パンドラの箱
立方体恐怖症
第1話 序章一日目 パンドラの箱に七不思議
一日目 朝
音楽祭まで、あと二日。
毎月の恒例行事――橙たち「楽しいこと好き」の男子が考えた“楽しいことパック”の第一案だ。第二案は、年一回の誕生日会。ダイスで決められる日を、私たち全員の「生まれた日」として祝う。孤児である私たちにとって、それは形だけの誕生日だけれど、誰も文句は言わない。
私たちは「アリ塚」の島で学校に通う。なぜなら、魔法が使えるから。制御できない魔法は混乱と暴走を招き大変危険。だから、魔法が使えるとわかった子供はここに集められて、一般常識と制御を学び、科目ごとの成績優秀者から卒業できる。
いまいる生徒は九人。全員、魔法は使えるけど、先生から誰がどの魔法か、教えてもらった子は少ない。
薄青い空を小さな窓から見上げて目を覚ます。
銀色の長い髪を手早くまとめてシニヨンにした。鏡の中の自分が、少しだけ大人びて見える。部屋はまだ暗いが、白い花々が朝の光を反射して、空気を明るくしていた。外は広くて、穀物、家畜、植物を育てられる広大な土地がひろがる。窓から眺めて、動き出す。
私は掃除当番だ。今日は早く起きられたから、朝のうちに終わらせてしまおうと思い、部屋を出る。ちなみに、私の魔法は結晶、鉄の結晶を作り出せる。もっと大きくできるかもしれないけど、使いすぎは暴走に繋がるから、いまのままを制御して使い続けることが卒業への近道なはず。
ちょうど向かいの部屋から誰かが出てきて、思わず顔がほころんだ。
「赤お姉さま、おはようございます!」
「シアン、おはよう。今日も早いね」
赤お姉さまは、まるで白雪姫のように美しい。
黒檀のような髪はおかっぱでそれはちょっと惜しいけど、赤い瞳、赤い唇、陶器のような肌。そして朗々とした声__すべてが完璧だ。魔法はなにか知らないけど、先生はお姉さまの魔法は素晴らしいものだと言っていた。
毎朝六時に起床の鐘を鳴らすのも赤お姉さまの役目。私は掃除、彼女は鐘。だから朝の廊下で顔を合わせることが多い。
階段を上っていく背中を見送って、私は箒を手に廊下を掃き始めた。
二階の生徒部屋を掃き終えた頃、隣の部屋から青が出てくる。
鐘の音が鳴り響いた。
「どうしよう、ちょっと寝坊。シアン、おはよう!」
青は、赤お姉さまほどではないが面倒見がよく、かわいらしい。早起きできない人たちの代わりに、先生と一緒に食事を用意してくれる当番だ。青は、料理当番らしい魔法、自分の液体を操れる。唾液も、涙も。ちょっと汚いと本人からは不評だったけど、彼女の個性が見えていいと思う。
「先生、もう準備してるよねぇ。申し訳ないなぁ」
赤毛のツインテールを揺らして、階段を駆け下りていく。その慌ただしさに、私は苦笑した。
と、紫が部屋から出てくる。――この人だけは苦手だ。あ、魔法は記憶の結晶化。それで保持コピーができる。そのせいかとても頭はいいんだけど。
「おはようございます、シアン。今日は掃除道具を手に、朝ご飯は青に任せて、優雅に油を売るご予定ですか?」
「油なんて売ってないわ」
「なるほど。脂を拭いておられる最中でしたか」
皮肉ばかり言う。三白眼のくせに顔立ちは整っていて、それがまた腹立たしい。こんなので、制御はだれよりもできているようで、一度も暴走しそうになったことがない。卒業一番乗りはおそらく紫だろう。
「まあ、僕は朝食の準備を手伝いに行きますがね」
「私も行くわ」
私は箒を片付け、紫のあとを追って一階のキッチンへ向かった。
先生と青がスープの味を調えていた。今日はフレンチトーストらしい。
