佐葦宝女学園
百谷合郷
さらば、不分明運命
午後五時は、紛うことなく、運命の刻であった。校舎の奥まった場所にある地理準備室の引き戸を五回、ノックする。カーテンによって室内を窺えないそれは、重厚にも軽薄にも感じられた。
「どうぞ」
遊貴院遥華は、戸を引いた。
「ようこそ、佐葦宝女学園オカルト部へ」
事はいつまで遡ろうか。根本を辿るのなら、遥華の幼少になるだろう。遥華は、母と二人で慎ましく暮らしてきた。父は、遥華が物心つく頃には他界していたが、不幸に思ったことは無い。それも、母がいつも言っていたのだ。
「お母さんはね、お父さんっていう運命の人と結婚したの。だからずっと幸せだし、大好きな遥華が居るから何も辛くない」
そう言ってどんな時も母は笑っていた。残業で遅くなった日も、上司に怒られたらしい日も、父の葬式でも。そして、次にこうも言う。
「遥華も、素敵な人と一緒になりなね。一人がいいなら、それでも良いけど」
そう目元を緩ませる母のことが誇らしかった。遥華は運命の人を夢見ていた。母曰く、運命の人は理屈じゃないらしい。決めたら確実にモノにしろ、とは恋愛に限らず家訓となっている。若くしてシングルマザーになった母は、遥華に甘くするだけでなく、父の代わりにと厳しくする事も多かった。残念なことにその厳しさは遺伝しなかったが、直情的なところは似ていると自負していた。
遥華は器用な子だった。尤も、そうでなくとも器用にならざるを得ない環境が整っていた。遥華は容姿が整っていた。甘いタレ目に厚い唇は艶やかで、しかしキリリと上がった眉が彼女を凛々しくさせている。当然のように、たくさんの好意を寄せられた。それこそ男女問わず。人間関係に悩みに悩む程には。
しかし、運命の人は見つからない。グッとこない。しっくりこない。運命の人探しに難航しているうち、ずるずると高校生になり、もう二年生だ。今日もバッチリ前髪をかきあげ、父の学ラン―母が良く似合うと言ってくれた一張羅だ―に袖を通し、登校する。入学した佐葦宝女学園は、制服が自由なのだ。
昼放課、遥華は購買で買ったあんぱんを咥えながら、中庭を眺めていた。そんな中、たまたま、ひとつの噂話が聞こえてきた。
「ねえ、知ってる?うちってオカルト部があるらしいの」
「オカルト部?」
「そう!なんでも、どんな問題も解決しちゃうんだって〜」
普段なら馬鹿にするかもしれない、呆れたように笑ったかもしれない。ただ、少しの焦りとほんの興味が、遥華を動かした。
「その話、良かったら少し教えてよ」
***
果たして戸は開いた。噂によると、部室に入れるかは完全にランダムらしいから、偶然にも運が良かったようだ。
「待ってたよ」
部室には、足を組んだ長い黒髪の女がただ一人いるだけだった。白ランに白のスカートは潔癖な雰囲気を与えている。右耳には南京錠、左耳には鍵の形のイヤリングがとろりと光っている。どこか鈍い色のそれは、アンティークらしかった。そして勝気な切れ長の瞳が、こちらを向いた。どこかミステリアスだ。
「おや、オウジサマじゃないか」
オウジサマ、それは遥華の渾名のようなものだ。スポーツ推薦で入学し、母曰く男前の父に似たらしい遥華は不本意ながらそう呼ばれていた。
「……出来れば、その呼び方やめてくんない?」
「これは失礼。遊貴院遥華くん、だったかな」
「まあ、そうだけど」
何か気に食わない。綺麗だという遥華の第一印象は、かなり簡単に覆った。
「アンタは?」
「私は京極秘翠。このオカルト部の部長だよ」
「ゲッ」
それは名前だけなら誰もが知っている、この学園の大問題児であった。遥華も例に漏れず、彼女の奇行を耳にしていた。曰く、授業中は専ら一心不乱に何か呪文のようなものを書きなぐっている。曰く、それに目をつけた教師にイビられたが、逆にコテンパンに言い負かして泣かせた。エトセトラ。
「なんだい?」
