音の彼方へ〜光を奏でる少女〜

白雪 愛琉

第1話 盲目の少女

鎹 虹幸(かすがい にこ)/主人公

• 盲目の少女。14〜16歳。

• 小さな町で育ち、耳と指先で世界を“視る”。

• ハープは母の形見 or 師匠の贈り物。

• 音に色を感じる能力がある(虹色の音)。

• 旅を通して、人の心や世界の広さを知っていく。


■ 蒼堂 梛音(そうどう なぎね)/ハープの師匠(第1部)

• 40代の落ち着いた男性。プロのハープ奏者だったが、怪我で第一線を退いた。

• 虹幸の才能を見抜き、独学の彼女に本格的に技術を教えた唯一の人。

• 旅立ちを反対しつつも背中を押す存在。

• 虹幸にとって「光を導く人」。


■ 早見 真紘(はやみ まひろ)/旅の同行者(第2部〜)

• 性別:中性

• 年齢:17〜19歳

• 職業:写真家見習い・動画クリエイター・旅人 など

• 性格:世話焼き、明るい、ちょっと皮肉屋

• 視覚がある真紘が「世界の景色」を言葉で伝え、

虹幸が「音の景色」を返す対比が美しい

• 徐々に良き相棒、家族のような絆へ


【序章 ―音で視る世界―】


鎹虹幸は、生まれたときから世界を“見る”ことができなかった。

けれど、その代わりに――彼女には世界を“聴く”力があった。


風が頬に触れる音、木々が揺れる震え、雨粒が土へ跳ね返る響き。

それらはすべて、彼女にとって色のついた景色だった。


「虹幸、今日は風があたたかいな」

そう声をかけるのは、彼女の師匠・蒼堂梛音。

母を亡くした虹幸を引き取り、ハープという新しい世界を与えてくれた人だ。


虹幸は師匠の気配に微笑む。

「うん……今日は、光の色が薄い金色に聴こえるよ」


梛音は一瞬だけ驚いたように息を呑み、それから穏やかに頷く。

彼は虹幸が使う“色の表現”を、誰より大切に受け止めてきた。


この日常は、いつまでも続くはずだと思っていた。

――しかし、少女の胸の奥では、まだ知らぬ景色への憧れが、静かに鳴り始めていた。


【1章 ―ハープと暮らす家―】


虹幸が暮らす家は、小さな山あいの町のはずれにある。

石畳を歩くと、靴底から伝わる振動で家の前に着いたのが分かる。


「ただいま、師匠」

「おかえり。道は覚えたか?」


虹幸はこくりと頷く。

盲目である彼女には、毎日が発見だった。

足音の反射、空気の広さ、匂い。

路地裏の猫の気配や、遠くにいる人の足取りでさえ分かる。


夕暮れ。

家の中に入ると、梛音がハープを包んでいる音が聞こえた。


「虹幸、今日は新しい曲に挑戦しよう」

「うん、やる!」


虹幸は椅子に腰掛け、ハープに触れる。

手のひらに伝わる木の温もりは、母が手渡した“最後の記憶”のようで、優しく、少し寂しい。


「母さん……今日も見てる?」

小さく呟く声は、梛音が聞かなかったふりをした。


音が部屋に満ちる。

弦を撫でるたび、音色が揺れ、空気が澄んでいく。

梛音は黙って少女を見守った。


虹幸の音は――誰よりも純粋だった。


【2章 ―風が運んだ知らせ―】


その日、虹幸は不思議な気配を感じた。

いつも通り練習していると、窓の外から、見慣れぬ“風の音”がしたのだ。


「師匠……誰か来る」

「……よく分かったな」


戸を叩く音とともに、旅人らしい青年の声がした。

「すみません、道に迷ってしまって。少し休ませてもらえませんか?」


梛音が戸を開けると、土の匂いと遠い草原の気配が家に入ってくる。

旅の匂い。

虹幸の胸が、少しだけざわついた。


青年は虹幸のハープの音に気づき、目を見開く。

「今の……君が弾いたのか?」

虹幸はうなずく。

「教えてくれたのは、師匠だよ」


青年はしばらく耳を澄まし、ふと呟いた。

「この音……外の世界でも、きっと誰かの心を救うよ」


その言葉は、虹幸の胸に深く刺さった。


外の世界。

聴いたことのない風の音、知らない街の雑踏、遠い空。

自分にも感じられるのだろうか。


その夜、虹幸はいつもより長く空を聴いた。


【3章 ―揺れる心――】


翌日、虹幸は胸のざわつきを抑えられなかった。

ハープを弾いても、いつものように心が澄まない。


「師匠……私、旅に出たら……いけないの?」


梛音は少し驚いた顔をしたが、優しく笑った。

「行きたいのか?」

「……分からない。でも、昨日の旅人の音が……ずっと消えないの」


虹幸は胸に手を当てる。

盲目であることは旅を難しくする。

危険もある。

迷うかもしれない。

困るかもしれない。


それでも――


「私の音が……誰かを救えるなら、聴かせたい。

 世界の音を……もっと知りたい」


梛音は虹幸の手を取り、自分の胸に当てた。

「虹幸、お前はずっと強かった。母さんがいなくても、音で世界を見てきた。

 行きたいなら――行け。

 だが覚えておけ。帰ってくる場所は、ここにある」


少女のまぶたが震えた。

そこに景色はなくても、光が満ちていた。


【最終章 ―小さな決意―】


夜、虹幸はひとりで外へ出た。

山の風が優しく頬を撫でる。

耳を澄ませば、虫たちの声が星のようにちりばめられ、遠くで川の音が銀の帯のように流れていた。


世界はこんなにも広い。

音で満ちている。


「行こう……私の音が行けるところまで」


小さく呟いた声は、夜空に吸い込まれた。

けれど、その言葉は確かに少女自身の心に響いていた。


家に戻ると、梛音が灯りをつけずに待っていた。

「虹幸。旅立つ準備は……急がなくていい。

 きっとその“時”が来たら、お前は分かる」


虹幸は静かに頷いた。

母が遺したハープを胸に抱きしめる。


まだ旅は始まっていない。

けれど――

盲目の少女の物語は、確かに動き出していた。


この音とともに、世界の彼方へ。

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