人外夫婦のクトゥルフたこ焼き繁盛記
うちはとはつん
人外夫婦のクゥトゥルフたこ焼き繁盛記
秋の夜長、峡谷の露天風呂に浸かる。
それはまた格別で、味わい深いものだった。
「はふう……」
一緒に入っているマーシャが吐息を漏らし、ぴたりと肩を寄せてくる。
マーシャの肩から玉のような汗が流れ落ち、火照った青白い肌は桜色。
マーシャは見目麗しいディープ・ワンの女だった。
そして俺もまた同種族の男である。
ディープ・ワンとは、とある神を信奉する闇の種族。
マーシャがしな垂れかかり、俺の指に細い指を絡めてくる。
「気持ちいいねえ、お前さん」
「ああ違いねえ。マーシャ、今夜は顔色がいいじゃねえか」
「そうかい? うふふ」
妻のマーシャは生来体が弱く、よく些細な光の呪いに掛かっては床に伏せていた。
そんな時分、小耳に挟んだのがある島国での湯治だ。
その地では、大陸のプレート同士が擦れ合い、地下の地獄に熱がこもるのだと言う。
その熱が湯となって、地表のあちこちから湧き出ていると聞いたのだ。
その湯には地獄の成分が豊富に溶け込んでおり、我々闇の種族「ディープ・ワン」には、何よりの湯治薬となると――
それを知ってからというもの、俺とマーシャはこうして、その島国で温泉巡りをしていた。
今宵のマーシャは、本当に調子が良いらしい。
その肌から甘い匂いが立ち昇り、俺を見つめるエメラルドの瞳が、月よりも明るく輝いている。
「ね、お前さん」
「無理をしちゃいけねえぜ」
「大丈夫だよ、お腹がぽかぽかして、今夜は調子がいいんだ」
「ならいいが」
マーシャは俺にまたがりながら、そう言えばと小首を傾げ、俺の首に両腕を巻きつける。
「お前さん、そろそろ路銀が乏しくなってきたんじゃないかえ?」
「そうさなあ、ならばこの地に腰を据えて商売するか」
「ええ、そうしましょうよ」
とろりとした湯の水面が、激しく乱だれるのを俺と月だけが見ていた。
*
そうと決まれば、屋台の開店準備だ。
次の日の早朝。
俺とマーシャは人目のつかぬ深山で、異空間に仕舞っている商売道具を取りに行く。
マーシャが暗黒呪文を唱えて指をひらめかせると、何もない空間に異界へと通じる
からからと引き戸を開けたとき、何かが足元をチョロチョロと駆けて飛び出してくる。
「ありゃお前さん、早く入って」
「おうっ」
俺とマーシャは慌てて入り、引き戸を閉じる。
門戸の向こうは、全くの別世界。
そこは俺とマーシャの故郷であり、深遠なる神々の世界だった。
もっと詳しく言うならば、そこは神々が住まう居城。
もっともっと言えば、そこはバスルーム脇にある洗面所だった。
だが、ただの洗面所と思うなかれ。
大いなる方々に合わせて、何もかもが巨大に作られているのだ。
俺やマーシャなど洗面台のスケールに比べれば、そこらに積もる
粗く削り出された、洗面所の
俺とマーシャはその僅かな(と言っても俺たちからすれば大きい)出っ張りに腰かけ、しばし待つ。
すると――ズシイイイイインッ……ズシイイイイインッ……
地響きと共に、赤い霧のけぶる彼方より、その尊き御姿が見えてくる。
俺とマーシャは息をのみ、その時を待つ。
その時とは、神々の尊き朝の「
深遠なる神が大気を震わせ、洗面所のクリスタルミラーの前にそびえ立った。
その巨大な御姿を、こまごまと描写するのは恐れ多きこと。
だがあえて!
神罰が下るのを覚悟する思いで述べると、全身は緑がかった闇色。
頭は無数の脚の生えたタコのようで、背にはドラゴンの翼のような――
おっといけないっ。
これ以上直視すると、脳が焼かれてしまう。
「お前さんたらっ」
「おっと、すまねえ」
俺はマーシャと共に深々と頭を垂れた。
この腹に響く振動は、神が洗面台の神器を手に取った音だろう。
大いなる神が神器を起動させる。
その途端、1
「お前さんっ」
マーシャが怖気振るい、俺の手を握ってくる。
俺は怯えるマーシャを強く抱きしめた。
ブタっ
始まったのだ。
深遠なる神が、そのご尊顔に神器「
その星をも切り裂く3憶枚の刃が、神の「
その頭蓋をシェイクし、脳を流動食にせんとするかの如き衝撃音は、世界を震わせ続けた。
俺とマーシャが深遠なる神々の
永遠に続くかと思われた、神器の狂音。
だが不意に止み、辺りが静寂に包まれる。
俺とマーシャは恐る恐る顔を上げた。
すると大いなる御方が、ちょうど
辺りに甲高い音が2回響く。
岩棚にはヘッドから落下した粉末状の「秘なる気」が、うずたかく積もる。
それは神器が神から削り取った、神の一部だった。
深遠なる神はこざっぱりして、また赤い霧の彼方へ消えていく。
ズシイイイイインッ……ズシイイイイインッ……
「よし、今が収穫の時!」
岩棚に残された神の一部には、すでにどこからか湧いてきた、闇の者どもが群がっている。
毎朝、岩棚に捨て置かれる「秘なる気」を、糧とする者たち。
彼、彼女らは洗面所で食い、育ち、子を産み、死んでいく。
その岩棚だけで、ひとつの閉じた
俺が立ち上がると、マーシャが袖を掴む。
ただでさえ、顔色の悪いマーシャの顔が真っ青だ。
「ごめんなさい、腰が抜けて」
「大丈夫だマーシャ、ここで待っていてくれ」
「行ってらっしゃい、お前さん」
「おうっ」
マーシャが俺の背に、火打石をカチカチ切る。
俺はカゴを背負い、蛇紋岩の絶壁を黒山羊のように移動していった。
こうして早朝でなければ、良いものが手に入らない。
秘なる気は、早いもの勝ちなのだ。
*
俺とマーシャは深山から人の街まで降りて、川沿いを歩く。
俺の肩には、丸太の天秤棒が重みで食い込んでいた。
天秤棒の前と後ろには、それぞれ縦230セル(cm)、横80セル、幅120セルほどの、分割した屋台が引っかけてある。
食材や炭、その他諸々ひっくるめて総重量200キリル(㎏)オーバー。
だがディープ・ワンの俺には、このていど運ぶなど造作もない。
川沿いの道は、火事の際の
そこに家は建てられないけれど、代わりに移動式の屋台が立ち並び、賑わっているのだった。
「ここら辺で良いだろう」
「そうだねお前さん」
俺は広小路の端に屋台を降ろし、組み立てて炭を起こし、食材を並べていく。
充分に鉄板が温まったところで、マーシャがのぼり旗を立てた。
旗にはこう力強く書かれている。
『元祖!
はためく旗を見て、行きかう人々がちらほらと足を止める。
「あかしっくのたこやき? 何だあそりゃあ?」
そんな声に、マーシャが愛想よく対応した。
マーシャに微笑まれると、大概の男はその美貌に目尻を下げる。
「とっても美味しいんですよ。
これから焼くんで、お兄さん見てって下さいな。
お前さん」
「おうっ」
俺は窪みのたくさん並んだタコ焼き専用鉄板に、溶いた生地を流し入れていく。
火が通り切る前に、薬味や「深遠なる神の一部」を、生地の中央にうやうやしくインする。
千枚通しで素早く生地をつつき、丸くしていった。
足を止めた者たちには物珍しいらしく、手を叩いて喜んだ。
「おお、器用なもんだなあ、つんつんと」
「あら、丸っこくて可愛い」
焼き上がったタコ焼きを手早く皿に盛り付けて、そこに甘辛のタレや色々と乗っけて出来上がり。
「マーシャ」
「はいよ」
出来立てのタコ焼きを、マーシャがフォークに刺して、客に振る舞っていく。
「まずは味見して下さいな、さあお兄さんおひとつ。
お姉さんもどうぞ、熱いので気をつけてね」
タコ焼きから甘辛タレの匂いが立ち昇ると、客たちの喉がごくりと鳴った。
ふーふーしながら噛り付くと、はふはふ言いながら舌鼓を打つ。
「こりゃうめえっ、外はカリカリ、中はトロトロじゃねえかっ」
「やだ美味しっ、なにこれ!?」
「この掛かってる、黒いタレは何でい?」
客のひとりが聞くと、マーシャが出し惜しみなく説明する。
「エールの搾り粕に、塩、ニンニク、キビの廃蜜を混ぜて煮詰めたものですよ」
「この白くて、トロリとしたものは何かしら?」
「ブタの背脂を2度裏ごしして、酢を混ぜたものです」
「この掛かっている、茶色い粉は魚かい?」
「ええ、干した魚を燻して粉にしたものです。今日のは黒バスの粉ですよ」
「はふ、はふ、はふうっ、はあ~うんめえ。
この真ん中に入っているモンは何だい? コリッとしてクニュッとして、たまんねえなあ」
「ふふふ、それはね」
マーシャの微笑みが深くなる。
「美味しいでしょう? それタコって言うんですよ。
ここら辺では、食べないかもしれませんねえ。
私の故郷では、よく食べられているんですよ」
「へー」
「タコは『
「そりゃあいいや、一つくんなっ」
「あたしも一つおくれ」
「こっちもっ」
「お前さん、どんどん焼いておくれ」
「おうっ」
ひとたび神の一部を食すれば、人間達はその味の虜となり、買わずにはいられない。
たちまち人だかりができて、今日用意していた500食分は、あっという間に売り切れた。
俺は屋台をたたみ、もっと欲しがる人間たちを後にして、天秤棒を担ぎ山へと帰る。
マーシャが何度も笑顔で振り返り、人間たちに手を振っていた。
「また明日も同じ時分に、ここで売ってますから~」
「マーシャ疲れてねえか?」
「大丈夫ですよ。あれよあれよと一刻(2時間)で売り切れたら、疲れるも何もありゃしない。
あ、そこの屋台で、揚げバナナ買っていきましょうよ」
「おやじ、ふたつくれ」
「へい、らっしゃいっ」
串に刺した揚げバナナを食べながら、のんびりと帰る。
「一ヶ月くらい売ったら、また暫く旅ができますかねえ」
「ああそうだな、寒くなる前に南へ行こう」
2週間ほど経ったとき、客同士の会話からとある噂が小耳に入った。
「おう聞いたかよ、山に魔物が出るんだってよっ。里の羊がどえらく襲われたそうだぜ」
「なんてえ魔物なんだい?」
「何つったかなあ、とにかく度々色んな所に出るんだってよ」
「それ俺も聞いたぜ。行商の薬売りから聞いたんだがよ、東国の方じゃ、もう何度も出たらしいぜ」
「それ、どうなった?」
「さあ知らねえ」
「冗談じゃねえぜ、とっとと
「もう動いてるって、でもなかなか足取りが掴めねえんだと」
「たくっ、何やってんだハンター共はようっ」
それを聞いた俺は、千枚通しでタコ焼きをつつきながら、眉間にしわを寄せる。
マーシャが俺の袖を引っ張った。
「お前さん」
「ああ、見過ごせねえなあ」
タコ焼きを売り終え、俺たちはその足で魔物が出たという、里山に向かった。
俺は屋台を担いだまま、マーシャと共に山へと分け入る。
道なき道を行き、山奥に流れる沢へと出た。
猫の額ほどの平らな場を見つけ、そこに屋台を降ろす。
