第3話

 ガギィィィン!!


 甲高い金属音が、地下訓練場『鳥籠』に響き渡る。

 僕の目の前には、見飽きた――けれど決して油断できない鉄の嵐が迫っていた。


「まだまだ! 動きが単調じゃぞ、坊主!」

「うるさいな、爺さん。骨粗鬆症の心配でもしてろよ!」


 対戦相手は、ここでの常連となった『鉄塊の厳造』こと、念鉄の爺さんだ。

 彼が操る六つの鉄球は、最初の頃よりも鋭さと連携を増している。

 どうやら僕という「格上の子供」に負かされたのが相当悔しかったらしく、引退した身でありながら、現役時代の勘を取り戻しつつあるらしい。


 迷惑な話だ。

 枯れ木なら枯れ木らしく、縁側でお茶でも啜っていてほしい。


 僕は横っ飛びに回避しながら、右手をかざす。

 使うのは、昨日コピーしたばかりの『風遁(ふうとん)・鎌鼬(かまいたち)』。


「切り裂け!」


 不可視の風の刃が、迫りくる鉄球を弾き飛ばす。

 キンキンと軽い音を立てて軌道が逸れる鉄球。

 だが爺さんは、ニヤリと笑う。


「風か。昨日は雷じゃったな。……器用貧乏にならんといいがの」

「マンネリ防止だよ。爺さんの顔も見飽きたし、技くらい新鮮じゃないとやってられないでしょ?」


 そう軽口を叩きながら、僕は思考を巡らせる。

 実際、僕の能力『万象模倣(オール・ミミック)』にとって、このローテーションは重要だ。


 同じ能力ばかり使っていると、戦いがパターン化してしまう。

 それは「対応力」こそが最強の武器である僕にとって、成長の停滞を意味する。


 だから僕は、日替わり定食のように能力を使い分ける。

 今日は風。昨日は雷。その前は重力制御。

 あらゆる能力を実戦レベルで使いこなし、最適化する。それが僕の自分に課した「宿題」だ。


 とは言え。


(やっぱり爺さんの『念動力』は、チートだよなぁ……)