「卒業したら、自分でごはんの用意ぐらいできないとね」と紫がすました顔で言う。
先生が微笑む。「紫、その意気は結構ですが、あなたたち魔法使いは卒業後すぐ要職につきます。食事の支度は必要ありませんよ」
白衣を着た先生は、男か女かわからない中性的な顔をしている。見るたび印象が違って、不思議な人だ。
この人がいなければ、私たちはここで生きていけない。穀物の栽培も乳牛の世話も、授業もすべて先生の仕事だ。ときどき、過労で倒れないか心配になる。
やがて黄色と緑が連れ立って降りてきた。
「おはよう」「おはよ、シアン!」
黄色はわんぱくで、茶髪がいつも跳ねている。魔法は、たぶんどうでもいいようなやつ。使いたいけど使うタイミングがないとぼやいてた。緑は優しくて、同じ茶髪でも落ち着いている。魔法は、植物当番の彼らしく植物を体から生み出せる。彼らしく、好ましい。
橙の“楽しいことパック”の仲間たち。緑は菜園植物園係だけど黄色は……まあ、運動ができる以外に取り柄がない。運動ができて、緑の手伝いをしているけど、実質、無職みたいなものだ。藍も先生の手伝いをしているけど、ほとんど寝てるから意味がないのと同じ。黄色は足をひっぱるもの。
「おはよう。あ、寝癖!ごめん嘘!表情筋を整えてあげたんだよ。感謝して?」
そのあとから橙が降りてくるけど、基本的に彼はうるさい。姿は女の子っぽくてかわいいのに。魔法は、なんだか覚えてないけど遠くのものをちょっと動かしてたのをみたきがする。モモンガカーディガンの模様が今日も見事だ。裁縫も編み物も一流。制服が小さくなったときも、橙が新しいものを作ってくれる。黄色の猫耳耳当ても彼の作品で、なんと何種類も作りかけがあるらしい。
青がスープをひと口すする。「うん、完璧!」
彼女の味覚は鋭い。青が“完璧”と言うとき、誰も異論はない。あとはパンが焼けるのを待つだけ。
そこへ赤お姉さまが合流し、食器を並べてくれる。
そのとき、藍がふらりと現れた。早起きなんて珍しい。
「素晴らしい朝ねぇ。お花見したいわ~」と歌い出す。
腰まで届く金髪はふわふわと乱れていて、ため息が出る。こんなので、魔法の制御はうまくて、霧を発生させるのを長い時間維持しても暴走しない。
「藍、またお風呂入らずに寝たでしょ」
「さすがシアン。ご明察ですわ~」
言っても無駄だ。藍はいつだって自分の気分でしか動かない。
「用意はできたけど、深紅が起きてこないな」と赤お姉さまが合流して言う。
「赤お姉さま、私、起こしてきます。配膳お願いしますね」
うなずく赤お姉さまの顔が朝日に照らされて、少し嬉しくなった。
二階へ上がり、ドアをノックする。
「深紅、いるでしょ。もう朝ごはんだよ」
「うーん……」
返事のあと、もぞもぞと音がしてドアが開く。
「鐘の音、あれだけ大きいのに、なんで起きないの?」
「六時に起きてもすることないんだもーん」
寝ぼけ顔のくせに、整った二重がずるい。確かにイケメン。青が夢中になるのも無理はない。
でも、勉強も魔法も“ぎりぎりで合格”しか狙わないのは感心しない。努力しなければ意味がないのに。魔法は炎をつかうこと、かっこいい魔法なのに。授業でまともにやろうとしてるのを見たことがない。
九人と先生が円卓に集まる。朝日が差し込み、食堂が柔らかい光に包まれた。
「それでは皆さん、今日の平穏に感謝して――いただきましょう」
今日と明日は授業が短縮される。音楽祭の準備のためだ。
赤お姉さまの説得で、先生が五科目のうち一つだけにしてくれた。今日は社会のテスト。
結果は、悪くなかった。
