第2話
彼女の声にひやりとした感覚を覚えた。
私は反応してはいけないとぐっとこらえた。
眉だけ動いた気がするが、気のせいだと思ってほしい。
が、無駄だった。
「やっぱり聞いていたのでしょう。染井大輔」
先ほどよりも厳しめの声に負けて私は目を開いた。
「すみません。盗み聞きする気はなかったのですが」
大きな部屋を几帳や御簾で区切っただけの区間なのだから、聞こえてしまうのは無理もないだろう。
正直自分のせいではないという気持ちがあるが、失恋したばかりの彼女に色々言うのも気が引けた。
「聞いたなら、聞いて欲しいのよ」
ちょっとこっちへ来なさいと右衛門の君は私の腕をつかんできた。
するすると袿から離れそうになり、肌寒さを感じた。
すり抜けそうになる袿を思わず掴み肩にかける。
「え、あの……もう夜なので朝に向けて休んだ方が」
「この状況で寝られる訳ないでしょう。このむしゃくしゃした気分を誰かに聞いてもらわなきゃ気が済まないわ」
自分の部屋へと引きずり込もうとする右衛門の君の力は想像以上に力強かった。
「えーっと、ここでもいいのでは」
正直、自分の寝室から動きたくないがため私は提案した。
どっちにしろ彼女の話を聞かされるのなら、自分の領域から動きたくなかった。
「ここで話したら隣の越前の君を起こしちゃうでしょう」
私はいいの?
頭の中でつっこみをいれながら、私は右衛門の君にずるずると彼女の部屋へと引きずり込まれた。
そこから聞くのは右衛門の君の失恋の経緯……だけではなくなれそめからどのように付き合ってきたか、思い出の数々だった。
私は手ごろなところで相槌をする人形とかした。こういう時相手が求めるのは意見ではなく、話を聞いて相槌をうつことである。
というのは恋多き姉で経験していた。
別れの前触れと思われる、例の万里姫の話が出てから彼女は興奮してぐちぐち度が増していく。
失恋に行ったと思えば、また過去の良かった話へと戻っていく。
まとめをしたくてたまらないが、私はぐっとこらえた。
話がまだまだ続くようで、右衛門の君が気づいた。
「ちょっと待ってね」
文机の上に置かれている綺麗に包装された紙。
中を開くと唐菓子が入っていた。
先ほどの殿方と食べる予定で準備していたようであった。
それを食べながら、彼女の過去話が再開された。
貴重な、大好きな唐菓子であるが味が楽しめないのが残念だった。
解放されたのはどのくらい経過した頃か。
話が終わったといっていいのか、途中から右衛門の君が恨みをこぼしながら船を漕ぎ、気づけば寝息を立てていた。
私は御簾に手をやり外をみた。
真っ暗な向こう側がわずかに白くなってくるのがわかった。
山際が白くなっていく様が思い浮かんだ。
眺めながら私は頭を抱えた。
今日の勤務、大丈夫だろうか。
案の定、眠気に負ける時があった。
昼頃に船を漕いでいたのを女御様に指摘され恥ずかしい思いをすることとなった。
ちらっと右衛門の君の方をみるが、顔色が優れないもののきちんと姿勢よくされていた。
彼女もあまり寝れていないだろうに。
てきぱきと仕事しており、ベテランだなぁと感じた。
とはいえ、今自分が眠気マックスの原因は右衛門の君にあるのだが。
……今日も夜に愚痴大会が開かれたら困るなぁ。
そう思いながらふと違和感を感じた。
タイミングがよいのか、悪いのか。
私はため息をつきながら、上の女房に報告した。
月の障りが来ていたのだ。
数日の里帰りが許され、これでしばらくは右衛門の君から逃げられる。
その間にどうか失恋の傷が治っていたらよいのだが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます