追放された雑魚スキルおっさんの俺のスローライフが全世界に配信されたら美形の攻略対象に求婚されて困ってるんだが〜無限に増殖する怪異〜

明丸 丹一

第1話 おっさんは勇者パーティを追放される

 矢が、空気ごと裂いた。


 石造りの通路に、風切り音が突き刺さる。

 天井のスリットから、金属の閃きが雨のように降ってきた。


 先頭を走っていた若い剣士が、反応しきれずに足を止める。


「っ、――ユリウス、伏せろ」


 低い声と同時に、その襟元をつかんで後ろへ引きはがしたのは、黒い軽鎧を着た長身の男だった。


 男の名はバルト。

 四十手前、やせ気味だが、無駄肉のない体躯。

 伸びた腕はしなやかにしなる鞭のようで、引き寄せた青年の身体を、矢の雨の外側へ滑らせる。


 次の瞬間、さっきまでユリウスが立っていた場所に、矢が十数本突き立った。


「……あぶねえな。危機一髪だぞ」


 バルトはそうぼやきつつ、通路の先をにらむ。


 視界には何もない。

 だが、皮膚の下を流れるような気配が、床下からの空洞と、右の壁の向こうに潜む魔物の存在を告げていた。


「右の壁、三歩先。中に一体。上からも来る」


 短く告げると同時に、彼は一歩引いて盾を構える。


「オーケーっ」


 即座に応じたのは、赤髪の女勇者だった。

 ライオネル。王都公認の勇者候補にして、パーティのリーダー。


 彼女は長剣を抜き放ち、バルトが指差した壁へ飛び込む。

 剣先が石壁を叩いた瞬間、そこから黒い甲殻の魔物が飛び出した。


迅雷斬サンダー・スラッシュ!」


 ライオネルの剣が稲妻をまとい、魔物もろとも壁を断ち割る。

 同時に天井から落ちてきたもう一体を、後衛の魔法使いが火球で焼き払った。


「ふう、なんとかなったね」


 杖を担ぎ直した美少女魔法使いが、額の汗をぬぐう。

 僧侶も弓手も、ぐったりと肩を落としていた。


「バルトのおかげだよ。罠も奇襲も、全部事前に当ててたし」


 ユリウスが息を整えながら笑う。

 金髪碧眼、線の細い顔立ち。英雄譚の挿絵から抜け出したような、美形の青年だ。


「……仕事しただけだ」


 バルトは肩をすくめる。


 ここは王都近郊、『試練の神殿』と呼ばれるダンジョンの中層。

 女神の神殿を兼ねたこの迷宮を踏破した者だけが、真の勇者と認められる。

 そして、その候補パーティのひとつが、ライオネル率いるこの一行というわけだ。


 バルトのスキルは『気配感知』。

 ステータス表の端っこに申し訳程度に書かれている、地味で冴えない雑魚スキル。

 ――という評価を、王都の冒険者たちは揃って口にした。


 だが実際には、こういう罠だらけの試練には、これ以上ないほど相性がいい。

 危険の芽を事前に踏みつぶしていく、縁の下の仕事。


 派手さはない。

 武勲の記録にも、名前は残りにくい。


 それでも、何度も死にかけた末にバルトが残したのは、

 「背中がざわついたら、一旦止まれ」

 という一点だけだった。


「よし、奥の間は目の前だ。ここを抜けたら、一度戻って作戦会議にする」


 ライオネルが剣を肩に担ぎ、前を向いた。


「この先には、魔王軍の影将軍……を模したモンスターがいる。ここを越えれば、真の勇者に一歩近づける」


 その横顔は、自分に向けられる期待と重圧を、笑い飛ばそうとしているように見えた。


 バルトはほんの少しだけその背中を見つめ、また前を向いた。


 真の勇者。

 世界を救う英雄。

 壇上に立つのは、ああいう眩しい連中でいい。


 自分はその影で、落とし穴と矢の雨を片付けていれば、それでいい――はずだった。


 それから少しして、影将軍の首は、雷光をまとった長剣に両断されることになる。

 戦いは派手で、観客がいればきっと沸いただろう。

 だがその場には、まだ観客というものは存在していなかった。


 この時点では、まだ。


 ◇


 試練の神殿の控え室は、石と木でできた質素な部屋だった。


 長机の上には簡素な地図と、水差しとパン。

 壁には女神の紋章を刻んだ旗がかかっている。


 戦いを終えたパーティは、その机を囲んでいた。


