say that you Love me ~晃哉の視点~
いろは
第1話
いつもと変わらない金曜日だった。
sugar には常連たちが集まって、空気はゆるく流れている。
R&B がかかっていて、低音が胸の奥に心地よく響く。
この街に来たばかりの自分にとって、唯一落ち着く場所。
ふとブースから客席に目をやると、グラスを持って音に浸っている女の子がいた。
名前はまだ知らなかったけど、前にも何度か見かけている。
目を閉じて曲の一拍一拍を受け取るようなあの感じが、印象に残っていた。
レコードを替えて顔を上げたとき、視線がぶつかった。
思わずグラスを軽く持ち上げる。
サングラス越しでも、彼女の目が驚いたように揺れて、それから微笑むのがわかった。
胸の奥が静かに熱を帯びる。
たったそれだけなのに、なぜか心に残る。
***
家に帰ってシャワーを浴び、ベッドに倒れ込もうとした頃、明日は港で軽いイベントがある、と大輔から連絡が入った。
外で回すらしい。
特別な夜ではないが、少しだけ胸がざわついた。
***
翌日。
夕暮れに染まった港は、夏の終わりの匂いがしていた。
準備をしていると、見慣れた白い綺麗な横顔が目に入った。
友達と笑って歩いてきて、こっちに気づくと少しだけ表情が和らぐ。
どうしてこんなに目で追ってしまうのか、自分でも不思議だった。
しばらくすると、彼女が少し離れた椅子に腰を下ろした。
缶ビールを手にしているが、ぜんぜん減っていない。
場に溶け込もうとしているけど、どこか繊細な雰囲気があって、放っておけなくなる。
気づけば、隣に座っていた。
「こんばんは。sugarにいたよね?」
自然すぎて、自分でも驚く。
振り向いて初めて間近で見た唯は、目がくりっと大きくて整った顔をしていた。
名前を聞いたとき、「唯」と答えたその声がやわらかくて、胸の奥にすっと落ちた。
けれど彼女の缶がほとんど空いていないのに気づくと、
心配のほうが先に立った。
「ビール苦手でしょ?」
当たり前のように口から出た。
彼女の小さな頷きが、妙に愛しく感じる。
気づけば、お茶を買いに立っていた。
戻って渡すと、唯は少しホッとした顔をした。
その表情に、胸が少し痛くなる。
こんな顔をさせたいと思ってしまった自分にも、戸惑う。
腕の細さに気づいたのも、ただ目が離せなかったからだ。
「ちゃんと食べなよ?」
と言うと、「お父さん」と笑われた。
その無邪気さがくすぐったくて、
そのくせ胸の奥を優しく締めつけた。
いろんな話をした。
転勤で来たこと、音の好み、年齢の差。
初対面とは思えないほど自然に言葉が流れた。
呼ばれてブースへ向かうとき、唯が
「R&Bが聴きたいな」
と言った。
その一言が嬉しくて、レコードバッグの中から一番合う曲を探した。
彼女があの音を愛していることが伝わってくる。
だから、応えたかった。
***
ショットを飲みすぎてふらふらになった唯が、
音に惹かれるように近づいてきて、
「あ、ジャネットだ……」
と呟いたとき、
胸の奥でひどく懐かしい何かが疼いた。
音に身を預けて椅子に崩れ落ちていく唯を見て、心配が一気に込み上げてくる。
気づいたら追っていた。
そして、見失った瞬間、胸がざわついた。
見つけたとき、唯は小さく丸まって座っていた。
抱き上げると、体温が腕に伝わってくる。
軽くて、壊れそうで、
守らなきゃと思った。
それなのに、
「飲みすぎ。」
そう言う声が、少しだけ震えた。
手を繋いで歩いた帰り道。
唯の指が小さくて、あたたかくて、
離したくないと思ってしまった。
家の前で手を離した瞬間、
夜風がそのぬくもりをさらっていった。
胸が、ひどく空になった気がした。
帰りながら、気づけば電話をかけていた。
声が聞きたかった。
ただ、それだけだった。
眠たげな声で「おやすみ〜」と笑う唯。
胸が痛むほど愛おしかった。
***
唯。
あの日の偶然を運命と呼ぶなら、
俺はもう、あの瞬間から抗えなかったんだ。
君が港に来なかったら——なんて考えるたび、
胸の奥が締めつけられる。
もしそうだったら、こんな思いもしなかったかもしれない。
でも、きっとどこかでまた惹かれていたと思う。
後悔してるかって?
……してるわけない。
君に出逢ったことだけは、
俺の人生の中で数少ない、
“失いたくなかった瞬間”なんだよ。
後悔してるとしたら…
それは君を失うことが怖くて守れなかったこと。
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