魔法具専門店『コワンドリュー』
冬馬海良
街角の向こうには
「いらっしゃいませ」
扉を開くと、奥のレジカウンターで座っている白髪の男性店員さんが柔らかく迎え入れてくれた。
人と話すことが得意ではない私は初めて入る店でなんだかそわそわしてしまい、投げかけられた言葉になんとか会釈する。初対面の人にどういう態度を取っていいかも分からずすぐに目をそらしてしまう。もっと上手く返せればいいのにと、いつもの反省会。
挨拶とも言えるかも分からない私の挨拶を確認した店員さんは、自分の意識を手元へと戻した。二十代後半くらいの、美人な男性だ。こちらからは確認できないが、何か作業をしているようだ。店内BGMがゆったりとしたクラシックを奏で、沈黙を埋めている。ほっと胸を撫で下ろした。
ここは魔法具専門店『
店員さんの視線が外れたので改めて店内を見渡す。
茶色を貴重とした店内はそこまで広くない。
魔法の杖や、学校の授業で使用したことのある魔法用具、魔石など、学校から一番近くにある大きな魔法具店にもある馴染み深い形をした道具が並ぶが、それだけではなかった。魔石を宝石のように加工したアクセサリーや雑貨。魔法書も、新しいものから装飾や挿絵が特徴的な古書まで、国を問わずに雑多に取り揃えられている。壁には絵画だけでなく、ドライフラワーや植物の標本まで飾られていた。魔法薬学の授業で見たことのある植物があるため、物に魔法を付与する際に使用したものだと伺える。店主自らが魔法具を作製しているのだろうか。タロットカードは制作者の個性が出ている見たことのないイラストで、一枚一枚鑑賞できるようにディスプレイされていた。占いをするためのカードなのに、見ているだけで楽しい、美術品のようだった。
ふと小さな石のピアスが目にとまった。金色の金属の枠に五ミリ程の深緑色が収められているシンプルなデザインだ。スタンドに飾られ、留め具からぶら下がった石は見る角度によってキラリと輝き、控えめに、だが確かに存在感を放つ。
何の宝石だろうか。すぐ横にあるプレートには『あなただけのアクセサリー、お作りします』と手書きで書かれている。ここは本当に魔法具専門店なのか、本格的に疑問に思えてきた。
骨董品や雑貨の店と言われても違和感がない。本来の目的を忘れそうになるほど、輝かしい商品たちに目移りしてしまう。ものが多くてごちゃごちゃしているように見えるが、綺麗にディスプレイされた可愛らしいもの、キラキラしたものを見て心が躍った。
ガタリ。
ぱっと首を右に向ける。店員さんが立ち上がったときの椅子の音だったみたいだ。反射で顔を向けてしまい、彼と視線がぶつかった。
この狭い空間を思ったよりも長く楽しんでいたらしい。買うわけでもないのに長居するのは失礼だろうか。そろそろ当初の目的を果たさなければ。
店員さんは静かに微笑んだ。
今が、タイミングだ。咄嗟に私は言葉を紡ごうとする。しかし頭の中で散乱した思考を上手く拾えず、口からは空気しか出なかった。
心ばかり焦ってしまって、でも、何と伝えれば良いのか分からなくなる。そもそも店長さんがいるかどうかも分からない。
まず、それを聞いて、それから、
「ご覧になるだけで構わないのでゆっくりしていってくださいね」
穏やかで心地よい低音が耳に入り、優しげな目元が目に映り、その人の纏う空気がこの店のそのものだと感じた。「あの、」と、気付けば声を発していた。
「店長さん、ですか?」
「そうですよ」
やっぱり。
「学校帰りですか? お疲れ様です」
「は、はい、ありがとうございます」
近所の魔法学校の制服を着た私に言う。
実際に声を出すと数秒前まで緊張していたのか分からないほどあっけないものだった。軽くてゆるやかなやり取りはなんだか初対面の、ましてや客と店員の会話だと思えないほどのもので。
先生がここを紹介した理由が少し分かった気がした。
今なら、言えるかもしれない。そう思い言葉を続ける。
「店長さんに用があって」
「僕に?」
「あの、学校の先生に、ここに行ってみたらいいと勧められて」
「ああ。……天文学の先生でしょうか?」
「そうです……!」
なぜ『先生』だけで分かったのか疑問だったが、彼の母校が私の学校らしい。彼が学生だったときからお世話になっている先生なのだと教えてくれる。学校の話はそこそこに、彼の方から切り出される。
「教材用の魔法具の修理でしょうか? それともおすすめの紹介でしょうか?」
「あの、そうじゃないんですけど、あっ、そうかもしれないんですけど……。えっと、先生が、『街角の店長に話を聞いてもらいなさい』、と」
結局、先生の言葉をそのまま口にした。