 攻防の合間に、僕は心の中で毒づく。

 結局のところ、汎用性が高すぎるのだ。攻撃、防御、移動、感知。全てにおいて高水準。


 僕も様々な能力をコピーしてきたが、ベースとして常用するのは、結局この『念動力』に落ち着くことが多い。

 便利すぎる能力というのは、ある意味で呪いだ。思考を怠惰にさせる。


「っと、危ない!」


 死角から飛んできた鉄球を、首を傾けてギリギリでかわす。

 風圧で、髪が揺れる。


「よそ見とは余裕じゃな!」

「考え事だよ! 今日の夕飯、何かなーってね!」


 僕は風を纏った脚で床を蹴り、距離を取る。

 さて、準備運動はこれくらいでいいか。


 今日はもう一つ試したい、「新オモチャ」があるんだ。


          *


 夜。

 僕の主戦場である、東京の裏側。


 今日の現場は廃ビルだ。

 バブル時代に建設が中断され、そのまま放置されたコンクリートの墓標。


 そこには浮浪者や不良ではなく、もっと質の悪いモノが住み着いている。


「目標確認。Tier 4、小鬼(ゴブリン)種の群れです」

『了解しました、虚様。殲滅を許可します』


 インカム越しのオペレーターの声は、以前よりもずっと恭しい。

 そりゃそうだ。ここ数ヶ月、僕はアホみたいなペースで任務をこなし、討伐数はベテランエージェントの年間記録を既に塗り替えている。


 八咫烏にとって僕は、「扱いづらい爆弾」から「手放せない最高戦力」になりつつあるわけだ。


 僕は、廃ビルの三階、吹き抜けになったフロアを見下ろす。

 そこには、身長1メートルほどの醜悪な小鬼たちが二十匹ほど群れていた。

 何か動物の死骸のようなものを、貪り食っている。実に不愉快な光景だ。


「さてと」


 僕は手すりに足をかけ、音もなく飛び降りる。

 着地と同時、小鬼たちが一斉に振り返った。


 ギョロリとした目が、侵入者である僕を捉える。


「ギギャッ!?」

「ギャウッ!」


 威嚇の声。錆びたナイフや鉄パイプを構えて、包囲しようと散開する。

 知能は低いが、殺意だけは一丁前だ。


 普通なら、ここで広範囲魔法をぶっ放して終わりだ。

 あるいは念動力で、全員まとめて壁に叩きつけるか。


 でも、今日は違う。

 僕は、喉の調子を確かめるように、小さく咳払いをした。


 先日、とある現場で遭遇した『呪言師(じゅごんし)』の能力。

 言葉に魔力を乗せ、現実に強制力を働かせる術式。


 コピーした時は「ランクが低いから大したことないな」と思って放置していたが、使いようによっては便利かもしれない。


 僕は息を吸い込む。

 肺に満ちた空気に、魔力を練り込む。

 声帯を震わせるのではなく、魔力回路(サーキット)を通じて「意味」そのものを振動させるイメージ。


 群がる小鬼たちに向かって、僕は短く、冷徹に告げた。


「――【潰れろ】」


 ドヂャアッ!!


