氷の賢者は燃えている 外伝〜最強夫婦が魔王を蹂躙するまで〜

ゆずあめ

第1話 氷の賢者と剣の女帝


 超常現象を意図して起こす『魔術』がある世界。

 かつて魔族と呼ばれた悪しき存在が人類を脅かしていたが、あらゆる属性の魔術を使う『賢者』が現れ、人類は魔族と対抗していた。


 そして、初代賢者の誕生から千年という時が経ち、三代目賢者が魔族の討滅を達成し、人類には平和な時間が流れていた。



「エスト。こんな所で寝てたら風邪引くわよ?」



 春の風が芝生を撫で、広大な庭に波を打つ。

 優しく、心配する女性の声で目を覚ましたエストは、太陽も隠れてしまう美貌を持った狼の獣人族、システィリアに見下ろされていた。


 だが、妙に顔が近い。

 体を起こそうとすれば、顔と顔がぶつかってしまうほどに。


 軽く首を持ち上げて見てみれば、仰向けのエストにシスティリアが四つん這いで被さっており、一切の行動が封じられていた。


 目をぱちぱちさせたエストは、ゆっくりと瞼を閉じながら言う。



「……おはよう。今日は良いお昼寝日和だ。システィも一緒にどう?」



 極めて平静を保ちながら昼寝に誘うと、システィリアの凛として美しい表情が一転、頬を膨らませて不満を示した。



「あのねぇ。今日が何の日か覚えてないのかしら?」


「僕らの結婚記念日。祝日だね」


「ええ。この帝国どころか、大陸すべての国で今日は祝日よ。『賢者の結婚記念日』だもの」



 二人の薬指には、世界で最も硬い金属のアダマンタイトと、最高級の魔術発動媒体であるミスリルの合金で作られた、瀟洒しょうしゃな銀色の指輪が嵌められている。


 結婚して十三年。しかし、エストは二十七歳。

 システィリアに至っては三十歳である。


 非常に若いうちに結婚し、魔族を討滅、さらには三人の子宝にも恵まれた夫婦だ。


 エストは魔術の才能に溢れ、システィリアは剣の才能に溢れており、二人が揃えば勝てない魔物は居ないと言われている。


 だが、そんな二人にも不満があった。



「僕らの結婚記念日を祝日にするなんて、皆どうかしてるよ」



 そう、今日は三代目賢者であるエストとその妻システィリアとの結婚を、全ての国民が祝う日だ。


 本人たちは乗り気ではなかったが、彼らに救われた国々が大賛成し、二年前より施行された祝日である。



「デートをするにも、お店が開いてないわ」


「まったくだよ。一昨年は家でパーティー、去年は二人で温泉旅行。今年は……どうしようか」


「お家でまったり、でもいいわよ?」



 ありがた迷惑な祝日にボヤく二人。

 エストは何をしようか迷っているが、システィリアは舌なめずりをしてエストの顔を見下ろしている。


 なんと言っても彼女は獣人族。

 普通の人に比べて本能が……俗に言う三大欲求が強い。

 もし『お家でまったり』になると、恐らく夜明けまで寝室から出ることは叶わないだろう。



「僕がお昼寝をする理由、システィが朝まで寝かせてくれないからなんだよ?」


「あら、貧弱ね。もっと鍛えた方がいいわよ。魔術師だからって運動不足は許されないもの」


「うん、僕、毎日システィと剣で模擬戦してるよね。世界でも五本の指に入るくらい、強くなったんだけどね」


「アタシぐらい強くならなきゃ」



 ふんす、と鼻息を荒くするシスティリアに、エストは視線を泳がせた。


 すると視界の端、システィリアの夏空の如き青い髪の奥で、同色の尻尾が妖しく揺れている。

 このままでは『お家でまったり』になってしまう。


 そこでエストは、躊躇なく切り札を使った。



「……つるぎの女帝」


「うっ」


「カッコイイ称号、もらっていたね」


「な、何のことかしら? アタシはただの冒険者であって、別に、称号とか無いわよ?」



 目を泳がせるシスティリアだが、狼の耳が力なく垂れており、尻尾もピタリと動かなくなっている。



「ふ〜ん? 子どもたちから聞いたけどなぁ。『パパは賢者の称号があるのに、ママには無いのが寂しいって言ってた』って。それで大陸中の剣豪を倒して回ったんだって?」


「……い、いいじゃない! それにアンタのは『氷の賢者』でしょ? そこでアタシが『剣の女帝』になれば、語呂がいいのよ!」


「氷の賢者と剣の女帝。絵本のタイトルかな」


「そのうち出るわよ。きっと」



 何とか祝日から話を逸らしたエストは、心の中でホッと息を吐きつつ、何か良いデートプランは無いか考えた。

 そこで、最近まで研究していた魔術の中で、面白そうなものが出来たことを思い出す。



「システィ、今日はデートに行こう」


「ええ! でも……お店、開いてないわよ?」


「そう。だから、今日が祝日じゃないところに行く」


「……そんな所、あったかしら?」



 可愛らしく小首を傾げるシスティリアに、エストはニヤリと笑った。


 立ち上がったエストが庭の一角を指さすと、そこには数百の魔法陣が重なり合って出来た、白い球体が浮かんでいた。



「何アレ。術式も読めないくらい複雑な……ホントに何アレ」



 最も近くでエストを見てきたシスティリアですら知らない、エストが作った謎の球体。

 ただ分かるのは、球体を構成する魔力の量が、およそ今居る惑星の半分ほどという、超大質量であること。


 魔力を匂いで感じ取れるシスティリアだが、もはや自然の一部として誤認していたため、出現に気付けなかった。



「あれは転移の魔法陣だよ」


「嘘でしょ? 今までの転移って、平べったい魔法陣一つだったじゃない」


「本来は球体だよ。あれは、僕が改変を重ねた結果、普通の魔法陣と同じようにできただけ。でも、これはできない」



 エストは普段、世にない魔術を勝手に生み出し、世に出る前に勝手に改良し、発表した頃には他の魔術師が理解できないほどに隙が無く、緻密な魔法陣を組み上げる。


 そんなエストが改良すら諦めたというのが、目の前の魔法陣。



「一体どこに繋がってるワケ?」


「それが今回のデート先だよ。僕も知らないから、二人で冒険も兼ねてデートする。どうかな?」



 魔術師界では知の化身とすら言われるエストが知らない場所。そして、二人は十年以上も冒険者として仕事をしてきた過去がある。


 未知の場所、愛する人と、大冒険。


 好奇心旺盛なシスティリアは、パッと花が咲いたような笑みを浮かべて頷いた。

 そんな彼女の笑顔に惚れ直したエストもまた、清々しい笑みを浮かべて魔法陣に手を伸ばす。



「それじゃあ、行こうか。この魔法陣が繋いだ場所は──……異世界だ」



 そうして、氷の賢者と剣の女帝は、デート先に異世界を選ぶのだった。

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