不審そうに秘翠が問うてくる。遥華は頭に浮かんだ逸話を消すように首を振り、辺りを見回す。地理準備室もといオカルト部部室には、秘翠一人しかいない。誤魔化すように質問を投げかける。
「他の部員は?」
「塾だったり補習だったりで休みだよ」
「顧問は?」
「非公認の部活に顧問がいると思うか?」
遥華は既に心配になってきていた。部長である秘翠は三年生な事も知っていたため、遥華は言葉遣いを改めることにした。
「で、ご用件は?」
「あたしは運命の人と出会いたい、デス」
「……正気か?」
「出来れば一生を添い遂げたい」
秘翠は眉をひそめた。遥華は早口で答える。
「夢なんだよ、運命の人。探すの手伝ってくれマス?」
「正気かって聞いたんだよ、私は。運命なんて下らないもんだ」
あと、取ってつけたような敬語は必要ない。つっけんどんな秘翠に、遥華は一瞬険しく顔を顰める。失礼すぎやしないかとも思いながら、頼みの為に笑顔を繕う。
「いいから、教えてくれよ。それとも解決できねーの?」
「……運命の人は分からないけど、ヒントなら出せる」
秘翠がため息をつきながら答える。ボケた地理準備室は、換気が必要なように感じた。
「なんだ、万能じゃないんだな」
「……別に協力しなくてもいいんだぞ私は」
「ゴメンて」
遥華の軽い態度が気に食わないのか、秘翠はフンと鼻を鳴らした。
「まあいい、識ってやろうじゃないか」
君のこと、と言うな否や秘翠がぐいと遥華に近付く。
「失礼するよ」
秘翠は遥華の胸元に手をやると、何かを引っ張るような動きをし、空で何かを摘んだ。そして手首を捻る。まるで鍵を開けているように。そして遥華の身体をすみずみまで見た。
「フーン……」
秘翠は目を細め、どこか様子を探るように言った。
「東北の、島だね。北界島ってとこだ」
そこに、運命への道標がある。遥華はたまらなかった。小走りに入口に向かいながら礼を言う。
「サンキュー!週末にでも行ってみるわ」
「待て、私も同行する」
「は?」
「少し、気になることがあるんだ」
そうして迎えた六月十九日。遥華は集合場所の正門に着いた。
「ホントーに北界島に行けるのかよ?」
この週末のために、遥華は色々と過ごしていた。旅行用具を買ったり、島について調べたり。しかしあることに気付く。北界島なんて、検索しても地図を見ても、出てこなかったのだ。自分に情報を教えてくれた女子や秘翠に、嘘を吐いている様子はなかった。半信半疑になりながらも、遥華は約束の時間の一時間前に到着する。既にその場に居た秘翠を見つけ、唖然としたのは言うまでもない。
「あァ、その事か。こっちで船を手配しておいたから、心配ない」
新幹線や電車、バスとあらゆる公共交通機関を乗り継ぎに乗り継ぎ、東北の端まで着いたところで、また船に乗る。船は北界島への貨物船らしく、今回は特別に同乗させてもらうとの事だった。どうにも、小さい島で観光目的の人も少なく、漁もしないため島と本州を往来する船はこの一艘のみだと聞く。
二人は月に一度しか往来しない船に乗り、海上に出る。潮の香りがどこか軽いのが、約五時間の海路を慰めているようだった。
「そんな田舎に、運命の人なんているのかね……」
「なんだ、辛気臭いな」
「そーお?ってか、帰りの船どうすんだよ」
船の上は電波が悪く、スマホも圏外になっている。定期船は荷物を下ろした後、すぐに本州に戻るらしい。
「帰りも手配したよ。知り合いに一級小型船舶操縦士がいたんでね、夜に出立だ」
「すげえ知り合いもいるもんだな」
「そうか?君も知ってる人だよ」
「えー誰だろ」
思い思いに知り合いを頭に浮べるが、それらしき人は分からなかった。どうでもいいことだ、とより興味のある質問をする。
「そういえば、気になることってなんだよ」
「……人探しだ」
「そりゃ偶然」
「君こそ、その面引っさげて運命の人を探すんだって?本当の王子様みたいじゃないか」
ハン、という文字がありありと見えるように秘翠は言った。分かりやすい挑発だったが、どうも暇な海路には遥華も辟易だったので、乗ることにしたのだ。
「え〜やだよ、王子様なんて名前すら知られないじゃん」
「名前ねェ」
遥華という名前は父と母が一緒に悩んで決めたと聞いている。だから、自分の名が好きだった。
「そ!固有名詞ってやつ。そっちこそさ、オカルト部ってちょっとどーなのよ」
少し疑問だったのだ。何でも解決部、とまではいかなくとも、オカルト部だなんて怪しく感じてしまう。
「知るか。そもそも先代から受け継いでるから、変えるに変えられないんだ。噂も回らなくなってしまうからね」
「へー」
へー、である。半ば会話に飽きたとも言えよう。正直、秘翠が受け継いだ名前を変えずに名乗っていることが意外だったが、遥華は言わないでおいた。空気も読めずに自分好みに部を改造してそう、なんて言ったらシバかれそうだったからだ。
ブォーン、船に乗ること二時間ほどで、ようやく島に着いた。見渡す限り、緑である。長閑な、日本の原風景といった風情だ。そこに、一人土をいじっている老婆が目に入る。
第一島民発見! 遥華は話しかけることにした。
「こんちは〜」
「あらあらこんな田舎に、よくいらっしゃったね」
にこやかな老婆だった。愛らしく垂れた目は、遥華に親近感を覚えさせる。
「老人ばっかだけんど、ゆっくりしてってね」
老婆の声に重なり、そこかしこから鶏の鳴き声が聞こえてくる。
「ここって、なんか運命にまつわる話とかある?あたし、運命の人を探しに来たんだ」
「運命の人かい?そんなら、エンコン様だな」
「エンコン様!?なんだそりゃ」
どう考えても、怨恨だなんてまともではない。
「ああ、怨みの方じゃないよ。縁に婚姻の婚と書いて、縁婚様だ」
よく間違われるのか、老婆の訂正は早かった。だからってなんでそんな紛らわしい名前なんだろうか。指摘するほどの違和感でもないと老婆に耳を貸す。
「エンコン様はね、良縁を結んで、この島を繁栄させてくれる。その代わり、本家の娘さんはエンコン様にその身を捧げるんだ」
「生け贄ってことっすか?」
顔を引き攣らせ遥華は問う。
「昔の言い伝えだからねぇ。私も本家の人間だけど、そんなことは無いよ。まあ、私は外から嫁いできただけなんだけどね」
「へー……」
よく知りたかったら郷土資料館に行くといいよ、と老婆から話をもらい、礼を言って別れた。遥華は肩を落とし、地面を見る。じゃり、とスニーカーから音がする。当たり前だが、ゴツゴツした感触が伝わってくる。
「なんだよエンコン様って。ただの縁結びのお祈りの為にこんな遠路はるばると……はぁ〜」
遥華は肩を落とし、道端の小石を蹴った。と同時に、秘翠が遥華の左肩をガっと掴む。
「オイ、あまり私を馬鹿にするのも大概にしろよ。私の言うことが間違いだって言うのか?君は」
「そ〜いうんじゃねぇけどさ……」
「ありがちな言葉を使うけどね、いないわけじゃない。視ようとしてないだけだ」
ただ、遥華は伝承とか噂とか、そういう類には詳しくなかったし、オカルト部だなんて胡散臭いと思う側の人間なのだ。童話はまあ好きだが、母親の話の方が惹かれたし、やはり神様を信じているわけではなかった。ヒートアップしそうな秘翠を宥める。
「まーまーいいじゃん。とりあえずなんちゃら館ってトコで本でも読もうぜ!なっ」
大きく明るい声を出し、不服そうに半目になる秘翠の背を押した。遥華は郷土資料館へと向かう。
小さな郷土資料館には司書が一人だけいた。ほぼボランティアのようなもので、たまに来る旅人の相手をしているらしい。他はもう、近所の老人たちの憩いの場としてしか機能していないと、頬をかき伝えてくる。その司書に北界島について知りたいと言うと、一冊の本を勧めてもらった。『北界島の鶏さま』という名の本で、貴族の日記や説話等の史料から子供向けに島の成り立ちを絵本にしたものらしい。これを読むような子供も、もう居ないらしいが。二人は顔を寄せ、それを読んだ。
『今は昔、伊予国には一羽、有名な鶏がありました。巨躯を持ち、火を吹くのです。村の人たちは、毎朝その鶏の声で起床し、火をおこしてもらい、生活しては日ごろ感謝していました。でも、お殿様はその音を煩わしく、また火を不気味に思いました。そうして訪れたある日、大きな鶏は撃ち殺されてしまいます。村人たちは嘆き、鶏のお墓をつくり切に願いました。「どうか来世では、遠い静かな所で安らかに暮らせますように」と。鶏は魚になりました。北の北の果て。そこに生まれ、静かに暮らしているのです。しかし神様のいたずらか、その巨体だけは変わりませんでした。そうして大きな魚は、今もこの島を守っているのです。』
ダン、と秘翠は机に両手を置いた。
「……そういう事か」
秘翠の瞳孔は開き、頬は上気しきっている。
「いいか、エンコン様は怨恨でも縁婚でもない」
「どういうことだよ?」
「焔鶤、焔に軍の鳥と書いてエンコンなんだ」
北の界の島に、漁をせず養鶏のみの産業。ここは北冥だ。地図にも載っていないはずだよ、存在するかも怪しい島なんだ! 秘翠は力説するが、遥華はちんぷんかんぷんである。
「とりあえず、騒いでも悪いし外行かね?」
「……それもそうだな」
ところ変わって、屋外。小さな祠を前に二人は話す。祠は珍しく地蔵ではないもので、下半身が魚、上半身が鶏という滑稽にも不気味にも見えるものが祀られていた。
「ちょうどこんなふうに、大きな鳥になると言われている魚がいる。鯤というんだ」
「ほーん、さっきの本の魚ってこと?」
「ああ」
絵本を思い出す。あの本では、魚が島を守って終わりだったが、鶏が魚になり更にまた鶏になるという、何ともややこしい事態が発生している。
「しかし鵬は火を吹かないし、縁結びの力もない。恐らく、波山という妖怪が崇められて力を歪につけた結果だろう」
「波山?」
「伊予国に伝わる鶏の妖怪だ。バサバサと音を立て、火を吹くだけの無害なやつだがな」
火を吹くだけの妖怪を無害とするならそれでいいが。確かに、鶏や魚を信仰しているなら、漁をしないで養鶏が盛んなのも納得はできる。遥華は脳をフル回転させた。
「信ずる者が出ることで、神になるパターンは多い。桃太郎や菅原道真がその王道だろう?」
「まあ、それは知ってる」
神社があるから、神とみて良いのだろう。太宰府は天満宮でこそないが、遥華だって受験のお祈りに行ったものである。日本人の神様への態度はいい加減だ。
「エンコン様もそのパターンだ。しかもご丁寧に、生け贄の文化まである」
「はー、流石ぶちょーサン。てかアンタさ、運命とか信じないって言う割に、そーゆーの詳しいね」
少々衒学的な秘翠に、遥華は棘の含んだ言葉を投げかける。秘翠は据わりが悪そうに答えた。
「……別に、信じてないとは言ってない。下らないと言ったんだ」
逡巡したのか、少し声を詰まらせたあと、自嘲気味に言った。
「十年前の、女子高生行方不明事件を知ってるか?」
「あーあの、神隠しとか言われてたやつ?」
「ああ」
幼い頃の事件であまり覚えていないが、今でもたまに取り上げられるくらいには話題になった事件だ。たしか東京の女子高生がある日行方不明になるが、最後に監視カメラに捉えられたのが東北だったのだ。しかしそれには移動時間という矛盾点があり、神隠しではないかと噂になっていた。
ひと呼吸おいて、秘翠は口を開ける。目は伏せられていた。
「あの時行方不明になったのは、私の知人だったんだ」
そう言う秘翠の声はか細かった。場違いにも、彼女の石鹸の香水が鼻腔をくすぐる。
「可哀想に、そういう運命だったんだ。だってさ」
言い訳がましくて反吐が出る、と吐き捨て、南京錠のイヤリングをいじる。
「運命なんかじゃない。運命なんて偶然・たまたま・不意にの連発だ。それを運命だなんて気持ちが悪い」
「あ……」
そうか。逆だ。秘翠は運命だから必然、ではなく必然だから運命、としている。遥華の前提条件とは全くの逆なのだ。
「湿っぽくなってしまったな」
「いや、こっちこそ。言いにくいこと聞いちまった」
