【5】 バイオウッド②

 ギィィィィ。

 重厚な扉が開かれると、むせ返るようなフィトンチッドの香りとともに、ひんやりとした静寂が流れてきた。


 『礎の回廊』。


 講堂へと続く20メートル程の長い廊下。

 高いアーチ型の天井。明り取りの隙間から落ちる厳かな光。


 そして、通路の両脇にずらりと並ぶ、太く、飴色に輝く木材でできた円柱の列。

 その柱の中には、どれも等身大の若い女性のような彫刻が並んでいた。


 それらの彫刻は、身長も、目を開いたままの表情も、体つきさえも全てが1体1体異なっていた。


 まるで呼吸をしているような生々しい女像柱の間を、私達は抜けていかなければならない。


「ねえ、見てよカエデ」


 私の隣を歩いていたアオイが、ある柱の前で足を止めた。

 彼はうっとりとした目で、柱の表面を細くしなやかな指先でなぞっていく。


「これが、先代の生徒会長だって」


 樹皮と樹脂が混ざり合った琥珀色の柱の中に、目を開いたままの女性の顔が浮かび上がっていた。 私たちの1学年上の先輩。


 名前は確か、キリコ。

 柔らかな人当りで、誰とでも分け隔てなく接していた。イライラしながら廊下を歩く私に声をかけてくれたことも、1度や2度ではない。


「生体木材にはね、本当に優秀な一部の人間しかなれないんだ。周囲を引き付ける圧倒的な美しさに、優秀な頭脳。まさに木材に相応しい人だったよね」


 そう。これは、彫刻なんかじゃない。

 『人間そのもの』だ。


 この先輩は、つい一ヶ月前まで私達と一緒に生活していたんだ。

 それなのにアオイはまるで、美術館の彫刻を見ているかのような口調で語っている。


 柱の中の彼女は、微笑んでいるようにも、苦痛に耐えているようにも見えた。


 彼女は、どれだけ勉強ができても、どれだけ綺麗でも、こうして学校の一部になって、二度と動けないただの部品になってしまった。


「……それに、何の価値があったの?」

 私は思わず、冷たい声を漏らしてしまった。


 その言葉に、アオイは意外そうな顔をしてこちらを振り向いた。


「どういうことだい?」

「だって、どんなに努力したって、最後はただの柱じゃない。美貌も成績も、ここに入っちゃったら何の意味もないでしょ」


 私の言葉は、この学校では冒涜に近い。

 けれどアオイは怒るどころか、優しく諭すように、少し困ったような笑顔を見せた。


「違うよ、カエデ。逆だ。その美しさと、内面の良さがあるからこそなんだよ」


 彼は愛おしそうに、柱の中の女性の頬に手を添えた。


「その人が重ねた徳や知性は、そのまま木目の美しさや、材質の強度に変換される。彼女は人間として一流だった。だからこそ——最高級の『生体木材(バイオウッド)』として、校舎に栄養を、フィトンを供給できるんだ」


 アオイの口から出たその単語は、妙に滑らかで、私の耳にぬるりと入り込んできた。人間を、材木として、ただの『もの』として評価するような言葉。


 彼の瞳に写っているのは、かつての先輩への敬意なんかじゃなくて、優秀な『建築資材』に対する、純粋で残酷な憧れだけだった。


 何十人もの歴代生徒会長の柱を通り過ぎ、更に重い扉を1つ開けると、私たちは講堂の後ろのほうの席に座った。



 新年度の、今日から着任となった新しい生徒会長の評判は凄まじいものだった。

 その遠目からでも分かる美しさ、まるでフィトンのお手本のような穏やかさと共感性、他を寄せ付けない圧倒的な成績の良さ。そして、どこまでも底が見えない、透き通った青空のような瞳。


 得票数99%超えという噂も流れるくらいの人気で、生徒会長に選任されたのが——ヒノキだった。


 会場から割れんばかりの拍手が鳴り響くと、スポットライトを浴びた一人の少女が舞台上の演台へと静かに歩み寄っていく。

 まるで、アイドルか芸能人のような華々しい雰囲気に包まれているものの、私にはそれがギロチンのおかれた死刑台にしか見えなかった。


 やがて、いつ果てない拍手の波が鳴りやむと、新しく生徒会長となった妹が、厳かな雰囲気で全校生徒に語り始めた。



 「皆さん、おはようございます。 今日も、この校舎から溢れるフィトンチッドが、私たちの心を優しく包み込んでくれています。


 私達、生徒会がこれからの学校運営にあたって、掲げるスローガンは三つです。

『調和』『親愛』……そして『奉仕』です。


 私たちは、森の木々が生物と大地を育むかのように、個人の身勝手な主張を捨てなければいけません。


 私たちは、全ての隣人を愛し、争わず、ただ互いの体温と心を感じ合って1つに溶けあっていかなければいけません。


 私たちは、誰かの安らぎになれる大きな森林にならなければいけません。


 必要であれば、誰かの足元を支える大地になりましょう。

 必要であれば、誰かの涙を吸い込む壁になりましょう。

 そして、必要であれば——誰かを支える、強固で、物言わぬ柱になりましょう。

 

 自分という小さな『個』を消し去り、この素晴らしい世界を支える『奉仕』の心をもつこと 、それこそが、この活性木材でできた学舎(まなびや)が私たちに与えてくれた、最高の幸福なのです。


 さあ、深く息を吸って。 余計な思考を吐き出して。

 私と一緒に、静かで、永遠に美しい『森』になりましょう——」

 


 ヒノキのスピーチが終わった後、会場は全くといっていい静寂に包まれた。

 空気の粒がぶつかりあう音さえ聞こえてきそうな、沈黙の時間。


 やがて、一人の拍手をきっかけに、会場にはうねり、叫び、地の底から沸き上がるような拍手が鳴り響いてきた。


 会場の誰もが、ヒノキに目を奪われ、心酔しきった表情で聞き入っていた。

 それは隣のアオイですらそうで……彼は涙を流しながら、両手を激しく打ち鳴らしていた。


 私は、全てを否定された気持ちになった私は——

 黙って座席の背もたれによりかかって腕を組み、じっと壇上の妹を見つめていた。

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