未来視ゲーム ── 感情が消えたクラスで

心野こよみ

第1話 未来が消えた日

朝の通学路で、私はふと足を止めた。


いつもなら、通り過ぎる人の未来の感情が

小さな光になって視界の端を流れていく。

喜びは金色、怒りは赤、悲しみは青──。


けれど今日は違った。


私のクラスの三十人全員の未来が、《無》だった。


色も、形も、揺らぎもない。


まるで“これから先が存在しない”みたいに。


心臓がひとつ大きく跳ねる。

私は走り出した。


確かめなきゃいけない。


あの教室で、いま何が起きているのか。


視界の奥がじん、と痛んだ。

 未来が見えない、なんてことは一度もなかった。

 怒りでも、悲しみでも、ほんのわずかでも“色”がある。

 なのに──今日は何もない。


 私は胸の鼓動を押さえるようにして歩き出した。

 靴音がひどく大きく聞こえる。

 世界から音が消えたみたいに、自分の足音だけが残った。


 校門をくぐると、いつもと同じざわめきがあった。

 笑い声。友だち同士の呼びかけ。

 聞こえるのに、どこか遠い。

 まるで薄い膜の向こう側にいるみたいだった。


 教室の前で一度立ち止まる。

 深呼吸。

 ドアに手をかけた瞬間、また視界が揺れた。


 ──《無》。

 教室の中にいる全員の未来が、黒い空白として視えた。


 私はそっとドアを開けた。


 教室は騒がしくも、どこか張りつめていた。

 ちょっとした冗談に笑っている子たちも、

 スマホをのぞき込む子も、

 いつも通りなのに、空気だけが硬い。


 そして、ひとりだけ。


 ノイズが走る。


 まるでテレビの砂嵐が一瞬だけ映るような白い閃き。

 それを放っているのは、窓際に座る男子──槙野灯真。


 彼の未来だけは《無》じゃない。

 かといって“色”があるわけでもない。

 一瞬だけ光り、すぐにかき消える。

 形の定まらない、不安定な揺らぎ。


 私は息を飲んだ。


 灯真は机に頬杖をついて、窓の外をぼんやり眺めている。

 誰とも話さない。

 話しかけられてもいない。

 まるでそこだけ、別の時間が流れているようだった。


 私は席に向かう途中で、そっと灯真を横目に見る。

 その瞬間、また視界がざらついた。


 ──ノイズ。


 今度はさっきよりはっきり。

 まるで「やめろ」と警告するみたいに。


 私は思わず目をそらした。

 けれど、胸の奥のざわつきはおさまらない。


 未来が《無》になる理由は分からない。

 けれど、たったひとつだけ確かだ。


 この教室は、もう普通じゃない。

 何かが静かに壊れはじめている。


席に着いても、胸のざわつきは消えなかった。

 まっさらな《無》が、クラス全員の未来を覆っている。

 いつも視えるはずの光が、今日はどこにもない。


 ……ただひとりを除いて。


 私は灯真を見ないようにしながら、

 見てしまう自分を止められなかった。


 彼の未来には、かすかなノイズが走る。

 白い砂嵐のような、かき消える光。


 その揺らぎは、教室のどの色とも違った。

 温度のない未来の中で、そこだけが息をしているみたいだった。


 チャイムが鳴る。

 教室が一瞬だけ静まり返る。


 そのとき──。


 「……見えるんだろ、君には」


 背中の方から低い声がして、私は硬直した。

 振り向くまでもなく分かった。

 灯真だ。


 喉がつまって、声が出ない。


 灯真はゆっくりと顔を上げ、

 窓の外の光を背負いながら、こちらをまっすぐに見た。


 未来にノイズを走らせる、唯一の存在。


 もう一度、言葉が落ちてくる。


 「みんなの“未来の色”、今日は……消えてるんだよな?」


 頭の奥がしんと冷えた。

 どうして知っているの。

 どうして、私の視えるものを分かるの。


 灯真のまなざしは、未来よりも深く、

 何かを確かめようとしていた。


 私は気づく。


 私だけが“視ていた”んじゃない。

 この《無》の始まりを知っているのは──私だけじゃない。


 第1話 終

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