遥華はひとつ閃いた。もう何回も問われていそうな質問を。ただ、心に抑えておけなかったのだ。
「てかさ、あの占いみたいな力で分かんねーの?」
「もちろんやったさ。そしたら、十七の夏を待て、と出たんだ」
「それって……」
「君のことだろうね」
遥華の顔が熱くなる。自分の運命探しが、誰かのためになるのならそれほど嬉しいことはない。誤魔化すように遥華は喋る。
「うちはさ、父さんが早いうちに死んだんだ。でも母さんは運命の人だから幸せだったって」
「そうか」
「だからあたしも、絶対見つけたい。運命の人」
「……そうか」
場所は変わり、先程の老婆の元へ遥華は訪れた。秘翠はもう少し調べ物をすると、郷土資料館に戻るらしい。オカルト部部長として、部員に土産話を携えるそうだ。
「ばあさ〜ん。どうやったらエンコン様に縁を結んでもらえる?」
「そりゃあ、神社じゃろ」
「神社?」
それならこの島を歩いている時に何度か目にしていた。如何せんこの島の面積の半分この神社なんじゃないの? と思うほどには広く、鳥居が巨大なのだ。神社に行ったとて作法など何も分からないと踏んだ遥華は、老婆と一緒に神社に行ってもらうことにした。体感十分ほど階段を登り、ようやく鳥居をくぐった。少し頬が汗ばんだ。老婆曰く、これからエンコン様に会うために儀式が必要らしい。質問をされる。
「おまえ、名は?」
「まだ自己紹介してなかったね!遊貴院遥華でーす」
「遊貴院……?」
老婆は目を見開く。細い身体は小刻みに震えて、焦点が合わなくなっている。
「ばあさん、どした?」
「……いや、なんでもないよ」
「階段登って疲れちゃった?」
「そうだね、少し座ってるよ」
「おっけー!着いてきてくれてありがと」
それにしても、神社は広かった。手前の手水舎に、立派な本殿。賽銭箱の上の鈴は、歴史を感じる光沢だった。それに加え神楽殿や蔵、末社が並んでおり、しかし参道の太い幅が開放感を出している。遥華の地元の神社は手水舎に本殿しかない質素なもので、神社巡りが趣味でもない遥華は教科書で見るような大きさの神社に胸が高鳴った。暫く見て回り、とりあえずと拝殿に行く。五円玉を賽銭箱に放り投げ、二礼二拍手一礼した。
そんな折、老婆がこちらにやって来た。
「もう、お願い事はした?」
「したよー。婆さん、元気出た?」
すっかり意識のある老婆に、遥華の目元が撓む。
「私は遊貴院逍子。遊貴院の娘は、エンコン様と縁を結ばなきゃならん。男は、外から女を娶って本家の血を残す」
「急に早口になった」
遥華は現実逃避をするが、老婆の様子はおかしいままだった。それに、遊貴院の娘、と老婆が言ったのを他人事には思えない。父が亡くなって以降、遥華は母の姓を名乗っていたのだ。ぎこちなく笑う遥華の頬を汗が伝う。
「おまえは、私の孫だね。縁が。あの女が……」
母の名を口にする老婆に、遥華の身体は強ばった。頬に汗が伝う。
「なんで母さんの名前を……」
「あの裏切り者!駆け落ちなんぞしおってからに、この島はおかしくなってしまった!」
老婆の尋常ではない様子に、遥華は恐怖を覚え始める。
「えなになになに!?沸点どこにあったよ」
「縁はあの男に誑し込まれた!余所者は早く捧げるべきだと、あの女狐が!」
何となく、概要を掴めてしまった。要は母の出身地がこの島で、そもそも母も父もこの地で殺される寸前だったのだろう。駆け落ち、と老婆は言っていたのだから。遥華の脳裏に、父の遺影を撫でる母の姿が浮かぶ。率直にキャパオーバーだ。
「大人しくあのまま捧げられていれば!私は……」
だから、背後の気配にも、シュー、という空気の音にも気付けなかったのだ。遥華の意識は、ここで途切れた。
***
「……ハッ」
ハァ、ハァ、というアップテンポな呼吸音で遥華は目が覚めた。
「エェ〜マジか!?何処だよここ〜ッ!」