島の外には「ゴミ箱」と「アリ塚」という二つの領域があり__その歴史を問う問題で、ゴミ箱の成り立ちを少し間違えた。でも平均点は超えた。
紫と赤お姉さまは当然の満点。
「アリ塚の希望と呼ばれる学園で平均点がこれでは、孤児のレベルの低さが悲しいね」紫が皮肉を言い、
赤お姉さまが真面目に「昨日先生が言ってたことを書くだけだよ」と助言してくれる。その両方が胸に刺さった。
「珍しく負けたー!」橙の叫びで教室が揺れる。どうやら緑に点数で抜かれたらしい。緑がガッツポーズを作る。
「珍しく、は余計だけど徹夜したかいあったな!」そこまで熱を入れてたの?と驚く。緑はなんでも全力投球だから。悔し気な橙にテスト用紙を見せびらかせてふへへ、とほほ笑んだ。
「ゴミ箱ってゴミを入れるところでしょ?なんでバツなの?」と黄色。……説明する気にもなれない。
深紅はというと、寝ていたくせに赤点を逃れていた。思わず緑は舌打ちをしてしまう。そう、深紅は落ちるべきだった。青は勉強を教えたけどギリギリ。藍と黄色は、いつも通りの惨敗。
先生は「優秀者でないと卒業はできませんよ」とため息をついて、音楽室へ向かった。
音楽室では、思いがけない“不思議”が起きた。
今月の音楽祭では、紫の伴奏に合わせて全員で合唱する予定だった。
だが歌い始めると、ノイズのような音が混ざる。
「ストップ!」紫が叫んだ。
「誰も魔法、使ってないよね」
「当たり前じゃん」橙が言う。「使う理由もないし」
「じゃあ、なんで音が合わない? ここはラの音だ。昨日はこうじゃなかった」
青が首をかしげる。「誰か音程外してるんじゃない?」
「全員、ひとりずつ歌え。音痴は伴奏に回ってもらう」
「そんな吊るし上げやめろよ」と緑。私も同感だった。
「音楽祭をしようって言い出したのは緑たちだろう? これで出るつもり?」紫は不機嫌に鍵盤を拭きはじめる。
「これさ」と橙が言った。「学園七不思議のひとつじゃない?」
「なにそれ」と青。
「音楽室に“いない生徒”が混ざるって話。図書室の古い本に書いてあったんだ。他には、体育室で跳ねるボール、皿を数える女、トイレの女の子?あと、ポルターガイスト、血にまみれるなにか、だっけ。」橙はほんとうに記憶力がいい。私も読んだけど覚えてなかった。
「やめろよ」と黄色が震える。黄色が怖がって寝れなくなるので、その本は先生が取り上げた__はず。緑は苦笑した。
「生徒の幽霊が混ざってるんじゃない? そいつが音痴なんだよ」橙が結論づける。
「幽霊なんていないわよね」と青が言って、隣の深紅の腕にそっと手を伸ばしたが、彼はさりげなくかわした。
藍は立ったまま寝ていた。
「犯人探しも幽霊もごめんだな」と深紅。
「幽霊いやだよ!」と黄色。
そのときだった。
「……ごめん。たぶん、私だ」
空気が止まった。
完璧な赤お姉さまが、ゆっくりと手を上げていた。
「昨日、喉が痛くて歌わなかったの。昨日なかったノイズって、もしかして私の声かもしれない」
頬を赤らめてうつむく。
「自覚あるなら早く言えよ。伴奏代われ、楽譜読めるだろ」紫がため息をついてお姉さまと入れ替わった。
「赤が音痴!?」黄色が叫ぶ。
藍がむにゃ、と目を開けて言う。「赤は歌うのが好きじゃないのよ。自覚ないだけで、音痴ですわ」
沈黙。
「……いや、驚いただけなんだ。赤にもできないことあるんだなって」緑が穏やかに言った。
赤は微笑んでうなずく。「ごめんね。私はいつもの音楽祭どおりに楽器を担当する。合唱は、みんなで」
音楽室に静けさが戻る。
けれど__
私は、まだ耳の奥にあのノイズが残っている気がした。
本当に、幽霊はいないのだろうか。魔法のある世界で?
