Angelblood

悠蛹

序章

 数十年前、翼を持つ無垢なる存在が門と呼ばれる光の穴を通って落ちてくるようになった。

 人々は彼らを天使と呼び、人間と天使は一時、共存していた。

 天使は人間との外観的な違いは少ないが、その背中には白い翼が生えている。

 彼らは歳を取らず、出現したまま老いることはない。


***


 ある時、天使が怪我を負い血を流し、そばにいた人間が止血した。

 人間は止血に使用した布に抗えぬ渇望を覚え、その布を顔に近づける。


 天使の血――

 摂取することで、若さを保ち、あらゆる怪我を治癒し、寿命を伸ばすことすら可能とする。

 しかし、同時に人間の内面の欲や醜さを表出させる中毒性を持つ液体だった。


 天使が人間に支配されるまで、時間は掛からなかった。

 天使は奴隷となり、貴族の富の象徴、血を搾取するための家畜やワイン樽のように扱われた。

 

 天使は狩られ、消費される存在となった。


***


 辺境の村近くにある森――

 人の音は聞こえず、木々や動物の生きる音のみが響く。

 木々の隙間から光が漏れ、白い花々に反射して森を照らす。

 空気は神聖さと不気味さを孕み、村の子供たちも普段は近づかない。

 少年、デプラだけはここを遊び場にしている。


 彼はよくこの森で過ごす。

 片親で貧しい家庭のデプラにとって、村で友達を見つけるのは簡単ではない。

 自然と、人の寄りつかない森が彼の遊び場になった。

 デプラは石や木の枝など、地面に落ちる手頃なものを見つけては拾い集め、木々の奥、遠くに見える木の洞を狙って投げる。

 集中すると、手に握る礫の感触と森の静寂だけが感じられる。その間、デプラは森に溶け込み、孤独を忘れる。

 的に礫が当たると、デプラは再び森と引き離される。


***


 デプラの背後で、空気が震えた。

 振り返ると、花畑の中央、デプラの目線より少し高い位置で空間が『裂けて』いる。

 裂け目は光を帯びており、奥はまるで別世界に繋がっているように異質だ。

 デプラがおそるおそる近づくと、裂け目から人の姿が現れる。

 その姿は少女のようで、デプラよりも少し年上だろうか、短く白い髪、左右の耳の上あたりで髪の一部が外に跳ねている。

 気を失っている少女は、脱力したまま裂け目から倒れ落ちる。


〈…!〉

 デプラは反射的に駆け出し、落ちてきた少女を受け止める。

 周囲に白い花弁が舞う。

 少女は何も纏っておらず、その背中には白い翼が生えていた。


 少女は閉じていた目をゆっくりと開ける。

 デプラの視線は彼女の瞳の中にある青に吸い込まれた。

「…君は?」


 デプラの問いに、少女は口を開く。

「…ファルム」


 森は静まり返り、彼女の声とその青い瞳の視線だけがデプラに届いた。


 少女は不思議そうに周囲を見渡している。


〈このまま森に放っておくわけにもいかない〉

 デプラは彼女に自分の上着を着せ、家へと連れ帰る。


 デプラは天使を知らなかった。

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