眼前には、煌びやかな光景が広がっていた。立派な祭壇のような、舞殿のような。注連縄で囲まれたスペースの中に、遥華は居た。豪華絢爛、といった言葉が似合いの、しかし厳かで神聖さのある、まあ端的に言えば和風の式場のような場所だった。
そこで、上下していた自分の胸元に目をやる。
「てか何だこの服!白無垢!?」
遥華は白無垢を着ていた。制服ごと脱がされているようで、動きがぎこちない。というよりも、後ろ手に縛られているらしかった。硬い木製の床に長時間居たからか、体制のせいか、身体がジンジンと痺れる。
「おや、起きたかい」
舞殿に一礼し入ってきた老婆は、遥華に気が付いたのか話しかける。
「オイ!てめー何してくれてんだよ」
「安心し、おまえはエンコン様と縁を結ぶんだ。とても幸福なことだよ」
「そんなコト聞いてねーよ!帰せ〜ッ」
「何をそんなに嫌がる、運命の相手を探していたんじゃなかったのかえ」
「嫌だ〜〜〜ッ!」
「うるさい!本家の娘の習わしだ。お前の運命の相手は、エンコン様なんだよ」
エンコン様に運命を選んでもらうはずだった。なのに何故、エンコン様が運命の相手になっているんだ。違う、という確信のような直感に従っていた。
「そうだ、婆さんだって本家の人間でも捧げられてないじゃん!そもそもあたし孫らしいし?やさしくしてよ〜。ネッ?」
「ダメだ。おまえは縁の代わりになってもらう」
ウインクをするも、取り付く島もない。老婆の頑なな態度に遥華は情では落とせないと悟り、白無垢だけでも脱ごうともみくちゃに暴れる。
「白無垢は脱ぐなよ、清らかでなければ、この空間に居られないからね」
「孫にする仕打ちじゃね〜だろこれッ!」
吐き捨てるが、既に老婆は見えなくなっていた。
「母さんにも謝れよな〜」
舌打ちをし、床に寝転がる。拍子に、床に刻まれた文字が目に映る。
『ちくしょう、騙された。ここに閉じ込められた。腕の拘束は解けたが、外には出られない。今日もバサバサという音が這いずる。』
荒っぽい文字だ。隣には四画目までの、正の字であろうものが刻まれている。どうやら同遇の者らしい。四日も生きのびていたのか。放置の後、餓死を狙うやり口なのだとここで知る。
それに、確かにバサバサ音が聞こえるのも共通している。この音についてはエンコン様が出しているのだろう。やけに耳について恐怖心を煽るようだった。
『扉は内側からは開かない構造らしい。音を立ててもエンコン様や島民にバレてしまう。慎重に床を削りたい』
本当に床に近付かないと見えないような字で、解読がじれったい。遥華は目を凝らし、床の埃っぽい古い木の匂いも気にせず読み進めた。
『ほんの一ミリほどだが穴が空いた。もう、あとはただ広げるだけだ。私は逃げるが、また捕まるかもしれない人達のためにここに記しておく。』
遥華は息を飲んだ。バサ、バサ、バサと音が鳴る。更に読む速度をはやめた。
『穴は、本殿を見て右端の机の下だ。机を覆う白い布で隠されているから、見つからないと思う。』
遥華は藻掻きながらも、机の方へと這った。もう日も落ちたのか、外からの朧気な月明かりだけが頼みだった。やっとのことで辿り着き、頭で布を退かし床を確認する。
ツルツルな、そこだけ新しいような床だった。穴なんてありませんよ、と白々しくも整った床が広がっている。そして奥には、骨が積まれていた。
「はは」
低くて掠れた笑いが漏れた。運命って、定められたものだっけか。これが、こうなるのが果たして本当に運命なんだろうか。無惨にも希望は壊され、よく知りもしない妖怪に捧げられることが?もっとこう、キラキラしたもんじゃねーの?でも、もしこれが本当に、運命なんだとしたら。
「……確かに、碌なもんじゃなかったかも」
「だから言ったじゃないか」
「エッ!?」
静かに、と声のする方を見遣ると、秘翠がそこに居た。堂々と入口から入ってきたようだ。シー、人差し指を遥華の口にやる。
「今まで、君の母親のことを知らずに色々悪く言ってしまったね」
「あ、ああいや、いいよ。てーかその服何?」