赤お姉さまが抜けた合唱では、ノイズが入らなかった。
でも、誰もが思っているはず__七不思議って、本当なんじゃないかって。
バカげた考えだと分かっている。けれど、一時期それが話題になって、先生が本を取り上げたせいで、余計に“あれは本当なんだ”という怖さが広がった。
昼までの間、先生と青が昼食のシチューを作っているあいだ、みんなキッチンのそばから離れようとしなかった。理由は単純――怖いからだ。
「おい、だれがピアノ弾いてるんだよ!」と黄色が怒鳴る。過敏なだけ、のはずだった。全員ここにいる。
けれど、怖さが増すばかりで、「楽しいことパック」の緑と黄色は人狼ゲームを始めて気を紛らわせようとしていた。深紅と青、紫も加わって、教室の空気は一見にぎやか。でも、私と赤お姉さまは音楽室へ向かう。怖いけど、確かめなきゃいけなかった。
「橙が言い出したことだし、幽霊なんていないと思うけど……原因は突き止めておかないとね」
階段をのぼるたびに、ピアノの音がはっきりしていく。幻聴なんて言えなくなった。
二階、三階。開け放たれたドアの向こう、音楽室から音が溢れていた。
「……いくよ」
赤お姉さまが息を整える。
どくん、どくん。心臓がうるさい。耳の奥で鳴る。
私は勢いでドアを押し開けた。
――中にいたのは、藍だった。
「藍!?」
さっきまで一階にいたはず。
「なにしてるの、その……音楽室で」
「何って、ピアノを弾いてますわ。見てのとおり」
「いや、なんでドアを開けて、そんな大音量で……」
「あら、忘れてましたわ。それに、そんなに大きな音だったかしら?」
藍は耳が遠い。味覚も鈍い。痛覚も。けれど一階まで響く音ってどういうこと。
「でも、さっき黄色が言った時、あなたは一階にいたよね?」赤お姉さまが言う。
「ええ。黄色がピアノの話をしたので、弾きたくなっただけ。でもおかしいですわ。音楽室は防音ですもの。一階で聞こえるはずがないですわ。それこそ、魔法でないと」
確かに。怖い。赤お姉さまも青ざめていた。
「黄色の聞き間違い……ということ?」
そう思いたい。でも、黄色の耳は誰よりも良い。
「そうだよね……」赤お姉さまの声が小さくなった。
昼食のとき、みんな妙に元気だった。自棄気味の元気。怖さが抜けていない。
私と赤お姉さまが確かめに行ったのに“何も言わない”ことで、逆に七不思議の噂を裏づけてしまったのかもしれない。
体育。赤お姉さまはほんとになんでもできるから、黄色の運動バカに付き合ってキャッチボールをする。赤お姉さまの次に運動ができる緑が黄色の投げすぎたボールをうまくキャッチした。
ボールが見ていて痛そうで思わず体を縮める。紫もそれなりにできるのに、運動できない藍や橙と合わせたゆるーい三点キャッチボールをしながら話している。こっちは深紅と青とで、会話は弾むけど、この二人の間に挟まるのはごめんだった。
次は魔法の授業。音楽室の一階下、三階の魔力実習室。魔法を自由に使っていいのはこの時間だけ__規則では。藍なんて昨日も外で使っていた。
そのとき。
「なあ、ボールの音、しない?」
緑が言う。やめてよ、と思いかけたけど……聞こえる。となりの体育室から。
とーん…とーん…
先生も、みんなもここにいるのに。
ざわめきが消えて、静けさだけが残る。先生が「続けて」と言っても、誰もしゃべらない。
とーん……とーん……
静まるほどに、ボールの音が浮かび上がる。
「授業時間ですよ、いい加減にしなさい」
そう言われて会話は再開されたけれど、全員が同じことを思い出していた。
「体育室で跳ねるボールの七不思議」。――これも本当、らしい。
授業後の面談。気になっていたことを先生に聞いた。
「七不思議って、フィクションですよね?」
「その通りです。七不思議とは、昔の学校に伝わる噂話でしかありません」でも、ピアノとボールの音は?__聞けなかった。
ご飯を食べて、九時の鐘の前にトイレに行こうとして、でもどうしても怖くて、赤お姉さまに付き添ってもらった。
物音。
鍵がかかっている個室の中から、そりゃそうよね、鍵がかかっているなら、使用中。当り前よ、そう言い聞かせる。
響く泣き声。
ひっ__声が出ない。
すすり泣く、女の子の声。
ボール、ピアノ、そして「トイレの女の子」。
私は赤お姉さまと一緒に逃げた。結局その夜、寝られなかった。黄色が「ピアノがうるさくて寝れないよ!」と怒鳴っていたせいもある。
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