第7話:騎士団長の憂鬱と赤い魔導車(1/3)

 懐が温かいというのは、それだけで世界が輝いて見えるものだ。

 俺の上着の内ポケットには、ローゼンバーグ家から巻き上げ……頂いた、金貨百枚入りの革袋が収まっている。その重量感たるや、熟女の豊満な胸にも匹敵する心地よさだ。

 まあ、柔らかさという点では天と地ほどの差があるが。


「さて、と。軍資金も手に入った。まずは『デート』の準備といこうか」


 俺はスラムの裏路地にある、貸しガレージのシャッターに手をかけた。

 錆びついた鉄板が、悲鳴のような音を立てて持ち上がる。

 暗闇の中に差し込む夕陽が、そこに眠る「赤い野獣」のボディラインを浮かび上がらせた。


 魔導馬車《ギアキャリッジ》。

 馬車とは名ばかりの、蒸気機関と魔導エンジンを搭載した鉄の塊だ。

 流線型のフォルム、真紅に塗装された装甲板、そして後部に剥き出しになった巨大な魔導ピストン。

 俺が廃材の山からパーツを拾い集め、血と汗とオイルにまみれて組み上げた最高傑作。

 名付けて『真紅の貴婦人クリムゾン・レディ』号だ。


「よう、レディ。待ちくたびれたか?」


 俺は愛車のボンネットを、恋人の頬を撫でるように愛おしく摩った。

 冷たい金属の感触。たまらねぇ。

 だが、今のままではダメだ。

 俺の脳裏に、あのエレオノーラの優雅な微笑みが浮かぶ。

 あんな高貴な方を、スラムの埃っぽいシートに乗せるわけにはいかない。サスペンションの硬さも調整不足だ。あの柔らかそうなヒップに少しでも振動を与えたら、国家反逆罪で処刑されても文句は言えねぇ。


部品パーツが足りてねぇな。……だが、今は金がある」


 俺はガレージの隅に積まれた最高級の魔導オイル『龍の涎ドラゴン・ドロール』の缶を開けた。

 普段なら一滴使うのも躊躇う代物だが、今日はドバドバと注ぎ込んでやる。

 エンジンルームを開け、複雑に絡み合うパイプラインを点検する。

 「吸気弁インテークの汚れ……除去。燃焼室の煤……洗浄。サスペンションの減衰力……マシュマロ級に設定」


 カチャカチャと工具を走らせる時間は、至福のひとときだ。

 俺の手にかかれば、くたびれた鉄屑も歌うように息を吹き返す。

 三十分後。

 調整を終えた俺は、運転席に滑り込み、魔力キーを差し込んだ。


「目覚めろ、ハニー」


 ドゥンッ!!

 腹の底に響く重低音と共に、魔導エンジンが咆哮を上げた。

 排気管マフラーから青白い炎と蒸気が噴き出す。

 計器類の針が踊り、シリンダーが正確なリズムを刻み始める。

 完璧だ。これなら王宮の舞踏会に乗りつけても恥ずかしくない。


「よし。試運転がてら、もう一人の『手のかかる客』を迎えに行くか」


 俺はアクセルペダルを踏み込んだ。

 真紅の車体が、スラムの狭い路地を弾丸のように飛び出した。


  * * *


 王都ネストリアの中層区画。

 ここに、王国の平和を守る「王国騎士団」の本部がある。

 石造りの堅牢な城壁に囲まれた広大な敷地。練兵場からは、騎士たちの気合の入った掛け声と、木剣が打ち合う音が響いてくる。


 そんな厳粛な空気の中に、場違いな爆音が響き渡った。


「どけどけぇ! 高級車のお通りだ!」


 俺の愛車が、正門前でドリフトしながら急停車する。

 タイヤが摩擦熱で白煙を上げ、土煙が門番たちを襲った。


「ゲホッ、ゲホッ! な、何事だ!?」

「テロか!? 構えろ!」


 槍を構えて殺到してくる若手騎士たち。

 俺は窓から肘を出し、サングラス(溶接用ゴーグルだが)を少しずらしてニヤリと笑った。


「よう。今日も精が出るな、税金泥棒ども」

「あ……このふざけた赤い魔導馬車、まさか……」

「クロノ・ギアハルト!? また貴様か!」


 騎士の一人が顔を引きつらせる。

 どうやら俺の顔パス機能はここでも有効らしい。以前、ここの武器庫の鍵が開かなくなった時に「物理的解錠(爆破)」をしてやって以来、すっかり有名人だ。


「団長はいるか? 愛車の自慢をしに来てやったぞ」

「団長なら執務室だ! というか、貴様また無許可で……!」

「アポならあるさ。俺の『右腕』が疼いてるってな」


 俺は止める衛兵を無視し、アクセルを吹かして敷地内へ強引に侵入した。

 「止まれーっ!」という怒号をBGMに、俺は本部棟の正面玄関に車を横付けした。


 車を降り、埃を払う。

 作業着は薄汚れているが、今の俺は金貨百枚を持つ男だ。心なしか背筋も伸びるというものだ。

 廊下を我が物顔で進み、最奥にある重厚な扉の前へ。

 プレートには『騎士団長室』の文字。


 ノック? そんな無駄な工程プロセスは省く。

 俺はドアノブに手をかけ、勢いよく開け放った。


「よう、ベアトリス! 生きてるか?」


 部屋の中は、書類の山だった。

 積み上げられた紙束の塔に埋もれるようにして、一人の女性が机に向かっていた。


 ベアトリス・アインサイド。

 二十六歳。王国騎士団長にして、王国内でも五指に入る剣の達人。

 「鉄の女」の異名を持つ彼女は、燃えるような赤髪をポニーテールに束ね、鋭い眼光で書類を睨みつけていた。

 その身を包むのは飾り気のない軍服だが、鍛え上げられた肢体のラインは隠しきれていない。特に、机の上に投げ出された右腕――手首から先が黄金の金属で覆われた「魔導義手」が、異様な存在感を放っている。


