第7話 古の悪魔アスタロト①


「えっ、レイ、じゃあ君はここが何処かも分からないで、雪崩で偶然落っこちて来たって言うのかい?」


2人が出会ってからしばらくの間、よく分からない話を延々に聞かされたレイ。だが思った反応とは違うので、どうもおかしいと思ったアスタロトがここに来る事になった経緯を聞くと、その謎がとけたらしい。


「まぁ、うん。そうだな」


何故か悪い事をした気分になったレイは、少し気まづそうに目を逸らす。


「じゃあ、ボクの事なんて全然知らない?」


「は、はい」


「何か求めてボクの元に来たんじゃないの?」


「全然違う……なんか、ごめんな。その、期待はずれみたいなのが来ちまって」


レイがそう言うとアスタロトは口角を上げ、笑いを堪えていた。が、それも限界が来たのか吹き出した。


「くふ、ふふふ……あっははは! それじゃあボクの話なんか何にも分からなかったんじゃないかい? いやいや、すまないねレイ。最初からおかしいと思ってたんだ。君からは何も力を感じない。でも君がここにいるのだから、相応の力を隠しているのだとばかり思っていたよ。ふふふっ、君の話を聞いて納得したとも。君が正規のルートを通れる訳がないからね」


「正規のルート?」


やはり、ここに立ち入るにはきちんとしたルートがあったのだ。恐らくそれは、この空間の前、あの場所にあったどちらかの扉の事だ。

しかし、レイが通れないとは一体どういう事だろうか。何か秘密があるのか、そんな考えの元聞き返す。


「ああ、今の君だと……10秒生きていられれば御の字じゃないかな」


可愛い顔で平然と恐ろしい事を言い放つアスタロトを見て、先程とは違う意味でゾッとした。本当に彼女からしたら自分の存在は蟻、いや、それ未満なのだと理解した。


「ふむ、しかし偶然や幸運といった類には困らされる。対策はしてたはずだけど……ま、2000年も経てば仕方ないね。ああ、さっきの話は忘れてくれて構わないよ」


「さっき言ってた厄災だかの事か? でも俺、暗黒大陸なんか行ったことないし、行くつもりもないから関係ないと思うけど」


てんで行間の読めない彼は今、自分がどこにいてどういう存在と話しているのかすら理解していない。

アスタロトは吐息じみたため息をつくと、


「レイ、君がおとぎ話の勇者だとしようか。君は勇者物語の序盤も序盤に、魔王を倒した後の話に首を突っ込んできた状態、だと言えばわかるかい?」


「後の話?」


なんのこっちゃと言わんばかりに首を傾げるレイ。


「そうだよ。知識もない、力もない、経験もない、頼れる仲間もいない、そんな君が第2ステージの入口に立っているのさ。だから混乱するのも無理はないよ。本来、君が受けた試練はそう簡単にクリア出来るものじゃない」


簡単に、と言う単語には素直に頷けないが口を出すのもどうかと思い黙っておいた。


「ここを訪れるような人間……傑物の類は相応に強く、同時に色々と経験しているものだ。そういう人間は思考も凝り固まり、負の分身を拒絶する。だから試練を乗り越えた者には、それなりの力をあげるんだけど……君はそうすると爆死してしまうね。だから少しやり方を変えてあげるとしよう。くふふ、ボクは優しいんだ」


悪戯な笑みを浮かべて白く細い人差し指でレイの額に触れる。


「ッ!なにを──?」


ピリと痺れるような感覚が額から全身を這う。嫌な感じはしないが、いい感じもあまりしない。


「古の悪魔アスタロトからの特別な契約をプレゼントしたのさ」


「け、契約!?」


レイの知っている契約とは双方の合意で成り立つものだが、どうやら一方的に結ばれてしまったらしい。ギョッとしているレイを他所にアスタロトは、


「心配しないでいいよ。それは君にとって利しかないし、ボクにとって不利益もない。ただ、馴染むまで少し時間がかかるから、それまでボクとお喋りしようよ。くふふ、500年振りで人が恋しいんだ」


そう言って彼女が指を鳴らすと、空間がぐにゃりと歪み始める。


「んー……楽しいお喋りをするには、ここは少し殺風景過ぎるね」


殺風景どころか風景のふの字すらないが。

次の瞬間、黒かった視界の半分は青に変わり、足元には確かな地面、それも色とりどりの花畑つきだ。


「なんでもありだな……」


「気に入ってくれたかい? ボクのお気に入りの空中庭園さ! 現実の方にまだあるのかは分からないけれど、ここから見る景色は中々忘れられなくてね。ときどきこうして再現しているんだ」


