「誰が俺で、俺は誰だ」

那須茄子

「誰が俺で、俺は誰だ」

  俺はふと鏡を覗き込んだ。


 確かに俺はそこにいた。けれど、目の奥が他人のものだった。濁った視線が俺を見返す。知らないはずの誰かが、俺の顔を借りて、そこにいる。

 

 こんなことは初めてだ。

 それでも確かめたくて、俺は手を伸ばし、鏡の表面をそっと撫でる。ひんやりとした感触。いつもと変わらないはずの冷たさに安堵しかけた、その瞬間——ひびが走った。


 何もしていないのに、音もなく鏡が細かくひび割れる。


 心臓が妙に重くなる。

 この俺は誰だ?

 いや、向こうの俺こそ——誰だ?


 その問いを口にする間もなく、鏡の向こうから手が伸びた。俺とまったく同じ指紋を持つ手。爪の形も、血管の浮き方も、俺のそれと寸分違わない。

 俺は動けなかった。


 気がつくと、俺は鏡の中にいた。

 反射的に外へ出ようとするが、鏡の表面は冷たく、硬い。叩いても、叫んでも、声は向こうへ届かない。

 『外の俺』は、ひび割れた鏡に向かって、笑う。


 そして、『外の俺』は何事もなかったかのように生活を始めた。

 

 俺はその様子を、ただ黙って見ていた。鏡の向こうから。

 まるで、最初からずっと、こうだったかのように。

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