ホラーショートショート集

天使猫茶/もぐてぃあす

川辺に蹲るもの

 これは数年前に僕が実際に経験した話である。


 ひどく暑く寝苦しい夜だった。なにをしても眠れなかった僕は、どうせ夏休み中であり翌日にはなんの予定もなかったのでせっかくだから普段しないことをしようと思い散歩に出かけることにした。


 イヤホンから音楽を流し、鍵だけを持って夜の町を歩き始めた僕は、普段はうるさく車が通っている道にも車どころか猫一匹いない状況にどこかいつもと違う楽しさと、ひょっとしたらいまこの町には僕しかいないのではないか、というあり得ない不安感で奇妙な高揚感を覚えていた。


 そんな気分のままに昼間の熱を吐き出すアスファルトの上を歩いていると、不意に涼し気な空気が流れてくる。一体どこからと首を傾げかけた僕はすぐにそういえば、と思い出した。

 近くに川が流れているのだ。この時期には小学生やそれよりも小さな子どもが親に連れられてよく遊びに来ている人気のスポットではあるが、さすがに大学生にもなればもっと楽しい遊び場がいくらでもある。そのせいですっかり忘れていた。

 久々にそっちを歩いてみよう。僕はかすかに漂う冷たい空気に誘われるようにそちらへと足を向けた。


 間隔をあけて配置されている街灯の灯りをきらきらと反射する川を横目に歩いていると、次の街灯の下でなにかが蹲っているのが見えた。急にどこかから吹いてきた生暖かいぬめりとした風を汗ばんだ肌に感じながら僕は、誰か泥酔でもしていて、あそこで休んでいたり倒れたりしているのかもしれないと思い足早にそちらへと向かう。


「あっ……」


 あの、大丈夫ですか。そう尋ねようとした僕は途中で言葉を詰まらせる。

 先程も感じた生暖かい風がまたも肌を舐め、今度はその中に水底で腐った魚のような腐臭が混じっていたのだ。

 同時に直感する。は、人じゃない。少なくともこの世のものでは。


 なにかで聞いたことがあった。この世ならざるものの存在に気が付いたときは、それを向こうに悟らせてはならない、と。

 気付いたことに気付かれてしまうとこちらを追いかけてくるから、と。


 僕の声に気が付いたのだろうか。は蹲ったまま僕の方へと顔を向けたような気がした。ぬるりとした風が僕の顔を正面から撫でる。咄嗟に僕はその場でしゃがみ込むと靴紐を結び直すふりをした。

 僕は靴紐が解けたから声をあげただけだ。なにも見ていない。

 自分にそう言い聞かせながら僕は立ち上がると、何事もなかったかのようにまた歩き始める。

 そのままがいる街灯を通るときに、たまたまイヤホンから流れていた音楽が終わり、次の曲が始まるまでの間に僕は聞いてしまった。


『気付いた? 気付いた? 気付いた? 気付いた?』

『ねえ、気付いた?』


 酷く濁った、悪意を煮詰めたようなそんな声を聞こえないふりして僕はそのまま歩き去る。そして街灯とが見えなくなると同時に僕は全力で走り始めた。


 その川でなにがあったのかは僕は知らない。だけど、もしに気が付かれていたとしたら、きっと僕はいまこの世にいないだろう。そんな恐怖を感じた。





 冬の寒さの忍び込んでくる自室でここまで書き上げた僕は軽く伸びをする。趣味で小説投稿サイトに投稿しているのだが、ネタが尽きてしまった。だからこそ自分の体験を、少しの脚色を混ぜ込んで書いてみることにしたのだ。


「それにしても、アレはいったいなんだったんだろうなあ」


 そう独り言を呟いてから伸びをする。すると腕がヘッドホンのコードに引っかかり抜けてしまった。その瞬間、僕の顔を生ぬるい風が舐めた。

 そして……。


『ほおら、やっぱり気付いてた』

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