 破裂音がした。

 一つじゃない。二十個分の濡れた果実を、同時に踏み潰したような音。


 僕の視界の中で、小鬼たちが一斉に「圧死」した。

 上から見えない巨大なプレス機で押し潰されたように、あるいは体内の気圧が急激に変化したように。


 彼らは悲鳴を上げる暇もなく、ただの肉と骨の塊へと変わり、床にへばりついた。


「……うわ」


 僕は自分の口元を押さえる。

 想像以上の効き目だ。


 コピー元の呪言師は、もっと詠唱に時間をかけていたし、効果も「動きを止める」程度だった。

 だが僕が最適化(アップデート)して使えば、これだ。


「消費魔力は……そこそこか。でも、コスパはいいな」


 念動力で二十匹を同時に潰そうとすれば、それぞれの個体を認識し、ベクトル計算をして力を配分する必要がある。

 だが『呪言』は違う。


 ただ「潰れろ」と命じるだけ。

 対象が何匹いようが、僕の声が届く範囲、僕が認識している範囲なら、オートマチックに効果が発動する。


 これは……雑魚散らし(ファーミング)には最適解かもしれない。


「Tier 3以上の相手には、魔力抵抗(レジスト)される可能性があるけど……使い分けだな」


 僕は床に広がる惨状を冷ややかに見下ろし、ポケットから端末を取り出した。

 任務完了の報告を送信する。


 ついでに自分のステータス画面(自作のメモアプリだが)を開き、更新履歴を書き込む。


 【能力コピー持続時間:1週間(New!)】


 そう。

 以前は一日で消えていたコピー能力が、今では一週間持つようになった。


 これはデカい。

 一週間あれば、お気に入りの能力を維持したまま、次の能力を探しに行ける。

 ストックできる数も増えた。


 僕の「手札」は、指数関数的に増え続けている。


「もっと伸ばせないかなぁ……。理想は『永続化』だけど」


 まあ、焦ることはない。

 僕はまだ6歳。成長期(伸び代)は、これからだ。


          *


 さて、こんな風に夜な夜な怪異をプチプチ潰し、昼間は訓練場で大人たちをボコボコにしている僕だが、一つ疑問があるだろう。


 「学校はどうした?」と。

 義務教育はどうなっているんだと。


 答えは簡単だ。

 行っていない。


 いや、正確には「僕は行っていないが、六式 虚は行っている」。


 時間は少し遡る。

 小学校に入学して一週間で、僕は限界を迎えていた。


 退屈すぎて、死ぬかと思った。精神的な窒息死だ。


 そこで僕は、八咫烏のデータベースをハッキングし、ある能力者を探し出した。


 『分身能力者』。

 それもただの幻影ではなく、実体を持ち、ある程度の自律行動が可能な分身を作れるレアな能力者だ。


 居場所は地方の田舎町。

 僕は週末を利用してそこへ飛び(物理的に空を飛んで)、その能力者に会いに行った。


 相手は、売れないストリートミュージシャンの青年だった。

 僕は彼にこう提案した。


「君のその『分身』の能力、僕にコピーさせてよ。あ、安心して。減るもんじゃないし」

「え、あ、はい……いいですけど……」

「あと頼みがあるんだけど。君、東京に来ない? 生活費は全部出すし、音楽活動の支援もするよ。六式家のコネを使えば、ライブハウスだって抑え放題だ」


 要するに、金と権力による「説得」だ。

 彼は最初怪しんでいたが、僕が提示した金額(お小遣い三年分だが、一般人の年収より高い)を見た瞬間、二つ返事で快諾してくれた。


 彼には東京のマンションの一室を提供し、定期的に僕と会ってもらうことにした。

 なぜならコピー能力の持続時間が切れそうになったら、彼から再度コピー(補充)させてもらう必要があるからだ。


 いわば「生きた充電器」としての契約だ。


 こうして手に入れた『実体分身(ドッペルゲンガー)』の能力。

 さらに僕なりの改造(アップデート)を加えることで、分身に「本体へのフィードバックなし(記憶だけ共有)」という設定を付与することに成功した。


 つまり、分身が学校でどれだけ退屈な授業を受けようが、本体の僕には「ああ、そういう授業があったな」程度の知識としてしか残らない。

 精神的疲労はゼロだ。


 現在、僕の分身くんは真面目にランドセルを背負って登校し、優等生として先生に褒められ、クラスメイトから「なんか最近の六式くん、影薄くない?」と言われながらも平和に過ごしている。


 そして本体の僕は、朝から晩まで『鳥籠』に引き籠り、思う存分戦闘訓練に明け暮れているというわけだ。


 Win-Winとはこのことだろう。

 ありがとう文明。ありがとう異能。


          *


 そんなわけで今日も僕は、朝から『鳥籠』にいる。

 学校に行っているはずの時間帯に、ここにいる6歳児。


 最初は職員たちもギョッとしていたが、今では「ああ、またか」という空気で受け入れられている。

 完全に常連というか、主(ぬし)のような扱いだ。


「……全く。呆れたガキじゃ」


 休憩スペースでプロテイン入りの牛乳を飲んでいると、念鉄の爺さんが呆れ顔で話しかけてきた。


「ワシも長いこと生きてきたが、ここで一日中、飽きもせず戦闘してるガキは初めてじゃよ。学校はどうしとるんじゃ?」

「優秀な代理人が行ってるよ。爺さんこそ隠居したくせに毎日来てんじゃん。家じゃお婆ちゃんに、邪魔者扱いされてるんでしょ?」

「カッカッカ! 痛いところを突くのう!」


 爺さんは豪快に笑う。

 なんだかんだこの爺さんとは気が合う。

 実力者同士の奇妙な連帯感というやつかもしれない。


「いやしかし、お前の方がよっぽど『化け物』じゃぞ。才能の塊が努力までしたら、凡人はどうすればいいんじゃ」

「努力じゃないよ、趣味(ゲーム)。レベル上げが嫌いなゲーマーなんていないでしょ?」

「げーむか。……まあよい。ほれ、次はあやつが相手をしてくれるそうじゃ」


 爺さんが顎でしゃくった先。

 訓練フィールドの中央に、一人の男が立っていた。


 黒髪を後ろで束ね、鋭い眼光を持つ青年。

 腰には一振りの日本刀を佩(は)いている。


 『剣客のエージェント』。

 名前は確かソウジだったか。Tier 2に片足を突っ込んでいる、近接戦闘(アタッカー)のスペシャリストだ。


「うっす。よろしく頼むわ、ソウジさん」

「……ああ。手加減はできんぞ、虚」


 ソウジさんは愛想笑い一つせず、鯉口を切る。

 チャリ、と硬質な音が空気を引き締める。


 本物の刀だ。刃引きなんて甘いことはしていない。

 ここでの訓練は、「死ななければOK」という暗黙の了解がある。


「始めッ!」


 審判の声と共に、ソウジさんの姿がブレた。

 『縮地』。


 一足飛びで間合いを詰め、居合の一閃が僕の首を狙う。


 速い。

 念鉄の爺さんの鉄球とは違う、生物的な殺気を含んだ刃。


 僕は『身体強化』をフル稼働させ、上半身を反らす。


 ヒュンッ!!


