第五話 逃亡

俺は逃げた。ユキを見捨てて。その事実と罪悪感が、全身を鉛のように重くし、押し潰す。涙が止まらない。情けない。守ると約束したのに、俺が見殺しにしたという事実が、何度も、何度も俺を苛む。


「クソっ……クソおぉぉぉっっ!」


ここで追手に追いつかれれば、またあの地獄に戻る。自己矛盾に満ちた考えが絶望の淵から生まれる。詰みを脱するための決断なのに……。


しかし、予想通りのことが起きた。


「やっぱり、あの野郎の目的は俺じゃなくてユキかよ……!」


やるせなさが熱い血潮となり、体を巡る。しかし、止まってはいけない。これが最後の賭け。生き残るためには、逃げるしかなかったのだ。


そして、ついに死のループから抜け出した。

ユキを救うため、力をつけるため、いつか必ずあの森に死に戻る──その計画を果たすために────。


もし、時間が巻き戻らなかったら? もし、今のこの瞬間が新たな『開始地点』になってしまったら? いや、考えるな。戻れるはずだ。戻らなきゃいけないんだ。

あの森を抜けて二日ほど経っただろうか。歩けど歩けど文明の痕跡はなく、空腹と疲労で活動限界が迫る。


その時、少し先に馬車を引く人影が見えた。最後の力を振り絞り、俺は走った。


そして意識は途切れ、次に目覚めたのは、どこかの家の寝室だった。


「ここは……?」


「目が覚めたか。よかったの」


声の主に目を向けると、大きな顎髭を携えた老人が安心したように微笑んでいた。


「あんたが助けてくれたのか……?」


「いいや、儂は商人が連れてきた病人を引き取っただけじゃよ」


本当に助かった。あのまま倒れていたらと思うと、背筋が凍る。感謝を込めて頭を下げた。


「あー……まずはご飯を食べなさい。話はそれからじゃな」


ベッドから起き上がり、食卓へ向かう。久しぶりに口にしたパンの味は、涙が出るほど美味しかった。


食事を終え、落ち着いたところで老人に質問を投げかける。


「少し聞きたいんだが……ここは一体どこなんだ?」


「うーむ、どこ、と言われても困るのお」


腕を組み、素っ頓狂な顔で悩む姿は、昔見た映画のポスターの老人を思い出させた。


「この世界の仕組みが知りたい」


「なるほど。分かった範囲で答えよう」


俺は疑問をぶつける。


「この世界では、戦争は起こっていないのか?」


俺の元いた世界では当たり前の戦争。それがないなら、この世界は元の世界と大きく異なる。


「戦争……は、500年前の帝国独立戦争が最後じゃな」


500年……そんな昔の話か。俺の世界とは隔たりすぎている。


「その……ええと、帝国独立戦争とは……?」


「少し長くなるが、よいかの?」


「よろしく頼む」


こうして、帝国と円卓の戦いの歴史が語られ始める。今に至るまでの、戦争と英雄たちの物語が──。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る