よく見ると、秘翠は和服のようなものを羽織っていた。黒地に雲や鶴の柄が見事だ。裏地は赤で、金の刺繍がより厳格さと絢爛さを出している。
「これかい?黒打掛だよ、中は制服だけどね」
婚礼衣装で夜に紛れやすかったのを選んだんだ、動きにくいったらありゃしないよと秘翠は袖を振る。
「なあ、遥華」
「あんだよ」
秘翠は遥華を見詰めた。静謐で清廉な瞳と、そこに宿る荘厳で強固な意志が、不意に良いなと思った。遥華は歯噛みする。秘翠が口を開く。
「君に因果を断ち切る覚悟はあるか」
遥華は心臓を絞られた感覚に襲われた。秘翠は続けて捲したてる。
「あの後、色々調べたんだ」
衝撃だったよ。ここは確かに、今も人間を贄にしているんだ。ただ、本家の娘が駆け落ちしてからね、遊貴院の血が途絶えて、島に残るは老人のみ。ま、若いヤツは男含めエンコン様に捧げられたんだ。あの老婆に嵌められて。だが足りない。乙女でないし、信仰の力が本家の人間じゃないと足りないんだよ。島にいる老人は清らかではないから捧げられないしね。そこで、質より量だと旅人を犠牲にし始めてたんだ。縁結びの神がいるだなんて、大嘘だったね。贄が無いと島一つ守れない、軟弱な神紛いだ。碌でもない島だよ、島民全員が団結して、私たちを騙していたんだ。生贄にするために。私の探す人も、こんなところで眠るには鶏の声がうるさすぎるだろう。
ただ、それでも。
「運命ってのはね、神の巡り合わせだ」
あのエンコン様ってのは妖怪崩れでも、神擬きでもあったんだよ。それが決めた、旧い運命を覆すんだ。生半可な覚悟じゃあいけない。秘翠は続ける。
───言わば、神への叛逆
この口説き文句は、ぐっときた。
「上等!こんな島ブッ壊してやるよ」
煌々と月は輝く。秘翠は遥華に手を差し伸べたし、遥華は秘翠の手を取った。決めてからは早い。拝殿をそこら辺にあった棒で破壊し尽くし、紙垂もボロボロに破る。注連縄は切断、祭壇はものを片っ端から投げて落としてグチャグチャに。
「実は、爆弾を持ってきている」
「ハ!?」
「まあ、島に行くと決まったらな」
はにかんで秘翠は言うが、表情と内容がミスマッチだと遥華は感じる。美人が可愛く照れても、やろうとしていることは復讐に違いないのだ。その爆弾は時限性だったため、三十分に設定して祠に置くことにした。浜辺まで多く見積っても二十分、ボートに乗る頃にはきっと盛大な花火になるだろう。
そして二人は手を繋ぎ、走って逃げた。バサバサという大きな音や、明らかに人間では無い巨大な気配を後ろから感じる。振り返ると、十メートルはあろう鶏が、羽をばたつかせ走っていた。ギョロついた目で、どこか機械的な首の動きを以てあたりを見渡している。口から吐かれている炎が、周囲にもうもうと立ち込める煙が、彼の存在を異形たらしめんとしていた。
「うおぉおキモッ!」
「鶏ってよく可愛く描かれてるが、近くで見ると血管とか透けててグロいよな」
「てか火ぃ出てんだけど大丈夫なのアレッ!」
「あれは鬼火だから燃えないよ。実体が無いんだ」
あれがエンコン様の正体なのだろう。逃げながらも、どうするかを頭の中でシミュレートする。何も特別なことをする必要は無い。島民は人を誘い込んではガスで眠らせ、金品を奪っては私的に使い、また旅人はエンコン様に捧げていた。さっきもそうだ。ばら撒かれたガスに、秘翠持参の爆弾もある。もっとも、そんなものがなくとも木と鶏、あとは老人ばかりの島だ。きっと燃えやすい。それに、エンコン様の加護なんて、本家の娘が居なくなれば無いに等しいだろう。秘翠がボートの手配をしていたため、逃げた後の遥華がする事と言えばただ一つだった。
「君が、エンコン様の名を呼ぶんだ。呼ばれることで力に実態を伴ったエンコン様が火さえ出せば……」
「ドカン、だろうね」
秘翠は目を瞠る。爆弾なんてなくとも、ガスと炎で簡易的に爆弾は起こる。爆弾は発火が上手くいかなかった時の保険である。
「まァ、人は確実に死ぬし、この島はボコボコになるだろう」
