ユキナリがゼノンに勝利したというニュースは瞬く間に学園中を駆け巡った。

「あの出来損ないがゼノン様に勝ったらしい」

「一体どんな手を使ったんだ？」

　今までユキナリを侮蔑していた生徒たちは、今や好奇とわずかな畏怖の目で彼を遠巻きに見るようになった。廊下を歩くだけでひそひそと噂される。それは決して心地よいものではなかったが、以前のようなあからさまな嘲笑が消えただけでも大きな変化だった。

「ユキナリ、すげーじゃん！ 見てたぜ、あの試合！ かっこよかった！」

　リオは自分のことのように喜んでユキナリの背中をバンバン叩いた。友人の素直な賞賛がユキナリの心を温かくする。

　トーナメントを勝ち進むにつれユキナリの戦い方はさらに洗練されていった。

　カイの的確な分析と指示、そしてそれを寸分の狂いもなく実行するユキナリの膨大な魔力。二人のコンビネーションは対戦相手を次々と打ち破っていく。

　水蒸気を瞬間的に凍らせて相手の足を封じる。突風を起こして視界を奪いその隙に空気の弾丸を撃ち込む。誰も見たことのない科学と魔法が融合した戦術に相手はなすすべもなく敗れていった。

　いつしかユキナリは「無属性の魔術師（ノーブル・メイジ）」と呼ばれるようになっていた。蔑称だった「無属性」が今や彼の異名となっていたのだ。

　そしてそんなユキナリの戦いを常に鋭い視線で見つめる人物がいた。

　セレスティア・フォン・ヴァイスだ。

　彼女はユキナリの試合を欠かさず観戦し、その一挙手一投足を分析していた。

　ある日の放課後、ユキナリが一人でトレーニングをしていると彼女が姿を現した。

「少し付き合ってもらえるかしら」

　セレスティアはそう言うと、有無を言わさずユキナリに模擬戦を申し込んできた。

「あなたのその奇妙な魔法、この目で確かめさせてもらうわ」

　断る暇もなく二人の手合わせが始まった。

　セレスティアはさすが天才と呼ばれるだけの実力者だった。彼女が放つ光の矢はユキナリの空気の盾をいとも簡単に貫き、風の刃は音もなく彼の死角から襲いかかる。

　ユキナリは防戦一方だった。カイの指示を受けながら必死で攻撃を凌ぐ。

『くそっ、速え！ さすがにゼノンみたいな雑魚とはレベルが違うな！』

　カイも焦りの声を上げる。

「どうしたの？ あなたの実力はその程度ではないはずよ」

　セレスティアはまるでユキナリを試すかのようにさらに攻撃の速度を上げていく。

　追い詰められたユキナリはついにカイとの特訓で編み出した奥の手の一つを使うことを決意した。

（カイ、やります！）

『ああ、やっちまえ！』

　ユキナリは大きく息を吸い込むと、自身の周囲の空気を魔力で急激に振動させた。

　ゴォォォ！ と空気が唸りを上げる。ユキナリの周りに陽炎のような歪みが生まれた。

「これは……？」

　セレスティアが警戒して足を止めた瞬間、ユキナリは不可視の壁を蹴って彼女の懐へと一気に跳躍した。

「蜃気楼の原理を応用した空間屈折の足場だ！」

　頭の中に響くカイの声。ユキナリは空中でさらに体勢を変えセレスティアの背後に回り込む。

「なっ……！？」

　驚くセレスティアの首筋にユキナリはそっと指先を添えた。ひんやりとした氷の粒をまとった指先。もし本気であればいつでも凍らせることができた。

「……僕の勝ちですね」

　ユキナリがそう告げるとセレスティアはしばらく呆然としていたが、やがてふっと息を吐いて笑った。

「……ええ、参ったわ。私の負けよ」

　彼女は潔く敗北を認めた。そしてユキナリに向き直るとその青い瞳をキラキラと輝かせる。

「すごいわ、ユキナリ。あなたの魔法、本当に面白い！ ねぇ、どういう理論なの？ 教えてちょうだい！」

　先ほどまでの厳しい表情はどこへやら、セレスティアは純粋な好奇心に満ちた少女の顔でユキナリにぐいぐいと迫ってきた。

「え、えっと……それは……」

　戸惑うユキナリの腕をセレスティアは掴んだ。

「いいじゃない、少しくらい！ さあ、あそこのカフェでお茶でもしながらゆっくり話しましょう？」

　強引に引っ張っていくセレスティアにユキナリはなされるがままだった。

　その様子をユキナリの胸の魔導書の中からカイがじっと見ていた。

『…………』

　カイは何も言わなかった。だがユキナリには魔導書からなんとなく不機嫌なオーラが発せられているのを感じ取れた。

　カフェのテラス席でセレスティアは魔法談義に花を咲かせた。もちろんユキナリはカイの秘密を明かすわけにはいかないので曖昧な返事に終始するしかなかったが、セレスティアはそれでも楽しそうだった。

「あなたの発想は既存の魔法体系から逸脱しているわ。まるで世界の全く違う理に則っているみたい。もっとあなたのことを知りたい」

　真っ直ぐな瞳でそう言われユキナリはどきりとしてしまう。

　その時だった。

『……おい、ユキナリ』

　頭の中に低く冷たいカイの声が響いた。

（は、はい、カイ）

『いつまであんな女と油を売ってるつもりだ？ 俺との特訓はどうした』

（で、でも、これは……）

『言い訳は聞きたくない。お前は俺の主だろ？ 他の奴にうつつを抜かすなんていい度胸じゃねえか』

　声に明らかに棘がある。ユキナリは冷や汗をかいた。これはまずい。カイが怒っている。いや、怒るというよりは……。

（もしかして、やきもち……？）

　そう思った瞬間、なんだかおかしくて少し嬉しくなってしまった。

「あの、セレスティアさん。すみません、僕はもう行かないと」

「あら、もう？ 残念だわ」

　名残惜しそうなセレスティアに頭を下げユキナリはその場を後にした。

　帰り道、カイはずっとむっつりと黙り込んでいる。

「……カイ、怒ってますか？」

　ユキナリが恐る恐る尋ねるとカイは吐き捨てるように言った。

『別に。主が誰と仲良くしようが俺の知ったことじゃない』

（怒ってる。絶対に怒ってる）

　ユキナリは苦笑しながら胸の魔導書をそっと撫でた。

「僕の相棒はカイだけですよ」

『……っ！』

　カイは一瞬言葉に詰まった後、慌てたように言った。

『た、当たり前だろ、馬鹿！ 俺以外の誰がいるってんだ！ ……ほら、さっさと帰って特訓の続きだ！ 今日はいつもより厳しくやるから覚悟しろ！』

　早口でまくし立てるカイの声はどこか照れているようにも聞こえた。

　天才令嬢からの突然のアプローチと、それに対する秘密の相棒のささやかなやきもち。

　ユキナリはくすぐったいような気持ちを胸に抱きながら夕暮れの道を歩いていく。

　主従関係から始まった二人の絆は、少しずつ、けれど確実に、もっと別の温かいものへと変わり始めていた。