「……チッ」


 俺の顔を見た瞬間、ベアトリスはあからさまに舌打ちをした。

 ペンを置き、眉間に深い皺を刻んで俺を睨む。


「ノックもしないで入ってくるとはな、クロノ。マナーという概念を母親の胎盤に置いてきたのか?」

「マナー? ああ、熟女以外にはマナーなんざ必要ない。それより酷い顔だぜ、団長サマ。眉間のシワが渓谷みたいになってるぞ」


 俺は勝手にソファに座り込み、テーブルの上の水差しから水をコップに注いだ。


「で、何の用だ。見ての通り、私は今、貴族院から送られてきた『予算削減案』という名の紙クズと格闘中でな。忙しいんだ」

「つれないな。せっかく俺が極上のサービスを提供しに来てやったってのに」

「サービス? 貴様のサービスなど、どうせロクなものじゃないだろう。また違法改造パーツの売り込みか?」


 ベアトリスは溜息をつき、左手でこめかみを揉んだ。

 ふむ。疲労の色が濃い。

 二十六歳。

 世間では結婚適齢期だのなんだのと騒がれる年齢だが、俺に言わせればまだ「青い果実」だ。酸味が強すぎて、熟成ヴィンテージの芳醇さには程遠い。

 だが、その未完成な硬さも、たまには悪くない。

 特に、強がっている女がふと見せる綻びは、職人の探究心をくすぐる。


「……おい、ベアトリス」

「なんだ」

「お前の右腕。……悲鳴を上げてるぞ」


 俺の言葉に、ベアトリスの動きがピタリと止まった。


「……何?」

「隠しても無駄だ。さっきからペンを走らせるたびに、義手のサーボモーターから異音がしてる。指先の反応速度も0.2秒遅れてるな。……最後にメンテナンスしたのはいつだ?」


 俺はモノクルを取り出し、右目に装着した。

 レンズ越しに見る彼女の黄金の右腕。

 その内部では、魔力伝達回路に微細なノイズが走り、関節部のギアが摩耗で赤熱していた。


「……二ヶ月前だ」

「嘘をつけ。半年は放置してるな。オイルは酸化してドロドロ、魔力回路は詰まりかけだ。よくそれで剣が振れるもんだ」

「……任務が立て込んでいたんだ。それに、多少の不調など気合いでカバーできる」


 ベアトリスが強がりを言う。

 俺は「やれやれ」と首を振った。


「これだから脳筋は困る。いいか、道具ってのは正直なんだよ。持ち主が無理をさせれば、必ずどこかでしっぺ返しを食らう。……特に、その義手はお前の一部だろ?」


 俺は立ち上がり、彼女の机に歩み寄った。

 そして、書類の上に置かれた黄金の義手を、慎重に手に取った。

 冷たい金属の感触。

 だが、その奥には彼女の体温と、張り詰めた神経が繋がっている。


「……っ、触るな」

「黙ってろ。……ほら、ここだ。手首のコネクタが歪んでる」


 俺が特定のポイントを指圧すると、ベアトリスは「くっ」と短く呻き、顔を歪めた。

 痛覚フィードバックがあるタイプか。随分と感度を上げているらしい。


「痛むだろ? このままだと、あと一週間で神経接続が焼き切れるぞ。そうなれば、二度と剣は握れなくなる」

「……脅すな」

「事実を言っただけだ。……来いよ。俺のガレージじゃねぇが、俺の愛車の後部座席なら簡単な調整くらいはできる」


 俺は親指で窓の外、真紅の魔導馬車を指差した。


「気分転換にドライブといこうぜ。……腐った予算案と睨めっこするより、よっぽど生産的だろ?」


 ベアトリスは俺と、書類の山と、そして自分の右腕を交互に見た。

 数秒の沈黙の後、彼女は大きな溜息をついて立ち上がった。


「……分かった。少しだけだぞ。休憩時間はあと三十分しかない」

「十分だ。俺の手にかかれば、お前のその鉄クズも新品同様に直してやるよ」

「鉄クズと言うな。これは……私の誇りだ」

「はいはい。じゃあ行くぞ、青い果実ちゃん」

「その呼び方もやめろ!」


 ベアトリスが軍服の上着を羽織る。

 その背中を見ながら、俺はニヤリと笑った。

 騎士団長を連れ出すことに成功だ。

 これでアイザックとの喧嘩に備えた「戦力」の確保と、ついでに義手のメンテナンスという名の「趣味」が同時に満たせる。


 俺たちは執務室を出て、赤い魔導馬車へと向かった。

 だが、俺はまだ知らなかった。

 このドライブが、単なる気分転換では終わらないことを。

 王都の闇に潜む悪意が、既に俺たちの背後まで迫っていることを。

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