第10幕・最悪のドライブ
『理科部の見学へようこそ〜!ここが俺たちの活動場所さ!』
理科室に足を踏み入れると、大勢の新入生を前に笑顔を振り撒く先輩の姿があった。
大勢の新入生…と言えば、僕もその一人だ。
今日は部活動見学会。新入生達が自分の入る部活を選ぶ、その前段階なのだ。
…僕はあまり運動が好きではない。というか、体育会系の雰囲気が合わないのだ。
だから、この学校の文化部の中でも人気の高い"理科部"を見学しに来た。
『――そんで、この班が取り組んでるのが再結晶の実験だよ。』
『はいはーい!先輩!再結晶ってなんですかー?』
新入生の群れの後列の男子が、元気良く問いかける。
『その内授業でやるだろうけど…じゃあ関口、答えてやれ。』
案内役の先輩が、班の生徒に声をかけた。
『えっ、俺かよー?めんどいなあ…』
"関口"と呼ばれた生徒は、露骨に嫌そうな顔で答えた。
『いいだろ?未来の後輩達の素朴な疑問に答え――』
『――"粗結晶"と呼ばれる純度の低い結晶を溶媒に溶かし、その溶媒を蒸発させるなどの手段を用ることで、特定の物質を結晶として析出させる…つまり取り出す事、ですね?』
新入生の群れの最前列から、女の子の声が聞こえてきた。
『おお…凄いね!1年生とは思えない…君、名前は?』
『…氷継鋳火です。』
その女の子…氷継鋳火は素っ気ない様子で答える。
『イルカちゃんか〜!是非
案内役の先輩は、食いつくようにそう言った。
鋳火ちゃんは眉一つ動かさず、
『まあ…私は、その為に来たんで。』
と答えた。
『なあ鈴木、紹介する場所は俺達の班で最後か?』
関口君は案内役に…鈴木君と言うらしい…問いかけた。
『一応…全部だな。新入生諸君、ここまでお疲れ――』
『おいおい鈴木ィ!旧理科室のヤツを忘れてんじゃねえのか〜?』
鈴木君が締めに入ろうとした時、少し遠くから笑い混じりの声が響いた。
『なっ…バカ、犬養!あんなの新入生に見せられる訳無いだろ!何の為に顧問がアイツらを隔離してると思ってるんだ…!』
鈴木君は声量を抑えて、怒り混じりにそう言った。
『アッハハハハァ!悪い悪い。でも、あんな理科部の面汚し共でも、反面教師位にはなるんじゃないか〜?って思ってさあ!』
『顧問も大変だよなあ…ウチの学校は部活所属必須だから、強制退部させる訳にいかねえんだもんなあ…。つか、むしろ専用の部室も貰えてるから温情じゃね?』
『窓際族の話はよせ…新入生達は部活動見学に来たんだ…!決して下水道見学に来た訳じゃないんだからな?』
『アハハハハッ!鈴木が1番辛辣で草ァ!』
――妙に嫌な高笑いだった。
「――ヒコ君…」
――今思えば、それは同情に近い感情だったのかもしれない。
「―シヒコ君…」
――その"同情"は、徐々に彼らへの
「ヨシヒコ君!」
・ ・ ・
「ヨシヒコ君!運転手によると、あと5分で到着するらしいぞ!起きたまえ!」
右肩を叩かれるような感覚と共に目が覚めた。
「り…リカブさん…僕、そんなにぐっすり寝てました…?」
僕は目を擦りながら言う。
「ああ、本当にぐっすり眠っていた。ライオンとダチョウが同時にフロントガラスに乗ってきた時も、君は起きなかったからな。」
「僕が寝てる間にどこ走ってたんですか!?」
…全く想像つかないシチュエーションに対する驚きで、眠気が完全に吹っ飛んだ。
「まあその話はさておき、降りる前に話しておきたい事があるんだ。」
「さておかないでくれません!?その話が気になって仕方ないですよ!」
…起きて早々、大声を出してしまった時、僕はタクシーの走行音が随分と大人しくなっている事に気づいた。速度が落ちている。やはり目的地が近いようだ。
「…さて、君が元居た世界に魔法は無い。だが、フィクションとしては存在している…そうだな?」
「はい、そうですけど…それがどうかしたんですか?」
僕がそう返すと、リカブさんは微かに笑みを浮かべた。
「こうは考えられないか?
