最終話 カニと親愛なる世界
賢者の石。
それはゴーゴンの秘宝。
異種生物同士の肉体融合に必須の物質。
その適応には高度な外科的処置および適合調整が必要となる。
ましてや、既存怪人から別の怪人への賢者の石の移植など、言語道断。
即座の死亡か、あるいは暴走後の死亡か。
いずれにせよ、強化・適合などありえない。
カニ怪人の復活はまさに奇跡だったのである。
「なんだこれ!熱い!!何が起きてる!!」
谷原が叫ぶ。
その甲殻がひび割れ、内側から肉が盛り上がる。
すでに賢者の石は、膨れ上がった肉に埋もれて、見えなくなっていた。
「……そうか!賢者の石!蟹江お前、僕に!!自分の石を!!」
—―二種怪人の賢者の石同士の接続による強化実験はこれまで数百行ったが、術後3時間生存確率が5%、24時間生存確率はゼロ%じゃ——
コウモリ怪人の講義が正しいなら、これで谷原は死ぬ。
これで、すべての怪人が消える。
俺たちの、勝ちだ。
「舐めるなよ!僕は『完成品』だ!下等な試作品のお前にできたことが、僕にできないとでも!?
適合してやる、適合して、適合、適合―――~~~~~~ッッッ」
どう見ても、無理だ。
甲殻類ベースのはずのお前が、今やただの肉の塊じゃないか。
「あ、あ、あ——消える、僕が、消える……―—
この僕が、優秀な、優秀なはず、はずなのに、なのに……――
……足りなかった……ごめん……かあさん……――」
それが谷原の最期の言葉だった。
肉塊。それが今の谷原。
肉塊が動く。泡になって消えない。
まさか、3時間……いや24時間動くのか。
何に突き動かされているのか。本能か、意思か。それすら窺い知れない。
もぞもぞと動いて、どこかへ向かう。
まずい。その先にはトニーとレイヴン副団長が倒れている。
だが、俺は動けない。すべての力を使い果たしたようだ。
歩脚一本さえ、ぴくりとも動かない。
そのとき。
タキがゆらりと、立ち上がった。
満身創痍。うつろな目。
意識がないように見える。でも立っている。
無言のまま、剣を構える。
その目は肉塊を見てはいない。
ただ、邪悪の気配を肌で感じ取って、気迫だけで立っている。
タキの目が、カッと開いた。
大上段の一撃。
技術もへったくれもない。
ただ剣を振っただけに近い、一撃。
されど残る全霊を込めた、一撃。
その一刀で肉塊は真っ二つに断たれ、動きを止めて
痙攣がタキを弾き飛ばし、タキが俺のそばに倒れこむ。
俺はそれを、抱きとめてやることもできなかった。
一瞬後。
肉塊は空気に触れている部分から泡に変わっていき……——やがて、消えた。
第三騎士団の、勝利だった。
「か……カニ……大丈夫、か……?」
倒れこむ俺の顔を、タキが覗き込む。
自分だって限界だろうに、俺の心配をする。それが、たまらなく嬉しかった。
泡が見える。
俺の体から、泡が出ている。
「再生の、泡……?」
タキが呟く。
だがその泡は、甲殻を修復することなく、消えていく。
タキが目を見開く。
「あ、ああ……あああああ!!ダメだ!ダメだカニ!!」
俺の体が、泡になって消えていく。
タキの泣き叫ぶ声が、遠く聞こえる。
……――いいんだ。これでいい。
タキ。トニー。レイヴン副団長。クレインさん。ビル。ガルド。ミリア。第三騎士団のみんな。
……どうか幸せに。
タキが弾かれたように動き出す。
地面を這って、何かを探している。
谷原の肉塊が消えた場所。
タキはそこで、赤く輝く石を拾い上げた。
――賢者の石。
ああ、タキ!ダメだ。
谷原の最期を見ただろう。
俺がもし同じように暴走したら。
第三騎士団には、もうそれを止める余力はない。
タキの顔。美しいその顔に、焦りと不安、逡巡が浮かぶ。
タキは理解している。それがどんなに危険なことか。
第三騎士団の、最悪、全人類の。
命と引き換えの選択になるかもしれないのだ。
俺は消える。それでいいんだ。
それが、この世界の自然なんだ。
タキの、覚悟を
気づけば俺は、医務室のベッドに寝かされていた。
藁ではなく、ベッドに、だ。
「気づいたか、カニ」
隣のベッドに寝ているタキが、俺に声をかけてくれる。
手足が、ある。
指が、ある。
薄橙の肌が、ある。
俺は、人間の姿に戻っていた。
「タキ……俺は……?」
「イチかバチか、ヤツの賢者の石をお前の腹に押し込んだ」
事も無げに言い放つ。
それがどんなに危険なことか、理解しているだろうに。
「そうしたらお前が人間の姿になってな。
……やはり地味だな。その姿のお前は。
危うく見過ごされて、医務室に来られないところだ」
ひどいこと言うね!?