魔法具屋の人に頼むようなことでもないし、見ず知らずの人にこれを頼むのもどうなのか。ただ、きっと、知らない人の方が話せることもあるのかもしれないと、そういうことなのかもしれないと思って扉を開けた。しかし、先生の目論見はそれだけではないみたいだ。店長さんはきょとんとした顔をして、それから目を細めて安心させるように微笑んだ。
「分かりました。ではお話しましょうか」
彼の長い前髪が揺れた。
*
商品の棚の前にいた私は、店長さんに促されレジカウンターの前にある木製の丸椅子に腰掛けていた。ちょっと待っててくださいねと一言言って立ち上がった彼は、レジのすぐ横にあったコーヒーメーカーでコーヒーを淹れている。お金はとらないらしい。お客さんにコーヒーを出して、飲み終わるまで雑談することはこの店ではいつものことなのだそうだ。
ホットコーヒーが出される。ミルクと砂糖は聞かれたが断った。二人分のコーヒーの用意が終わった店長さんは、またレジ奥の椅子に座る。私が座っている壁際に置かれていた椅子は、魔法具の手入れ待ちのときなどのお客さんの休憩用のものらしく、他のお客さんが会計しに来ても邪魔にならない位置にあった。それがカウンターを挟んだ店長さんと真正面にならずに、斜めに配置され程よく距離感があって心地良い。
「ただの私の悩みになってしまうんですけど」
店長さんは先程までしていた作業を中断し、工具を横に捌けている。こんなことのためにお仕事中の店長さんの手を止めさせていることに罪悪感を持ちながらも、ここまで来てしまったからには先生の言葉通りに話を聞いてもらうしかないと覚悟した。
「私、魔力の量が少なくて」
もう高等学校の最高学年だというのに、何も改善されなかったどうしようもない私の事情を口にする。
魔法を出すには、二つの要素が必要になる。一つは魔力。魔法の源で、これがなければ魔法を使うことはできない。もう一つは魔力を魔法に変換する能力。いくら魔力があっても効率よく魔法に変換できなければ効果は期待できない。
私はそのうちの前者が欠けていた。生まれつき平均よりも魔力量が少ない私は、実技課題で苦労してきた。強力な魔法を使うにはそれに伴った魔力が必要だ。学年が上がり、勉強のレベルが上がるにつれて周りとの差は顕著になっていく。練習しようにもすぐに魔力切れになるのだから練習にもならない。それならばと魔法に変換する能力を磨いた。ただでさえ少ない魔力を取りこぼすことなく魔法を出したい。しかし限界はある。いくら効率よく魔法に変換できても、魔力が少ないのであれば出せる魔法もたかが知れているのだ。
「今度、テストがあるんです」
「魔法コントロールのテストでしょうか? 進級テストの」
「そうです……!」
さすが、母校ということもあって学校のカリキュラムに詳しい。話が早くて助かる。彼は私の言いたいことはもうなんとなく分かっているようだが、それでも話を最後まで聞いてくれる姿勢を見せていた。
「学年末のその試験に合格しないと進級できません。よっぽどのことがない限り不合格になることはないと聞いていますが、やっぱり不安で、それで……」
落ちこぼれなりの悩みだ。
いくら練習では上手くいっているとはいえ、本番でしっかり実力を出せるかが心配なのだ。周りの目と、緊張と、不安。魔法を使うたびに、自分の中にある魔力を意識する。少ししかないそれを必死にかき集める。そこに魔力があるのか分からなくなる。魔法を出して、やっと安心する。良かった。私には魔力があったのだと、安堵する。
今までの課題やテストはなんとかなったが、今回は? 次は? その先は? 上手くできるだろうかというプレッシャーが常に圧し掛かる。この先も、この大きな不安を抱えながら生きていかなければならないのかと、自分のコンプレックスに目を向けて未来に絶望してしまう。こんな自分が、これを抱えたまま職に就くことはできるのだろうか。いつまで経っても自信はない。
自分の感情を口にして、なんだか泣きそうになってしまう。目に溜まった涙がこぼれ落ちないように、一旦話を止める。店長さんに悟られないようにコーヒーを飲む。飲むふりをする。ああ、嫌だ。泣きたくないのに、勝手に泣いてしまう自分が嫌だ。
一瞬の静寂。そして、店長さんは指を顎にかけて「なるほど」と呟いた。私は顔に触れるふりをしてさりげなく涙をぬぐった。
「……魔力はある。間違いなくあるのに、不安になる」
彼は聞こえるか聞こえないかくらいの声量で呟いた。私に向けた言葉ではないようだ。思わず「え?」と聞き返す。
「よし」
彼は呟いて立ち上がった。
「えーと、どこに置いたかな」
彼は机の作業場を探し出した。探し物が見当たらなかったようで、机や後ろの棚の引き出しを順番に開けていく。すぐに「あ、あった」という声が聞こえた。
「お待たせしました」
レジカウンターに戻ってきた彼の手には小さな麻袋があった。