"君の世界に魔法という概念が存在しているのは、この世界から持ち帰った者が居るから"だと。」
リカブさんの話しておきたい事…僕はそれを、何となくだが悟れたような気がした。
それは――
「――この世界からの…帰還者が居たかもしれないって事ですか?」
「…どうだ、少し希望が見えてきただろ?」
リカブさんは、ふっと微笑んだ。
「…はい!」
僕も、笑顔で返した。
…走行音は更に鳴りを潜める。出発直後の暴走っぷりが嘘のように、タクシーは減速し続ける。
「…お客さん!ここで終点でーす!」
やがて、運転手の言葉と共にタクシーが停車した。
「遂に…魔王との決戦が始まるんですね…!」
僕は震える両の手を握りしめた。
後ろ…トランクの内側からは、コンコンと叩くような音が聞こえる。
「着いたんですか?良かった〜!これ以上こんな所に乗ってたら、きっと車酔ぉえっぅおぼろろろろろろろろ」
…後でトランクを開くのが怖くなってきた。
「…待て、ココは本当に目的地なのか?窓の外に平原は見当たらない。むしろ木々が生い茂っているぞ?」
リカブさんは、窓の外を指差して言った。
「ホントだ。確か目的地は平原でしたよね…。」
僕も反対側の窓を覗いて言った。
「いいえ、"終点"ですよ。お客さん――」
運転手はこちらを向かないまま言った。
「 ――アンタらの…人生のな。 」
運転手が突如、腕を後方…僕らの方へと突き出した。
その腕に握られていた物…それを認識した時――
「…伏せろ!!!」
リカブさんが、僕の背に左手を乗せた。
僕の上半身は、そのまま前方へと押し倒される。
――頭上で何かが弾けるような、乾いた音が響く。立て続けに後方から、ガラスが破砕する音が聞こえてきた。
足元に、ガラスの破片が転がり込んでくる。
…その破片に反射して映ったのは、拳銃を握る運転手の姿だった。
・ ・ ・
「…ディメンション・オーダーッ!!!」
リカブはすかさず呪文を唱えた。
直後、手元に現れた大剣を、リカブは運転席目がけて振り払った。
真っ二つになったヘッドレストが宙を舞う。
「チッ…!」
運転手は前方へと仰け反った。腹部がハンドルにぶつかり、一帯にクラクションの音が響き渡る。
「…お前、さては魔王の手の者だな…!」
リカブは運転手を睨みつけ、その首元に向けて剣を突き出した。
同時に、運転手の姿が徐々に変貌していく。
血色の良い肌色は、徐々に青緑の爬虫類のような色に変わり、毛髪は脱落し、額には2本の角が現れる。
「やはり…"擬態魔法"か…!」
「フッ…まさかこうも不審なタクシーに…乗り込む人間が居たとはな…!」
変わり果てた姿の運転手は、微笑を浮かべ運転席のドアへと手を伸ばした。
ドアが開くと共に、運転手は車外へと飛び出していく。
「しまった…!逃がし――」
「おいおい、誰が逃げたって?」
車の天井から、足音が鳴る。
「お前の読み通り…俺の正体はモンスターさ!
