第2話 錫のスプーン
僕の家族はみんなこのイリリア共和国の軍人だ。父も二人の兄たちも、亡くなった祖父もそうだった。
この国の東にある大国、ノルト連邦とイリリアとの間にはこの数十年間にいくつかの地域の帰属をめぐる戦争があった。僕の祖父はノルトとの先の戦争で大きな軍功を立て少将で退役した。3年前の祖父の葬儀は盛大なもので、僕は良く知らなかったが当時の副首相をはじめとして政府の人が何人も出席してくれたとのことだ。父も先ごろ中佐で退役し、今では年の離れた上の二人の兄が職業軍人として勤務している。母も数年前に亡くなって、この家は男ばかりの家族だ。
あたりまえのように、僕も軍人になるべく育てられた。だが、僕はあのアンデルセンの錫のスプーンのセットを溶かして作られたが、最後の一体になって材料が足りなくなって片足になった「錫の兵隊」の話と同じように、軍人の型に鋳られるとき材料が少し足りなくなってしまったのではないかと思うのだ。それはきっと、兄たちとは腹違いの僕の生まれのせいなのだ。
父よりも10歳も歳下の母は線が細い華奢な感じのひとで、母の体質を引き継いだ僕も虚弱で華奢な体つきに色が白く、うんと髪を短く刈っていたにもかかわらずよく女の子と間違えられたものだった。それで父や兄からは「もっとしっかりしろ」「もっとたくさん食べて大きくなれ」と言われ続けてきた。例えば時々僕が苦手で食べられない堅い肉のシチューが夕食に出ると、僕にそれを詰め込むために、兄たちは突撃ラッパの口真似をして、僕はその間に忙しくスプーンを動かして皿を空にしなければならなかった。食事はいつも苦行のようなものだった。美味しい、楽しいというより、かさばる異物を急いで胃のなかに詰め込む辛い作業が毎日の食事だったのだ。しかしそんなものも兄たちなりの僕への愛情だったのだろう。
ある日、兄たちとがらくたが随分溜まっていた屋根裏部屋の片付けをした時のことだ。僕は屋根裏の奥の方で埃を被ったアルバムを見つけた。片付けようとしてそれを何気なくめくってみると、懐かしい母の顔が見えた。引き込まれるようにページをめくると、白いレースの襟の付いたドレスを着て、リボン付きの大きな帽子をかぶった長い髪の女児の写真が何枚もあった。あどけないながらも母に似た繊細な顔立ちの可愛らしいその子は、母に手を引かれたり膝の上に抱えられたりしてもカメラに視線を合わせることなく、母の顔を見ているか、恥ずかしそうにどこかよその方を見ていた。一体これは誰なんだろう。僕はアルバムを手に居間へ降りて、ちょうどそこにいた父に聞いてみた。
「ねえ、父さん。この子は誰? 」
すると父は眉間に皺を寄せて不機嫌そうに、唸るように答えたのだった。
「それはお前だ。」
父は僕の手からアルバムを取り上げると、ゴミ箱に放り込んだ。
外国生まれの母親は故国の「小さいころの男児は女児の恰好で育てる」という習慣を持ち込み、軍人一家の厳格な父はそれをひどく嫌っていたらしいのだ。そう言えば、次兄は時たま僕のことを、ふざけて「うちのお嬢ちゃん」と呼ぶのだ。
ふと、僕の5歳の誕生日の記憶がよみがえってきた。
その日はいつものように家族でテーブルを囲んで楽しいお祝いがあるものと思っていた。だが、僕はその朝早くノックの音で目を覚ましたのだった。ドアを開けたのは父だった。
父は僕を居間に連れて行くと、短く命令するように言った。
「ここへ立て。」
居間の真ん中にカーキ色のゴワゴワした布が広がっていた。
「気を付け!」
父が号令する声が部屋に響いた。
そこへ僕が立っと、父は何も言わずに大きなハサミで僕の長い髪を切り始めた。
僕は思わず両手で頭を庇って、言った。
「やめてよ!」
しかし、父は僕の手を押さえ付けてもう一度気を付けの姿勢に立たせると、髪を切り続けた。長い巻き毛の房がカーキ色の布に散らばった。仕上げに父はバリカンを取り出すと、残った髪を刈り上げた。
僕は涙を流しながら、されるがままになっていた。
それはまるで自分の一部が永久に切断されてしまったようだった。
終わると、父は短く、
「よし。」
と言って、部屋の隅に畳んで置かれた服を指さした。
「あれを着ろ。」
僕は着ていたお気に入りの寝巻を脱いだ。それは白い柔らかな布地で出来ていて、長い裾に可愛い刺繍が入った母のお手製だった。それを初めて着た時には、母は「可愛い」と言って僕の頭を撫でてくれたものだった。父は切った髪と一緒にカーキ色の布に寝巻を包むと、台所の方に去った。父さんはああして今までの僕をぜんぶまとめて捨てちゃうんだ、と僕は思った。
それは軍服のように脇にストライプの入ったズボンと、肩章やポケットがたくさんついた上着だった。
「いいだろう。これからはいつも、それを着ろ。」
父が言った。
僕は鏡の前に立ってみた。
泣き顔の小さな兵隊が、僕を見返していた。
僕の五歳の誕生会は、それで終わりだった。
その後一月、僕はほとんどどんな言葉も発しなかった。
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