながら、少しだけ口角が上がるのを感じる。


「……言ってくれたら良かったのに」


 どこかに行くなら、せめてお別れくらい。


 満月をみるたびに、必ず君を思い出す。


 まるで呪いのようだと思った。


 君にかけられる呪いなら、それも悪くない。



「――爽太」



 幾度となくこだました君の声が、やけに近く聞こえる。


 12年、その声も、抑揚も、勢いも、すべてがそのままに脳内に響いていた声より、少し大人っぽい音で、戸惑ったような。


 そこまで考えたところで、僕は思いきり後ろを振り返った。


 それは、満月の夜だった。

 

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満月の夜 夜星ゆき @Nemophila-Rurikarakusa

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