その場で火を起こし、このために少し残しておいた「タコ」を、串に刺して炙る。
辺りに、タコの焼ける香ばしい香りが漂い始めた。
街のハンターは足取りを掴めなかったようだが、俺の感が正しければ、この匂いに釣られて向こうからやって来るだろう。
そしてそれは、深夜にやってきた。
木々に体がぶつかるのも構わず、真っ直ぐこちらへやって来るのが、地に伝わる振動で感じ取れた。
沢に飛び出して来たのは、黒々とした大きな「ヌメ・ウゴメク」。
「やはりあの時の」
俺は故郷へと戻り、商売道具を取りに行った時のことを思い出す。
あの時、引き戸を開けた瞬間、足元をチョロチョロ走り飛び出してきたモノを。
その時の小さなソレが、今目の前にいるヌメ・ウゴメクだった。
俺やマーシャも、向こう側へ通じる門戸を慎重に開けているつもりだ。
だがこちら側の匂いに釣られて門戸の裏に張り付き、チャンスを伺っているヤツまでは、なかなか防ぎようがない。
これまでもこうした事が何度かあり、東国で現れた魔物というのは全て俺たちのせいだった。
ヌメ・ウゴメクはあの時とは違い、こちらの世界で色々なモノをたらふく食って巨大化している。
10本足のナマコのような生物で、こちらの世界で取り込んだであろう、羊や鹿や熊の頭が、疑似頭として先端にくっついている。
それらは口を開けて俺を
「こちらでは食うものが多くて、さぞかし驚き、浮かれた事だろうよ。
だがどんなにたらふく食おうとも、こちらの世界にはないモノがある」
俺がこんがりと焼けたタコ串を左右に振ると、ヌメ・ウゴメクの疑似頭も釣られて動いた。
「そうだろう、これが欲しいだろう?
どんなに旨いものを食ったって、故郷の味は忘れられねえよなあ。
ほらほらこっちだ、こっちへ来な」
俺はタコ串を掲げながら、ゆっくりと下流へと移動していく。
それにヌメ・ウゴメクもついてきた。
ヌメ・ウゴメクのつるりとした体表面から、よだれ代わりの胃液が滴り落ちる。
「そんなに故郷の味が恋しかったか? いいぞくれてやる、良く味わえよ」
俺が手前に投げてやると、ヌメ・ウゴメクが飛びついた。
するとその瞬間、そのポイントに仕掛けていたマーシャの魔法陣が発動する。
足場がタールの沼地となり、ヌメ・ウゴメクの巨躯が沈み込んでいく。
疑似頭が、声なき悲鳴を上げていた。
身動きができず
俺はその様子を、何とも言えぬ思いで見つめる。
いつの間にか隣に立っていたマーシャが、悲しげに首を振る。
「だめだわお前さん、これほど巨大化してしまったら、戸口から向こうへ送り返せない」
「ああ、そうだな」
俺は残りのタコも串に刺して焼き、ヌメ・ウゴメクに食べさせてやった。
全て食べさせ終わると、俺は天秤棒の丸太で、尻尾に擬態している本当の頭の方を叩き潰した。
*
ちゃぷん。
深夜の渓谷。
俺とマーシャは、岩場の露天風呂にひっそりと浸かる。
とろりとした湯が、俺たちの身にじんわりと浸透し、ささくれた心を癒していく。
「お前さん、みんな喜んでたね」
「ああ」
ヌメ・ウゴメクの死骸を、
彼らはヌメ・ウゴメクの事を、新種のキメラだと勘違いしていた。
「賞金も、もらっちゃったねえ」
「ああ、もらっちまった」
既に賞金が掛かっていたらしく、貰ってきた。
タコ焼きの売り上げと賞金で、1ヶ月待たずとも、これでまた旅ができるだろう。
「……お前さん知っているかい。こう言うのをマッチポンプって言うんだよ」
「おう」
俺たちが放しちまったモンを、俺たちが狩る。
「お前さん、まだ『秘なる気』は残ってんだろう」
「あと2万食ってとこか。秘なる気は腐らねえから別に良いんだが」
「なら明日、街じゃなくて襲われた里に行かないかい? タコ焼きで炊き出しとかさ」
「ああ、行こう」
マーシャが、ひしりと抱きついてきた。
俺もぎゅうううっと抱き返す。
こう言うせつねえ夜は、お互いを強く求めちまう。
月は雲で隠れたが、隣で湯に浸かってる熊が、俺とマーシャを見ていた。
俺とマーシャは慰め合うように、温かな湯の水面を揺らす。
「あー、お前さん」
「なんでえ」
「あたしら皆に、生かされてるねえ」
「ちげえねえ」
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