いつの間にか花の冠を付けた彼女は、とても悪魔には見えない。どこにでもいる少女のようで、庭園から見下ろす絶景に目を輝かせている。


アスタロトは急展開に次ぐ急展開についていけないレイの手を取り、


「ほら、いい眺めだろ? この景色を見ながらお喋りをしよう! ボクの話を聞いてくれよレイ。そして出来れば、君の話も聞かせてくれないかい?」


屈託のない笑みを見せる少女に手を引かれ、彼女が褒めちぎる景色を見る。

見上げれば蒼穹の魅せる美しさ、見下ろせば広大な草原、そこに君臨するようにある山々。果ては地平線の覗ける大海。


「……ああ俺で良ければ付き合うよ」


あれこれと考えるのが馬鹿らしくなるほど、素晴らしい大自然が広がっていた。

とはいえ、話そうと言われても、何を話したらいいか全く分からなかったレイは、最初から気になっていた事を聞いてみる事にした。


「なあ、さっき初代剣聖に封じられたって言ってたけど、一体何したら封印なんてされるんだ?」


レイが気になっていたのは封印された理由ではない。本音を言うと彼女がどういう立ち位置なのか確かめる為だ。


「安心してよ、ボクは人間が好きだから敵対するのはごめんだ。ただあの時、ボクの身体は酷い呪いに侵されていてね。身体を捨てるしかなかったのさ。初代剣聖に……アルマに頼んで魂の封印をしてもらったって感じかな」


懐かしそうな顔で語るアスタロトを見ると、初代剣聖アルマとは親しい間柄であったのを伺える。人間が好き、と言うのも偽りはなさそうだ。しかし、彼女をそこまで追い詰めた存在はアスタロトと同等か、それ以上の化け物になる。


アスタロトはそのまま「でも」と継ぎ、


「呪いが魂にまで侵食してたのは誤算だったね。魂の修復は骨が折れたよ。ああ、勿論、身体を捨てたボクに折れる骨はなかったんだけどね?」


「いや別に上手くないから……ドヤ顔やめてくれる!?」


謎に得意気な顔をするアスタロトに辟易するレイをそっちのけで彼女は、自身で作った景色の中を飛ぶ豆粒みたいな影を指さし「鳥だ!」とはしゃぐ始末。

と、思うと今度はこちらに向き直り、


「それじゃあ次はボクの番っ! レイ、君の話を聞かせておくれよ」


◇◇◇◇◇


「びええええええ!うぅ、レイ、君は本当にぐろうじでぎだんだねぇ」


あれから小一時間、レイは身の上話をする羽目になった。

両親に捨てられスラムで育った事。食う物がなくゴミを漁ったり虫を食べていた事。襲い来る暴力に対しあまりにも無力だった事。ヴィンディクタスに入るまでの事のほとんどを話した。


アスタロトは恥ずかしげもなく涙と鼻水をドバドバ流し泣いていた。


「でも、ようやく掴んだんだ。ゴミ溜めから抜け出して夢を叶えるチャンスを。だから今はそれが嬉し……あのさ、人が話してる最中に俺の服で鼻かむの辞めてもらえる?」


ちーーーんと遠慮なく鼻をかんだせいで防寒着の裾は鼻水まみれになっている。

雰囲気も糞もないアスタロトにげんなりしていると、彼女は悪びれもせずに、形だけの謝罪を口にする。


「いやすまないね、実に感動的な話だったからつい」


「つい、じゃねぇよ。どうすんだこれ」


「さて、レイ。名残惜しいけれど、ボクの魔力がようやく君に馴染み始めた。と言っても1パーセントにも満たないほんの微かな魔力だけどね」


(何も聞いてないなこいつ)


自由奔放な彼女にあしらわれているレイは、もはや突っ込むまいと喉まで来ていた言葉を飲み込む事にした。

そして盛大なため息をついた後、


「……で、それはつまりどういう事なんだ?」


彼女の言動がよく理解出来ないレイは、それがいい事なのかどうかすらわかっていない。ただ何となく、彼女は悪魔と言えど悪ではないと感じている。


「気になるかい? つまりね」


アスタロトは含みのある笑みを浮かべ、美しく整った顔を近付かせ、潤んだ口を耳元に運び、鈴のような声で、


「──ボクをあげるって事さ」

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