「分かってるっての。寧ろいーの?」
「ああ、決めちゃってくれ」
そう言った秘翠の声は穏やかだった。任せてくれたのだ、復讐を。思い出した遥華は胸がむず痒くなる感覚を覚え、走るスピードを速くした。夢中で足を動かし、でも手は離さないで。呼吸が苦しい。ただ木々の香りがさっぱりと爽快で、二人だけの世界だった。突如、ワーワーやいのやいのと水をさすような声が耳に届く。島民たちが遥華の脱出と、荒れ狂うエンコン様に勘づいたようだ。しかしもう、手遅れであった。勘づくのも、島の在り方も何もかも。既に二人は、ボートのある岸辺に着いていた。ボートは意外にも大きく、木のボートのようなものを想像していた遥華はあんぐりと口を開けた。
「船デカ!」
「なんでもいいだろ、乗れ!」
秘翠に続き、遥華はボートに乗る。それは漁に使うような小型船舶で、操舵室があった。
「飛ばしてくれ!」
ボートの操縦席に向かって秘翠は叫ぶ。言われた操縦士がひらりと適当そうに左手をあげる。
途端、エンジンの音が水中からしたかと思えば、みるみるうちに島が遠ざかっていった。きっとあれが秘翠の言っていた操縦士なのだろう。というかあの後ろ姿は……
「ナカセンじゃん!」
まさかの担任教師・宗像先生である。
「実は居るんだ、オカルト部の顧問」
秘翠は得意気に笑った。担任に犯罪の片棒を担がせて大丈夫なのか、と一瞬思ったが、こんな辺鄙な土地まで来る時点でナカセンも相当なのである、多分。遠慮は無用だという心に従う。
そして担任の操縦する船にゆらゆら揺られて、五分するかしないかのうち、秘翠は遥華の肩に手を置いた。
「呼べ」
秘翠が遥華に許可を出す。そして遥華は人生で最大に、腹に力を込めて声を張り上げた。
「エンコン様ーーーッ!!ババアどもーーーッ!!レストインピースじゃボケーーーーーッ!!」
「キマったな」
「おーよ」
チュドォーー……ン! 背の方から轟音が響いた。船も水面と一緒に激しく揺れ、硝煙の匂いがひどく鼻につく。空気がうねりをあげたようだ。鶏の猛り狂うような、怒りっぽい耳をつんざく鳴き声が聞こえた気がした。飛沫が小雨のように降り注ぐ。晴天である。
「最高に、最高かもな!清々しいって〜の?」
「良かったじゃないか、ひと夏の思い出だな」
「冗談じゃねーや」
顔を見合わせて二人が吹き出す。空は白んでいて、朝日が昇っていた。ひとしきり笑った後、秘翠は遥華に、非常に見覚えのある学ランを差し出す。
「ほら。大切な一張羅なんだろ?」
「なんで知って……まぁ、ありがとう」
「どういたしまして」
くすぐったい沈黙がおりる。遥華は服を着替えながらも、ハッと思い出し、伝える。
「母さんさ、エンコン様を拒否して、父さんと駆け落ちしてたんだって」
「そりゃ良い。運命を自分で決めたんだね」
ああ、秘翠の考え方と同じだったよ。遥華はその言葉を呑んだ。秘翠のよく分からない能力とか、過去とか。遥華には知りたいことが山ほどできたが、今言うことは決まっていた。いたずらに風が吹き、秘翠の長い黒髪をなびかせる。遥華はそれを一々目で追い、口を開く。
「妖怪もいたんだからさ、それでもアタシは信じてみるよ。カミサマとか運命ってやつ」
もちろん本物の方な、と遥華は秘翠に向き直る。もう、海は太陽に照らされ、爛漫に輝いている。
「でも、信じる運命は自分で決める」
秘翠は一瞬目を伏せると、遥華の顔を見て微笑んだ。遥華は自身が着ていた白無垢を秘翠の頭にかける。自身の耳も頬も熱いことを知っていた。
「たまたま噂を聞いて、偶然出会って、不意に良いと思った奴がいたんだよね」
遥華は口の片側だけ、不敵に上げる。すると、秘翠も同じような顔をした。
「奇遇だね。私もついさっき、同じような人を見つけたよ」
佐葦宝女学園 百谷合郷 @hykg_words
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