三 秋には椛

 うたたねさん、うたたねさん。

 秋ですよ。風の音が、秋を告げていますね。


 山は燃えるように真っ赤に染まっていた。中には銀杏の黄色もあれど、やはり圧倒的にあか、赤、あかあかと山の木々は染まってゆく。

 季節はうつろい、花は散る。春に咲いた桜は夏には葉をつけて、そして秋には赤く染まる。

 そうしてはらりと、葉を落とす。


 ざらざらざっと。

 ざらざらざっと。


 男はひたすらに網を手に、川面かわづらあかい葉をすくっていた。ああでも違う、これも違う、あれも違う。これはただの木々の葉で、男が探すものではない。

 それでも男は、ただひたすらに椛を掬った。

 ざらりざらりと網の上。これは木々の葉、まことに訪ねるものではない。

 けれど、それでも、男は救う。

 ただひたすらに葉を掬い、そしてまた川に戻して。

 秋ですよ、秋ですね。

 あちらこちらが色鮮やかで、華やいで。どこもかしこも燃えるよう。川面もまた、紅葉のにしき

 からくれなに、水くくる。

 掬い上げても掬い上げても紅葉の葉。男の隣に立った誰かが、ひょこりと耳を揺らしていた。ゆらゆらとその顔に揺れていたのは、へのへのもへじ。

 掬っても掬っても、紅葉の葉。

 ここにもない、どこにも見付からない。男の声は消えて、消えて、残るものは何もない。ただ男が手にした網の中にべたりと張り付いた椛の葉だけが、そのことばを聞いていた。

 どうしてこんなことになったのだろう。

 世の中には不思議なことがいくらでもある。それこそ誰もがかみさまなんてものを信じていたころから、いくらでも。信じなくなっても、これからも。


 でもね、うたたねさん。

 きみはまだ、信じたいものだけ信じていたら良いんだよ。


 秋の虫が男の足元を飛び跳ねて、そして土の中へと潜っていった。

 秋の虫が鳴いている。きりはたりちょうと螽斯きりぎりすひぐらし。りんりん、りんりんと松虫の声。どこかでごぉんごぉんと夜明けの鐘が鳴っていた。


 ざらざらざっと。

 ざらざらざっと。


 川面を括り染めにした紅葉の葉は、流れ流れてどこへ連れて行くのだろうか。川面を眺めていた誰かが、へのへのもへじを揺らしていった。

 あれでもない。

 これでもない。

 ああ、どうして見付からない。


 ざらざらざっと。

 ざらざらざっと。


 男は掬い続けて掬い続けて――救い続けて。

 そうしてぺたりと川縁に座り込んだ。ころりと手から離れた転がった網には、べったりと貼り付いた紅葉の葉。

 もみじ

 どこにもない、もみじ

 これは木々の葉、これではない。これは紅葉、あれも紅葉。探しているものはどこにもない。

 ああ、そうか、もう。もうどこにも、ないのだ。


 ざらざらざっと。

 ざらざらざっと。


 風に揺られて川面の紅葉が揺れていた。男の隣に立っていたへのへのもへじが、体を揺らす。

 男は転がった網を踏みつけて、そして歪んだ。男の足の裏に、べったりと紅葉が張り付いた。

 椛。椛。

 ああ大丈夫だよ、そこにいたんだね。

 歪んだ影が嗤っている。ぱぁんと爆ぜて、また嗤う。


 ざらざらざっと。

 ざらざらざっと。


 歪んだ影は黒くなり、そしてからくれなゐ(い)に括られた。歪んだ影にべったりべったり、紅葉がいくつもいくつも張り付いて、それは決して剥がれない。

 どうしてだろう、影がどうしようとも、紅葉は決して剥がれない。動こうとも、何をしようとも。

 歪んだ影が、嗤っていた。

 ねえ姫様、お嫁様になってみないかい?


 うたたねさん、うたたねさん。

 どうして男の全身に、紅葉が張り付いていたのかな。

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