追放された味見係、【神の舌】で冷徹皇帝と聖獣の胃袋を掴んで溺愛される
藤宮かすみ
第1話「無価値な俺と、冷徹な皇帝陛下」
じっとりとした湿気が肌にまとわりつく。王宮の厨房の片隅、それが俺、リオの世界のすべてだった。
俺の仕事は「味見係」。王族の方々が口にする食事に万が一にも毒が盛られていないか、自分の舌で確かめる。それだけが、魔力も後ろ盾もない孤児の俺がこの壮麗な王宮にいられる唯一の理由だった。豪華な食事の香りを嗅ぎ、その一匙を口に含む。だがそれは決して腹を満たすためのものではない。常に死と隣り合わせの、緊張を強いられるだけの時間だ。
「まだいたのか、こんな無能が」
その声は刃物のように冷たく俺の背中に突き刺さった。振り返ると最近新しく宰相の地位についたという、太った男が嫌悪感を隠そうともせずに俺を見下ろしている。
「魔力も持たない者にこれ以上無駄飯を食わせる必要はないだろう。毒見など魔術でどうとでもなる時代だ。即刻こいつを追い出せ」
その一言はあまりにもあっけなく、俺のささやかな日常を奪い去った。衛兵に両腕を掴まれ、長年寝泊まりしていた屋根裏の小部屋から引きずり出される。手元にあるのはわずかな着替えと、母親の唯一の形見である木製のスプーンを詰め込んだ布袋ひとつだけ。
「待ってください! 俺は、ここでしか……!」
懇願の声は誰の耳にも届かない。重い城門が背後で閉まる鈍い音は、俺の世界が終わった音だった。
降り出した冷たい雨が容赦なく体を叩く。行く当てもなく、ただ濡れた石畳の上で膝を抱えるしかなかった。お腹が空いた。寒い。そして何より、悲しい。俺は本当に無価値な人間なのだろうか。誰にも必要とされない、ただ息をしているだけの存在なのだろうか。
涙と雨で視界がにじみ、生きる希望が消えかけていたその時だった。
不意に豪華な装飾が施された漆黒の馬車が、音もなく俺の目の前で止まった。驚いて顔を上げると、ゆっくりと扉が開かれ、中から一人の男が姿を現す。
銀に近い白金の髪。彫刻のように整った顔立ち。そして見る者を射抜くような、氷のように冷たいアメジストの瞳。その人間離れした美しさと身にまとった圧倒的な威圧感に、俺は息をのんだ。高価な黒い軍服は、彼がただの貴族ではないことを示している。
男は俺の前に立つと、その冷たい瞳で俺の頭のてっぺんから足の先までを無遠慮に一瞥した。
「なぜ、そんな顔をしている」
低くよく通る声だった。だがそこには何の感情も乗っていないように感じられた。問いかけの意味が分からず俺はただ震える。
「……俺は、王宮を追い出されて……もう、行く場所がないんです」
かろうじて絞り出した声は、自分でも情けないほどか弱かった。
男はふんと短く鼻を鳴らすと、もう一度俺の姿を品定めするように見た。
「腹が減っているならついてこい。俺のために食事を作れ」
「え……?」
あまりに唐突な命令だった。食事を俺が? 追放されたただの味見係の俺が?
戸惑う俺を気にも留めず、男は踵を返し馬車に戻ろうとする。その背中を見つめながら、俺はなぜか彼の瞳の奥に宿っていた不思議な力強さを思い出していた。それはただ冷たいだけではない、何かを射抜くような強い光。
生きることを諦めかけていたはずなのに。心のどこかで、まだ温もりを求めている自分がいた。
「……はい」
気づけば俺は無言で頷いていた。男は振り返ることなく、馬車の扉を開けたまま俺を待っている。俺は濡れた体を叱咤しよろりと立ち上がると、その光の中に吸い寄せられるように一歩を踏み出した。
これが孤独だった俺と氷の皇帝アレス、二人の運命が静かに交差した瞬間だった。
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