 鼻先数センチを、冷たい死が通過する。

 前髪が数本、パラパラと散った。


「おっかないなぁ!」


 僕はバックステップを踏みながら、不可視の『風の刃』をカウンターで放つ。

 だがソウジさんは、それを「刀で」弾いた。


 見えない風を斬ったのだ。


「マジかよ。マンガか」

「集中しろ。首が飛ぶぞ」


 追撃が来る。

 袈裟斬り、突き、逆袈裟。

 流れるような連撃。


 僕は念動力で障壁(シールド)を張るが、彼の刀は魔力を帯びており、障壁ごと僕を斬り裂こうとしてくる。


 ザシュッ。


 回避が遅れた。

 左腕に浅い斬撃が入る。


 鮮血が舞う。

 普通の子供なら、泣き叫ぶ激痛だろう。


 だが僕は、眉一つ動かさない。


「――『再生(リジェネ)』」


 傷口が光り、次の瞬間には塞がっていた。

 これはコピーじゃない。


 六式家の遺伝子操作によって僕に組み込まれた、生得的な機能だ。

 トカゲの尻尾切りなんか目じゃない。腕が飛んでも数分で生えてくる。


「チッ……相変わらずデタラメな回復力だな」


 ソウジさんが舌打ちをして、一度間合いを取る。


「おめー、武器は使わないのか? 魔法や超能力だけじゃ、手札が尽きた時に詰むぞ」


 彼は刀を正眼に構え直し、問うてくる。

 それは挑発ではなく、先輩としての純粋な助言だった。


「武器ねぇ……」


 僕は自分の小さな掌を見つめる。

 そしてちらりと、ソウジさんの刀を見る。


「ガキが武器使ってもいいけどさ。刀とか使いたいけど……」


 僕は、自分の身長と刀の長さを比べるジェスチャーをした。


「大きさ的に無理なんすよ……」


 そう。物理的な問題だ。

 日本刀は大人の体格に合わせて作られている。


 120センチそこそこの僕が持っても、引きずって歩くのが関の山だ。

 脇差や短刀なら使えるが、それではソウジさんのようなリーチ(間合い)の有利は取れない。


 子供用の模造刀?

 そんなオモチャで、Tier 2級の戦闘ができるわけがない。


「プッハハハハ!」


 ソウジさんが吹き出した。

 殺気が霧散する。


「なるほどなぁ! 最強の能力者様も、身体の成長には勝てないか!」

「笑うなよ。牛乳飲んでるんだからさ」

「悪い悪い。ま、高校生ぐらいまでは刀デビューは無理だろうぜ? それまでは魔法少女みたいに、ステッキでも振ってろよ」


 屈辱だ。

 この「子供扱い」だけは、どれだけ能力で無双しても払拭できない。


 悔しい。早く大きくなりたい。

 ……いや、待てよ?


「ねえソウジさん。海外だとさ、銃使い(ガンナー)とかいるんでしょ?」

「ん? ああ、マジェスティックの連中とかはそうだな。魔導銃を標準装備してる」


 銃。

 その単語が出た瞬間、僕の脳内検索(サーチ)がヒットした。


「それだ」


 僕は指を鳴らす。


「ぜひコピーしてぇ……」

「はあ? 銃なんて刀より扱いが難しいぞ。メンテナンスもいるし、何より反動でお前の肩なんか外れちまう」


「ノンノン。分かってないなぁ」


 僕はニヤリと笑う。

 刀は「体格」に依存する。リーチ、筋力、足捌き。全てが肉体のサイズに左右される。


 だが銃は違う。

 トリガーを引く指さえあれば、子供でも巨人を殺せる。


 それが銃という発明の恐ろしさであり、素晴らしさだ。


「銃なら子供でも使えるじゃん。反動? そんなの『念動力』で殺せばいいし、なんなら『身体強化』で無理やり抑え込めばいい」

「……お前なぁ」

「リロードだって念動力で一瞬だし、弾道補正だって『未来視』使えば百発百中でしょ? あれ? もしかして僕、銃を持ったら最強になっちゃう?」


 ソウジさんが呆れたように天を仰ぐ。


「……理論上はな。だが日本じゃ銃の入手は困難だぞ。八咫烏も許可を出さんだろう」

「ちぇっ。分からず屋だなぁ」


 僕は唇を尖らせる。

 だが心の中では、既に計算を始めていた。


 国内が無理なら、海外のエージェントから「借りれば(奪えば)」いい。

 あるいは、マジェスティックとの合同任務があれば、その時に……。


「余裕っしょ。……待ってろよ、僕の愛銃(パートナー)」


 新たな目標ができた。

 能力(ソフト)だけでなく、最強の装備(ハード)を手に入れる。


「おい、ニヤニヤしてないで構えろ! 休憩終わりだ!」

「はいはい。じゃあ次は、さっき見切ったその『縮地』、コピーさせてもらうよ!」


 僕は構える。

 手ぶらの構え。だがその背後には、無数の「可能性」が渦巻いている。


 刀が煌めく。

 僕の影がソウジさんの間合いへと――彼と同じ速度で踏み込んだ。

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