お金の受け皿の上で袋をひっくり返すと、ざらざらと小さな石がたくさん出てきた。よく見てみようと私は立ち上がり、カウンターの前まで行く。無色透明な石は、店の照明に反射してキラキラと輝いた。形、大きさは不揃い。どれも一センチ満たないサイズだ。
「魔石、ですか?」
呟いた私に、店長さんは「正解」と言う。
しかし、ここまで透明な魔石は初めて見た。石と言うよりガラスと言った方が納得するかもしれない。
まじまじと見ていると、店長さんは中でも一番大きな魔石をつまみ上げ、私の目の前に置いた。
「それに君の魔力を流してごらん」
「は、はい」
魔石に魔力を込めることは魔法を使うことよりも簡単だ。私でもさすがに簡単にこなせる。私はカウンターに置かれた石に指を添える。
魔力を流すと、無色透明だった石は薄紫色に染まった。
はっと、息を飲んだ。思わず手を引っ込める。宝石のように輝いたその石から、その色から目が離せなかった。
それは紛れもなく『私』の色だった。
店長さんが話し出す。
「魔石は魔法具の中でもとてもシンプルで原始的なものだ。様々な効果を発揮するものだが、使い方は大きく分けて二つ。分かるね?」
学校の授業が始まったようだった。勉強を教えるように、私の知識を確かめるように答えを聞いてきた。
「は、はい。一つは石に特定の効果を付与させて必要なときに使います。例えば治癒や耐性の効果。もう一つは自分自身の魔力を溜めておく使い方です。あらかじめ用意しておなければいけませんが、魔力が足りない場面で役立ちます。……合ってます?」
「その通り。魔法を込めるか、魔力を込めるか。それがこの二つの違いだ。よく勉強しているね」
しっかり答えられたようで安心する。学校で習った初歩的な知識だが、褒められて嬉しくなった。
「この魔石は僕が作ったんだ」
「人工魔石ってことですか?」
改めて目の前の魔石を見つめる。透明な石たちと、目の前にある薄紫色の石。これだけ不純物のない透き通った石は確かに本物ではなさそうだ。
人工魔石は珍しいものではない。本物の魔石は安いものではないので、人工魔石を持っている学生は多い。本物の方が魔法や魔力を溜めやすいということはあるが、人工でも十分なのだ。私が持っている魔石も人工だ。
店長さんは説明を続ける。
「この石はあまり魔法への耐性がない。どちらかといえば、二つ目の目的のためのものと言える。でも、大量の魔力を溜めることはできない」
「じゃあ、何のために作ったんですか?」
店長さんは受け皿から何色にも染まっていない魔石を手に取る。私は彼の動きを見ていた。店長さんは自分の指先にある魔石を見つめ、目を細める。私も彼の指先に集中する。
店長さんの手にある石は、深緑色に染まった。
「この魔石は、自分の魔力がよく視えるように作ったんだ」
「自分の、魔力……」
彼は小さく頷いた。
「魔力は人によって違う。似ていてもどこか違うし、そもそも持っている本人にしか魔力の感覚は分からない。自分でも自分の魔力が、自分の魔法が、分からなくなる。不思議だよ、自分の魔力は自分が一番分かっているはずなのに」
私は再び自分の魔石を見た。彼の魔石とは違う色だ。自分の中にある魔力が、視覚化されて留まっている。魔法は一瞬で消えてしまうので、まじまじと見たことがなかったかもしれない。
「僕も魔力は多くない方です。近く優秀な魔法使いもいたから、より一層そう感じてしまうことが多かったのかもしれない。でも、体質もあるのだから仕方ないんですよね。訓練すれば多少なりとも増えることもありますが、一朝一夕でなんとかなる問題でもない」
努力したところですぐに魔力が増えるなんてことはあり得ない。地道にやっていくしかない。しかし、実感が湧く前にくじけてしまうかもしれない。
「だから、これを作ろうと思えた。自分の魔力が一番視えるこの魔石を。どんなに少なくても、ちゃんと自分の中にはこれが存在している。ずっとあるんだ」
薄紫色。私の魔力。私だけの魔法。
今、私がこの色に染めたんだ。見えていなかっただけで、ずっと、私の中にあった。ただ、それだけのこと。しかし、それだけのことを実感して、さっきとは違う涙が出そうになった。目に溜まるそれを今度は隠さなかった。
「魔法コントロールの試験のことですけど、一つ助言をしましょう」
店長さんは手を後ろに組んで私を見つめる。
「助言、くれるんですか?」
「もちろんです」
同じく魔力が少ないと言う彼も、学生時代には同じテストを通ったのだ。これほど心強い助言はないだろう。私は彼の言葉に集中する。
「その試験ではあくまで、『補助なしで魔法をコントロールする手段』を学ぶことです。つまりコントロールするための道具を使わなければ、他の道具は使ってもいいんですよ」
魔力を貯蓄する魔石はお持ちですか?