「だがその姿も……カニ、お前なんだな」
タキの笑顔が、ひどく眩しかった。
タキは、思いのほか軽傷だった。いや、回復力が凄いのか。
数日で歩けるくらいになっていた。
レイヴン副団長は、しばらく入院。
命に別状はないし、後遺症も残らない見込みだ。
クレインさんが、甲斐甲斐しく世話を焼いていた。
一方のトニー。
トニーは内臓をひどく損傷して、もう以前のようには動けないらしい。
副団長は引退して、第三騎士団の事務方に回るつもりのようだ。
本人は別に気にしてないみたいに、新しい仕事について語っていた。
数日後。夜。
なんとか歩けるまでに回復した俺は、リュウガ森の前に立っていた。
タキやみんなには、内緒でだ。
今の俺は、人間の姿。
もう、カニ怪人の姿にはなれないみたいだった。
森に向けて、ポーチについた
「リュウガ・ウェルナ・エルナ。
……――約束を、果たしに参りました」
森の神、リュウガ・ウェルナ・エルナとの約束。
俺はすべての怪人を倒した後、その
俺や他の怪人のような、世界にとっての異物が存在する、それだけで、世界が歪み、人間の鬼化のような悲劇が起こる。
だから俺は、この死に納得していた。
……そういえば、鬼と怪人の関係について、打ち明ける機会がなかったな。
まあ、打ち明けたら、森に行くのを止められてしまうかもしれない。だから、仕方ないけど。
気づくと俺は、夜の森ではなく、明るく晴れた草原に立っていた。
リュウガ・ウェルナ・エルナの、精神空間。
リュウガ・ウェルナ・エルナはもはや、俺の母の姿をしていなかった。
光に包まれた、一抱えくらいの大きさの、何かのタマゴのように見えた。
「……ありがとう、
最後の
俺が倒したのではない。第三騎士団が倒した。
そして残る異物が、俺だ。
「あなたはもう、約束を果たしました」
…………何だって?
「あのとき。最後の戦いであなたは死んだ……。
そのときあなたの
谷原との戦い。俺の体が泡になってほとんど消えた。
あのときに、俺は死んだ……?
なら、今ここにいる俺は?
「今あなたが生きているとすれば、それは新たな流れ……
この世界に生きる
涙が溢れる。
タキ。タキが俺を、この世界に組み込んでくれた。
俺に、居場所を作ってくれた。
「今なら、あなたに選ばせてあげられます」
何をだ。
「この世界に留まるか……
元の世界に帰るか……」
衝撃。
物理的なそれではない。
まさか、元の世界に帰れるなんて。
俺の脳裏にいくつもの顔が浮かぶ。
母の顔。父の顔。姉の顔。元の世界に残してきた友人たち。
……トニー。レイヴン副団長。ビル。クレインさん。ガルド。ミリア。第三騎士団のみんな。
………………ヴェルグ副団長………。
そして………タキ。
「どうやら、答えは決まったようですね」
はい。リュウガ・ウェルナ・エルナ。
「ならば、早く戻りなさい。
この世界の
その言葉とともに、景色が変わる。
夜の森。
後ろから、柔らかな衝撃。
「だめだ、カニ!行くな!!行くなぁ!!」
泣きじゃくるタキが、俺に飛びついてきていた。
みんな、来ていたのか。
……そして、見えていたのか。
「カニくんさぁ、こんな重要なことを報告もナシに一人で決めて、いいと思ってるのかなァ!?」
レイヴン副団長の嫌味。
「まあまあ、結局帰ってきたんだから、許してやろうぜ」
トニーのフォロー。
「レイヴン様は、これでも喜んでおられるのです」
クレインさんの補足。レイヴン副団長が顔を真っ赤にして否定する。
「カニキぃ、おかえりなさい!なんすか今の光ってるの?」
ビルはあんまり状況わかってなさそうだね。
ありがとう、皆。
俺はもう、迷わないよ。
「俺は、第三騎士団の、カニだ!」
俺の言葉に、みんなが暖かく笑った。
ある日。ある時。リュウガ森前。
「さあカニ。今日は森でのゴブリン討伐だ。張り切っていくぞ」
タキの言葉。
わかってるよ。
……そうそう、リュウガ・ウェルナ・エルナはあのとき、もう一つ、俺に祝福をくれたんだ。
俺はポーチにつけた
すると俺の腹、賢者の石のある辺りを中心に、ベルトが形成される。
ベルトのバックル部分には、赤く輝く穴が空いている。
俺はその穴に、
「変身!」
カニ怪人・
彼を改造したゴーゴンは世界征服を企む悪の秘密結社である。
それはそれとして、カニ怪人はこの世界で、人間の自由と平和のために、これからも、きっとずっと、第三騎士団とともに戦うのだ。
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