2話:奪われた幸運と負わされる不運
リナは一命を取り留めたものの、いまだ意識不明の重体だった。彼女の命は繋がれていたが、懸命な治療が続けられても、医師の表情は硬いままだった。
私は毎日、学校が終わるとすぐ病院へ向かった。病室のベッドで静かに眠るリナの顔を見るたび、あの事故の瞬間と、ヤツメの不気味な天秤の話が頭から離れなかった。
自分の幸運を分け与えたことで、リナは助かった。だが、その代償として、自分にはどんな不運が降りかかるのだろうかという不安も、常に胸の中にあった。
数日後、私は『運』というものの正体が知りたくてたまらず、駅前にある妙に派手な「開運グッズ」のチェーン店が気になり、まるで何かに導かれるように店内へ吸い込まれた。
店内には、煌びやかな水晶や、光沢のある招き猫などが並べられており、若い女性の店員が数人、客に商品の説明をしていた。
「いらっしゃい、お嬢ちゃん」
店の奥のカーテンが開き、声と共に現れたのは、他の店員たちとは一線を画す異様な雰囲気を持つ、あの時と同じ、不敵な笑みを浮かべた老婆だった。
「お婆さん! なんでここに……」
「驚いたかの? わしはここの経営者じゃよ。世の中には、運を手に入れたい人間が溢れておるからな」ヤツメは、派手な水晶を指先で弾きながら言った。
「そうじゃ、改めて名乗っておこう。わしは『三界のヤツメ』。運を視て、操る者じゃ」
私はリナの容態について、意識が戻らない現状を必死に話した。すると、ヤツメは真剣な顔になった。
「あの事故の時、リナという娘の天秤は極端だった。幸運がほとんどなく、不運が大量で、大きく不運に傾いていた。だが、わしがお嬢ちゃんから分け与えた運で、運命の均衡は取り戻せたはずじゃ。なのにまだ昏睡状態というのは……通常ではありえん」
ヤツメは少し考えて、鋭い目つきになった。
「それに、あの娘の天秤、あれほどの極端な不運の量は通常じゃありえん。『幸運』を奪われ、『不運』を大量に押し付けられておる。恐らく、いや、確実にわしと同じような『運を操る者』がやったんじゃよ」
私の背筋が凍った。あの事故は、ただの不幸な偶然ではなかった。ヤツメさんのような、常識を超えた能力を持った者がいる。しかも、人を不幸にして、何も思わない恐ろしい運を操る者が。
リナから幸運を奪い、不運を押し付けた者がいる。その悪意が原因で幸運が奪われ、代わりに押し付けられた不運が、今もリナの意識を奪い、回復を阻んでいるのだ。
その時ふと、もう一つの疑問があったのを思い出した。
「あの……私の幸運をリナに渡して、その代償に不運をもらったことで、私はこれからどうなるの?」
ヤツメは相変わらず、薄気味の悪い笑みを顔に貼り付けたまま、手元の小枝で地面を叩いた。
「お前さんは稀に見る幸運体質じゃから、何も起こらんじゃろう」
「何もって、そんなはずは……」 私は反論しようとしたが、彼女はさらに言葉を重ねた。
「あの不運は、リナの命を奪おうとした悪意の残滓じゃ。それがお前さんの体に入ったところで、お前さんの強すぎる幸運の前では、池の中に落ちた一粒の砂のようなもんじゃよ」
「つまり、影響はない、と?」 私は確認したが、彼女の説明は逆に不安を煽った。
「影響がないわけではないが、お前さんが気づかん程度のものじゃ。あるいは、幸運なアクシデントとして処理されてしまうかもしれんのう。ま、せいぜい傘を忘れた日に通り雨に遭うくらいの、可愛い不運じゃ」
ヤツメはそれ以上、何も語ろうとはしなかった。
彼女の飄々とした態度は、私の不安を解消するには至らない。
私は彼の店を後にし、重い足取りで雑踏の中へ踏み出した。周囲の賑わいとは裏腹に、心臓の奥底だけが冷たく沈んでいた。
その日以来、私はリナのことが頭から離れなかった。ヤツメの言葉にもかかわらず、答えの見えない不安を抱えたまま、私はいつもの公園のベンチで一人ぼんやりと時間を過ごしていた。
すると、砂場の隅に、座ってジッとしている幼い男の子がいた。周りを見ても親らしき人はおらず、心配になり、つい声をかける。
「どうしたの、一人で?」
「ぼくのこと? うん、新しいお父さんが来るまで待ってるの」
新しい? 私は疑問に思いつつ、「お母さんは?」と聞いた。
「ううん。もうママもパパもいないの。だから、新しいお父さんが迎えに来るのを待ってるんだ」
男の子はそう言って、また黙って砂場の砂を見つめてる。彼の声は淡々としていて、その事実に慣れているようだった。
「じゃあ、少しの間だけど、お姉ちゃんと遊ぶ?」
「うん!」男の子は顔を上げ、少しだけ嬉しそうな表情を見せた。
「じゃあ、お姉ちゃんの名前はユキ。あなたの名前は?」
「ぼくはハル!」
私はその子、ハル君と少しだけ砂遊びをした。彼が発する純粋な笑顔は、リナの不運と、その裏に潜む悪意を考える私の心をわずかに和ませてくれた。
やがて、夕暮れを告げるチャイムが公園に響き渡った。茜色に染まる空の下、私は砂を払って立ち上がった。
「もう暗くなるから、私も行くね」
私がそう言うと、ハル君は作りかけの砂山を見つめたまま、小さく頷いた。
「うん。……僕も、もうすぐ迎えが来るから」
その言葉には、子どもらしい期待よりも、どこか諦めや、重い義務感のような響きが含まれている気がした。
「じゃあね、ハル君。気をつけて待ってるんだよ」
「バイバイ、お姉ちゃん」
彼は砂だらけの手を控えめに振り返した。一人ぼっちでベンチに戻り、再びじっと何かを待ち始める彼の小さな背中が、夕闇の中でひどく頼りなく見えた。
私は何度も振り返りながら公園を後にした。
胸の奥に、リナの件とはまた違う、説明のつかないざらりとした小さな棘が刺さったような気がした。
なぜ、こんな幼い子がこんな運命を背負うのか。
やはり、運は平等じゃないし、自分一人の力ではどうすることもできない、と、改めて世界の理不尽さに絶望するのだった。
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