そう問われ、こくりと首を縦に振った。
もちろん、持っている。
「試験、頑張ってくださいね」
*
「そういえば、この店ってなんで『街角』なんですか?」
数日前、お話をした同じ席で私は店長さんに質問した。この店に入る前からの疑問だった。
結局、あの日は何も購入せずに店を後にした。言葉通り、話を聞いてもらっただけだった。否、それ以上のものをもらった。今日はあの日から二度目の来店だった。
試験は合格だった。
事前に実技の先生に、魔石の使用を申請して許可を得てから臨んだ。それでも杖無しで魔法を出すことは難しく、ぎりぎり及第点であったが。なにはともあれ、長年の悩みが解決した、とまではいかなくても軽くなったことは、私にとっては合格以上の価値だった。
「君は……そうだね、例えば店を出て左側の、街角の向こうには何があると思います?」
店長さんはレジカウンターの奥の椅子に座り作業をしながら、私の問いに質問で返す。しかし嫌な気にはならない。彼は依然としてこちらに目を向けず、手元の作業を止めない。私はコーヒーから口を離す。
「店を出て二軒目の花屋が角で、大通りに出ます。その花屋を左に曲がると郵便屋、本屋、えーと、雑貨屋だったかな? の順番で並んでたかと……」
「なんでそう思ったんです?」
「えっと、通ったことがあるから……?」
「その道を通ったことがあって、覚えていた。つまり、君の経験に基づいていて、記憶にとして存在していたから。今、君は実際に街角の向こう側が見えているわけではないのに、答えられたのはそういうことです」
「あ……、確かに、そうかもしれないです」
「君が想像しているだけで、今見えていない街角の向こうには郵便屋はないかもしれないし、君は挙げなかったが、人がいるかもしれないでしょう?」
「あ!」
確かに、「何の店があるか」を聞かれたわけではなかった。今この瞬間に、人がいるかもしれないし車が通っているかもしれない。その可能性を頭から外していた。
「君が想像しているだけで、君には想像できなかった何かがそこにはあるかもしれない。気付いていないだけで、知らないだけで、近くには何かがあるのかもしれない。一歩先の街角の向こうに、誰かがいるかもしれない。そんな気付きを大事にしたいんだ。君の魔力のようにね」
街角にない、街角の魔法具店。店名の真相と、そこに込められた店長さんの想い。それを身を持って知った私は笑顔で「……はい!」と頷いた。
「さて、頼まれていたものが完成しましたよ」
店長さんの口調がお客さんを相手にするものに戻り立ち上がる。私も慌てて立ち上がりカウンターに近づいた。
小さな木製のトレーにはイヤリングが置かれていた。薄紫色の小さな石がはめ込まれている。
「わあ、ありがとうございます!」
私は料金を支払う。
私の魔力を込めた魔石でイヤリングを作ってもらったのだ。『あなただけのアクセサリー、お作りします』と書かれたプレートの意味も前回分かった。自分の体内に常に流れているはずの魔力の存在を確かめられるのは嬉しいものだった。
店長さんの手からイヤリングを受け取った私は、晴れてこのお店のお客さんになった。
「ありがとうございました」
彼の声を背中に受けて、もう一度振り返り私も「ありがとうございます」と言う。店から外へ踏み出す。
耳元の紫色が風に揺れた。
魔法具専門店『コワンドリュー』 冬馬海良 @kaira_touma
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