【事件ファイル No.2】71時間59分59秒の現実

 ケンジは、その投稿に違和感を感じた。どこか見たことのある画像が貼り付けられている。どこで見たかは覚えていない。ただの線路の画像なのだが……。それは、錯視の一つ。「どちらが長いか」を錯覚させるものだった。



 次の瞬間、ケンジの脳に違和感が走った。それは、違和感という言葉では十分ではないかもしれない。



「痛てぇ、なんか頭がぼんやりする……」



 ケンジは思わず自分のスマートフォンを床に落とした。その瞬間、床に叩きつけられた液晶画面に、血を吐いたような赤いデジタル表示が、壁紙を無視してオーバーレイで点滅していることに気づいた。



『71:59:59』



「あれ、なんだこれ。タイマーなんてセットした覚えないぞ」



 その夜、ケンジは寝た気がしなかった。





 翌朝、ケンジがスマホを見ると、タイマーが表示されていた。



『65:45:31』



 ケンジは気づいた。夢ではなかったことに。



「ケンジ! 早く降りて来なさい!」



「分かってるって!」



 キッチンから聞こえる母親の呼びかけに応じるが、少しだけ吐き気がする。その理由がケンジには、分からない。



「ひとまず、アキラの家に行くか」





 ケンジがアキラの家の扉を叩いても応答はない。合鍵で中に入ると、リビングは荒れておらず、誰もいないように見えた。だが、テーブルの上に置かれたアキラのノートパソコンの画面は、起動したままだった。



 画面を覗き込んだケンジは息を飲んだ。アキラのSNSアカウントの管理画面が開いている。そこには、昨日の深夜、連続して投稿しようとした形跡が残されていた。



 そして、ログの最後に、アキラが書き残したであろうメモ帳が開いていた。



――デジタル錯視は脳を殺す。三日以内に誰か一人に、確実に拡散しろ。拡散すればタイマーはリセットされる。拡散がゼロなら、死。



 ケンジは自分のスマホを握りしめた。血のように赤いタイマーが、『62:15:32』を示している。これは、夢でも悪ふざけでもない。彼は今、命がけのデジタル爆弾を抱えて、親友が失敗したサバイバルゲームの渦中にいる。



「つまり、俺も、あの錯視を拡散しないと死ぬ……?」



 まさか、とケンジは笑い飛ばしたかった。しかし、アキラは部屋にいない。争った形跡はない。



 ケンジはノートパソコンを閉じ、震える手でスマートフォンをポケットに押し込んだ。『62:15:30』。タイマーは秒単位で命を削り続けている。



「助けを呼ばないと」



 ケンジはまずアキラの親族に連絡し、アキラが失踪したことを伝えた。そして、自分が発見した「ノートパソコンのログ」と「錯視の呪い」について警察に届け出るため、最寄りの警察署へ向かった。





 担当のベテラン警官は、ケンジが顔色を失いながら訴える「デジタル錯視が脳を殺す」という話を、疲れた顔で聞いていた。



「失踪届は受理する。だがな、君。その携帯に表示されている赤い数字とやらが、友人の死とどう関係あると言うんだね? それはただのイタズラだろう」



 ケンジはスマホの画面を見せた。『60:43:11』。



「これは、タイマーなんです! 拡散しないと死ぬんです! アキラは、このタイマーがゼロになって……」



「いいか。携帯の画面の異常と、失踪の因果関係は証明できない。ノートパソコンのメモは、ゲームのルールか、彼が自分で書いた脅迫状の類だ。第一、君自身がそのミームとやらを見て、なぜピンピンしている?」



 警官は眉をひそめた。ケンジは反論できなかった。確かに、彼はまだ生きている。しかし、頭の芯で脈打つ違和感と吐き気は、彼にこのタイマーが「命の残り時間」であることを痛いほど訴えていた。



 結局、ケンジは信じてもらえないまま、署を後にした。彼は今、社会から完全に孤立した。頼れるのは、三日以内に確実に命を奪う、この血のような赤いタイマーだけだった。



『53:25:04』





 自宅に戻ったケンジは、アキラの書き残したメモを思い出した。「三日以内に誰かに拡散しろ」。



 拡散しなければ、ケンジ自身が死ぬかもしれない。だが、もし、拡散したら……。彼は人殺しになる。錯視ミームを通して。



「とりあえず、どこかの誰かに拡散しなくちゃ」



 ケンジは、ネット掲示板に錯視画像を貼り付けた。だが、反応はない。過疎な掲示板を選んだのだから、当たり前だった。



 どこかの誰かなら、罪悪感はない。だが、友人を巻き込むのなら、どうか。ケンジが、偶然にもアキラにやって巻き込まれたように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

絶対に拡散しないでください 雨宮 徹 @AmemiyaTooru1993

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画