「影将軍の撃破、確かに見届けました。これで、あなた方は真の勇者候補の最有力です」


 そう告げたのは、白衣の神官だった。

 灰色の瞳が、ひとりひとりの顔を順番になぞる。


「――ただし」


 その声色が、少しだけ硬くなる。


「女神は、こうも告げておられます。『このままでは、世界は救われない。勇者の列には、ふさわしくない者がいる』と」


 室内の空気が、目に見えて変わった。


 魔法使いの少女が不安そうに肩を寄せ、弓手の少女が唇をかむ。

 僧侶は目を伏せ、手元の数珠を握りしめた。


「……また、それか」


 ライオネルが低くつぶやく。


「これで三度目だぞ、同じ神託は」


「ええ、勇者殿。ですが今回は、『試練の後に伝えよ』と、特に強く……」


 神官の言葉を、ギルドの幹部が遮る。


「功績の記録と照らし合わせた。正直に言おう」


 男は手元の紙束をめくり、淡々と読み上げた。


「魔王軍の兵の撃破数、魔物の討伐数、功績ポイント。

 どれを見ても、前衛にしては戦果の低い者がひとりいる。

 名前の載る武勲が少なく、伝承として語れる逸話もない。――バルト、お前だ」


 視線が、一斉に集まる。


 バルトは椅子の背にもたれ、その視線を淡々と受け止めていた。


「まあ、そうだろうな」


 自分でも分かっていた。

 火力だけで言えば、前衛の中では一番低い。大技も派手な一撃もない。


 ただ、罠と奇襲をつぶし、仲間の背中を押してきただけだ。


「正直、バルトさんいなくても、なんとかなりそうっていうか……」


 ぽつりと、魔法使いの少女が言った。

 言ってから、しまったとばかりに口を押さえる。


「ご、ごめんなさい、その……」


「いいよ。事実だ」


 バルトは頭をかいた。


「火力が足りないのは認めるよ。真の勇者様のパーティに、雑用のおっさんは似合わないかもな」


「そんな言い方――」


 ユリウスが何か言いかけて、唇を噛む。


 彼の視線は、ずっとバルトとライオネルの間をさまよっていた。

 反対したいのに、神官とギルド幹部と王の影を前に、言葉が喉につかえて出てこない。


「……ライオネル」


 バルトは、視線をリーダーに向ける。


 ライオネルは黙っていた。拳を握りしめ、机の縁に白い跡を残して。

 やがて、観念したように息を吐いた。


「ごめん、バルト」


 彼女は顔を上げた。その瞳には、迷いと覚悟が混ざっている。


「これは、わたしの判断でもある。真の勇者の座を目指すなら、神託は無視できない。世界を救うってことは、そういうことなんだと思う」


「そうか」


 バルトは短く答えた。


 胸が痛くないと言えば嘘になる。

 ただ、それは自分で選んだ場所が、最初からスポットライトの外側だったせいでもある。


「じゃあ――ここで、お別れだな」


 椅子を引き、立ち上がる。

 腰の剣と、鎧の留め具を確かめ、荷物袋の締め具を引き絞る。


「世話になった。真の勇者たち。世界は任せた」


 軽く片手を上げて、そう言った。


「バルト、待っ――」


 ユリウスが立ち上がりかけるが、ライオネルがその袖をつかむ。

 彼女は首を振った。泣きそうな顔で、それでも勇者としての顔を崩さない。


 バルトはそれ以上振り返らず、神殿を後にした。


 扉が、静かに閉まる。


 その音を合図にしたかのように、世界のどこかで、スイッチが入る。


 ――――

 《新番組:追放された雑魚スキルおっさんのスローライフ》

 ――――


 暗闇の中にタイトルロゴが浮かび、それがフェードアウトした直後。

 白地の画面に、文字が流れ始める。


――――

【匿名さんたちのコメントログ】

《現在の観測者:11人》


匿名さん:はい来ました追放イベント〜

匿名さん:気配感知切るのマジで意味わからん、ダンジョンで一番欲しいスキルだろ

匿名さん:神託=黒幕説あるな

匿名さん:でも追放回は伸びるからな、しゃーない

匿名さん:おっさんが静かに暮らせるなら、それはそれで見たい

……

――――


 観測者数のカウンタが、ゆっくりと、しかし確実に増えていく。


 当の本人はまだ、その存在に気づいていない。


 ◇



