【短編】犯罪小説の女王

浅沼まど

第一章:訃報

 作家・神崎かんざき冴子さえこが亡くなった。享年きょうねん七十八。

 死因は心不全しんふぜん。鎌倉の自宅で、書斎しょさいの椅子に腰かけたまま息を引き取っているところを、週に一度訪れる家政婦が発見した。机の上には、最後の長編小説『海よりも深く沈めて』の完成原稿が置かれていたという。


 神崎かんざき冴子さえこ。一九四七年、東京生まれ。一九七四年に『硝子がらすひつぎ』で文芸誌の新人賞を受賞しデビュー。以来五十年にわたり、犯罪小説の第一線で活躍した。代表作に『白い手の記憶』『最後の審判者』『沈黙の共犯者』など。その作品はいずれも「女が女を殺す」物語であり、緻密な心理描写と耽美的な文体で熱狂的な読者を獲得した。『犯罪小説の女王』——いつからかそう呼ばれるようになった彼女は、しかし、その称号を好まなかったという。

 生涯独身。私生活はほとんど明かされなかった。受賞式や講演会にも滅多めったに姿を見せず、インタビューを受けることも稀だった。彼女について知られていることは少ない。わかっているのは、彼女が五十年間、ただひたすらに書き続けたということだけだ。

 遺作いさく『海よりも深く沈めて』は、来春刊行予定。担当編集者によれば、神崎かんざきはこの作品について「これを書き終えたら、もう書かない」と語っていたという。


 神崎かんざき冴子さえこの小説には、常に同じ女が死んでいた。


 黒い髪。白い肌。どこか現実から遊離したような、深い湖を思わせる眼差し。作品ごとに名前は異なった。ある小説では「透子とうこ」、別の小説では「冬子ふゆこ」、また別の作品では「玲子れいこ」。しかし、読者は気づいていた。殺される女はいつも同じ顔をしている。同じ声で話し、同じ仕草で振り返り、同じ微笑みを浮かべて死んでゆく。熱心な読者たちはささやき合った。


——あれは誰なのか。神崎かんざき冴子さえこが五十年かけて殺し続けた、あの女は。


 問われるたび、神崎かんざきは微笑むだけだった。


「小説の中の人物に、モデルなどおりません」


 神崎かんざき冴子さえこは、最後まで語らなかった。

 葬儀は近親者のみで執り行われる

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