俺らのような擬態型のモンスターは、人間の世界での情報収集が主な役目…その過程で、人間の通貨が必要なのさ!」
「成程な…だからタクシー運転手の真似事などを…。しかし、それを我々に話してどうするつもりだ?」
リカブは車の天井を睨みつけたまま言った。
「冥土の土産…と言った所だ。タクシー料金はお前らの命で支払ってもらおう!!!」
車の天井からコツン、と金属がぶつかるような音がした。
続けて引き金を引く音が――
「リカブさん!アイツ…屋根越しに撃ってくるつもりです!!!」
ヨシヒコは、天井に目線を向けたまま叫んだ。
「問題無い…先手必勝だ!」
リカブは天井目がけて、大剣を突き刺した。
しかし――
(手応えが無い…外したか…!)
続いて響いたのは銃声。天井に穴が開き、座席のシートに弾が突き刺さる。
「うわっ!?」
自身の右脚から僅か数cmの場所…そこに降り落ちた銃弾。ヨシヒコの表情は恐怖に染まっていた。
「皆さん!?さっきから何が起きてるんですか!?」
トランクの中で9万職員が叫ぶ。
「残念だったなァ!そのトランクは外側からしか開かない…お前をトランクに乗せたのは、応戦できる奴の頭数を減らすためさ!
もっとも…素直にトランクに乗ってくれたのは想定外だったが…」
「貴様…卑怯な真似を…!」
リカブが憤りを露わにした次の瞬間、ガコン、と車体が揺れ、後方から砂を踏みしめるような音が鳴った。
「アイツ、車の後ろに…!」
ヨシヒコは冷や汗を浮かべつつ、割れた後方窓の先に立つ運転手を認識した。
「さあ、魔王様に仇なす身の程知らず共…タクシーという名の檻の中で、獄中死するがいい…!」
運転手は拳銃をタクシーの後部座席に向けて言った。
「身の程知らず…?否、我々は勇者一行!魔王討伐の使命を負う者達だ!」
リカブは運転手の言葉に抗うかの如く、叫びかけた。
「何だと…お前、勇者なのか!?」
「いや、私は仲間で、勇者は私の隣で伏せている彼だ。」
リカブは至って冷静に返答した。
「この流れで僕に振らないでくれませんか!?」
そんなリカブとは対極的に、ヨシヒコは焦燥を深めた様子で言った。
「それと…お前はこのタクシーが"檻"だと言ったな。ならば宣言しよう…お前の敗因は、"このタクシーから降りた事"だ。」
リカブは隠れも伏せもせず、割れた後方窓から運転手を睨みつけて言った。
「おっと…俺の聞き間違いか?今"お前の敗因"って言ったな?」
「ああ…言ったさ。…ディメンション・オーダー!」
リカブは再度、呪文を詠唱した。
(リカブさん、まだ隠し玉が…?)
ヨシヒコは伏せたまま、期待と不安の混じり合った眼差しでリカブを見守る。
リカブの手元に現れたのは――
「えっ、リカブさん、それって…」
「ああ、ロケット砲だ!車外の相手なら、爆風を気にせずに撃てるぞ!」
リカブは手元に現れたロケット砲を肩に担ぎ、後方窓から運転手へ向けて突き出した。
「ロケットほ…え!?リカブさん、ロケット砲まで持ち歩いてたんですか!?」
「さあ卑怯者め…制裁を受けるがいい!!!」
驚嘆するヨシヒコを他所に、リカブは叫ぶ。
拳銃を構えていた運転手の表情が、一瞬にして焦りに変わる。
「オイちょっと待て!!!重火器は流石に卑怯――」
運転手の必死の抗議と時を同じくして、轟音と共に砲弾が推進する音が響いた。
直後、運転手の足元から爆発が巻き起こり、土煙と炎、そして運転手が空中へと打ち上げられる。
「あガァっふぁぁあァァァアアァァ!!!」
運転手の断末魔が響き渡ると共に、爆風と砂塵が後方窓からタクシー車内へと流れ込んだ。
「ゴホッ、ゴホッ…」
「やったぞ!完全勝利だ!」
砂塵にむせ返るヨシヒコの横で、リカブは腕を振り上げて歓喜していた。
To Be Continued
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