 王都の冒険者ギルドのカウンターは、いつも通り賑わっていた。


 依頼を求める冒険者、報酬を受け取りに来たパーティ、酒場から漏れる笑い声と楽器の音。

 その喧噪から少し離れた窓口で、バルトはひとり、書類にサインしていた。


「こちら、『勇者候補パーティ』からの正式離脱届です。……はい、確かに」


 事務官風の中年男が、手慣れた動作で印章を押す。


「バルトさんのこれまでの戦歴ですが――」


 男は書類をめくり、数枚をざっと見てから、言葉を選ぶように口を開いた。


「前衛としては、かなり……地味、ですね。

 ただ、討伐失敗やパーティ壊滅の記録がほとんどないのは、評価すべき点だと思います」


「つまり、面白くはないが、つまらない失敗もしないってことか」


「そういう言い方も、できますね」


 事務官は苦笑した。


「功績ポイントは、他の前衛に比べれば少なめです。

 ですが、同行したパーティの生存率はかなり高い。……数字は、いつも全部を語ってくれるわけではないということです」


 男は肩をすくめた。


「――とはいえ。真の勇者の座を目指すなら、派手な英雄譚の方が好まれるのは事実です」


「分かってる」


 バルトはサインを終え、ペンを置いた。


 自分は物語の真ん中に立つ器じゃない。

 そういう自覚は、とうの昔にできていた。


「それで、これからのご予定は?」


「……静かなところで、畑でもやろうと思ってる。腕には自信がないが、体は動くし、魔物よけはできる」


「でしたら」


 事務官は別の書類を引き出した。


「王都から馬車で三日ほどの辺境に、小さな村があります。農地は豊かですが、人手が足りない。

 元冒険者で、畑仕事にも興味がある方なら、歓迎されるはずですよ」


 地図に丸がついている。

 王都の外れから続く街道の先、小さな点がぽつりと記されていた。


「……静かそうだな」


「静かです。何もないとも言いますが」


「何もないなら、罠も矢も飛んでこない」


 バルトはわずかに口の端を上げた。


「そこに行く。紹介状を書いてくれ」


「かしこ――いや、失礼。了解しました」


 事務官は書類をまとめ、印章を押し始めた。


 こうして、真の勇者パーティの一員だった男は、勇者の列から外れ、ひとりの無名冒険者へと戻った。


 だが、それは別の物語の幕開けでもあった。


 ◇


――――

【匿名さんたちのコメントログ】

《現在の観測者:37人》


匿名さん:ギルドで淡々と退職手続きするおっさん、妙にリアルで好き

匿名さん:功績ポイントの話、完全にランキングと数字の世界で笑う

匿名さん:ここからスローライフ路線に振れるってことは、真の勇者ルートは別番組か?

匿名さん:何もない村でのんびりしてほしいけど、番組的には波乱も欲しいジレンマ

匿名さん:馬車で三日で辺境は馬車が早すぎるだろ

……

――――


 コメントが流れ、観測者カウンタがまた一つ増える。


 画面の向こう側で、誰かが笑い、誰かが頷き、誰かがスクロールを止める。


 ***


 ぼくは、そのうちのひとりだ。


『匿名さん』とだけ表示される、名前も顔もない視聴者。

 画面の向こうから、おっさんの背中を眺めている、無数の『目』の一本。


 今日の追放回は、なかなか良かった。

 神託、真の勇者、功績ポイント。

 そういう言葉で切り捨てられていく細い背中。


 これからあの男は、辺境の小さな村へ向かうらしい。

 剣よりも鍬を振るい、罠よりも畝の状態を気にする生活に変わっていく。


 それを見たいから、ぼくたちは『応援』する。


 画面の下に並んだボタンのひとつ。

 そこにある【応援する】を、きみが一度押すたびに、ぼくたちの数はひとつ増える。


 きみが【フォロー】をしてくれたら、またこの番組を見に来られる。

 新しい追放、新しい焚き火、新しいスローライフ。


 ──さあ、きみも押して。


 ぼくたち『観ている側』は、増えれば増えるほど、おっさんの背中を、もっともっと重くできるからね。

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